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    <updated>2011-06-15T01:09:10Z</updated>
    
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    <title>Vol. 06：音楽のように絵本を作る。ワイルドスミスの世界へ。</title>
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    <published>2011-06-13T07:34:04Z</published>
    <updated>2011-06-15T01:09:10Z</updated>

    <summary> イギリスを代表する絵本作家ワイルドスミス。 私たちの想像力を刺激しつづける、 原色、生命感の謎に迫る。 Brian Wildsmith  （ブライアン・ワイルドスミス） 1930年、イギリス・ヨークシャー州生まれ。バーンズレイ美術学校、スレイド美術学校（現ロンドン大学芸術学部）卒業後、数学や音楽の教師を経て画家となる。自由な知覚による大胆な色使いと構図で、絵本の可能性を大きく広げた。 1960年...</summary>
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    <category term="ワイルドスミス絵本美術館" label="ワイルドスミス絵本美術館" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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        <![CDATA[<br /><br /><p><big>
イギリスを代表する絵本作家ワイルドスミス。<br />
私たちの想像力を刺激しつづける、<br />
原色、生命感の謎に迫る。<br /></big>
</p>
<br />
<br />
<img alt="BW顔写真_coyright_リサイズ_2.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/BW%E9%A1%94%E5%86%99%E7%9C%9F_coyright_%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BA_2.jpg" width="160" height="117" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />
<strong>Brian Wildsmith  （ブライアン・ワイルドスミス）</strong><br /><br />
<small>1930年、イギリス・ヨークシャー州生まれ。バーンズレイ美術学校、スレイド美術学校（現ロンドン大学芸術学部）卒業後、数学や音楽の教師を経て画家となる。自由な知覚による大胆な色使いと構図で、絵本の可能性を大きく広げた。<br />
1960年にオックスフォード大学出版局と専属契約を交わし、デビュー作『ワイルドスミスのＡＢC』（らくだ出版、1962年）で、ケイト・グリーナウェイ賞を受賞。これまでに80冊以上の絵本が世界各国で出版されている。豊かな経験や自然界への深い愛情を表現の要素として、独自の世界を築いている。<br />
</small></p><br /><p style="clear:both;">
<strong>藁戸さゆみ（わらとさゆみ）</strong><br /><br />
<small>金沢美術工芸大学芸術学部卒業。卒論では、被爆者が描いた原爆の絵をテーマとする。現在、ワイルドスミス絵本美術館学芸員。</small></p><br />
<br />
<br />
<p><strong><big>絵本作家ワイルドスミスとは？</big></strong><br />
<br />
――はじめに、ワイルドスミスさんってどんな絵本作家か教えてください。<br />
<br />
<img alt="藁戸様.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/%E8%97%81%E6%88%B8%E6%A7%98.jpg" width="170" height="140" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />
ワイルドスミスは、イギリス出身の絵本作家で、現在は南フランスに居住しています。1930年、イギリスのヨークシャーという炭坑の町に生まれました。ヨークシャーは、「ムーア」と言われる荒れ地で、冬は厳しく毎日吹雪があり、彼は冷たい風を頬に浴びながら暮らしていたそうです。他方、炭坑の町なので黒い煙やムーアの沼、イギリス特有の雨が多くあまり色のない地帯で育ったことによって、ワイルドスミスは太陽に対する渇望が小さい時から芽生えていたようですね。あとワイルドスミスは、子どものころ、いつも「ムーア」の大地が遠くまで見渡せる、地平線の彼方に深く深く誘いこまれる体験をいつもしたそうです。<br /><p style="clear:both;">
<br />
――絵本作家をどのようにして目指されたのですか？<br />
<br />	
中学生の頃は科学が得意で、科学者になりたいと思っていたそうです。ある日、神の啓示を受けて、自分の進むべき道は美術の道と気づいたといいます。それですぐ、美術学校に移ります。数学が得意で音楽が好き。この感情を抱えながら美術学校の道にはいって、ポートフォリオを持っていろんな出版社に売り込みをしたそうです。1960年に、オックスフォード大学出版局（Oxford University Press）のメーベル・ジョージ（Mabel George）という女性編集者と運命的な出会いを果たして、少しずつ挿絵の仕事をもらいました。その編集者が何故彼を起用したかというと、それまでの絵本は文章主体のもので、絵はただそれの補足でしかなかった。メーベルは子どもに対しては真の芸術を、絵本を<br /><img alt="WS_ABC_copyright_2.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/WS_ABC_copyright_2.jpg" width="300" height="122" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />通して与えなきゃいけない、そのためには真の画家による絵が絵本に必要だと思っていた。そこでワイルドスミスに白羽の矢が立ち、できたものが、『ワイルドスミスのABC』（原題：Brian Wildsmith's ABC）です。この作品でケイト・グリーナウェイ賞を受賞し、絵本作家としてのデビューを果たしました。<br /></p> <p style="clear:both;"><br />
<br />
<br />
<p><strong><big>色と色との関係が感動を生む</big></strong><br />
<br />
――面白い経歴ですね。読者からの反響はどうでしょうか？<br />
<br />
日本と母国であるイギリス、アメリカ、3年ぐらい前から中国を始め、アジアでもかなり翻訳されるようになって、ワイルドスミスの絵本が人気になっています。<br />
まず色彩に圧倒されるという声を聞きます。原色に限らず、コラージュも多用しているんですが、自分で絵の具を混ぜて作る色の他に、市販のラッピングペーパーなどを切り抜いて、自分の作品の中に入れこんで表現するのです。自分で作った色と、既成の作られた色とがすべて作品として収まって、ひとつのワイルドスミスの世界観を形づくり、そこでたくさんの色を目にすることができます。
よく読者から、絵本になった時に原画の色が忠実に印刷されているかと聞かれます。ワイルドスミス本人は、自分の表現した原画の色がそのまま絵本に出ているかが問題ではないと言います。「色と色の調和」がきちんと絵本の中で表現されていれば、それでいいと言うのです。読者は、色に反応しているのではなく、「色と色の関係」に圧倒されているのです。<br />
<br />
――色と色の関係性とは、面白いですね。<br />
<br />
ワイルドスミスの言葉を借りると、絵本とは、私たちが生きている大地であり、地球であり、私たちの周りにあるものの本質を、絵として表現しなくちゃいけない。言葉では言い表せない、夕日や風などの抽象的なものも、絵画として表現することによって、その絵本を手にとった人が心になにかを呼び起こすものでなくてはならない。そうでないと、魂が、この絵本から奪い去られてしまうのだと言います。<br />
<br />
――その生命が、さっき言った色と色の関係や、組み合わせにつながっていくのですね？<br />
<br />
そうです。ワイルドスミスは絵本制作をよく音楽に例えるんです。物と物、色や形が、ある音符のようなリズムを持って表現されなければならない、と言います。<br />
<br />
――音楽のような色の関係性が、典型的に出ている作品というとありますか？<br />
<br />
<img alt="BW_123_copyright_3.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/BW_123_copyright_3.jpg" width="230" height="146" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
『Brian Wildsmith's 123』という『ABC』と同じ年くらいに描かれた絵本があります。ワイルドスミスは、数字というのはある特定のものを指すまでは、非常に抽象的なものだと言います。下の絵の中の形と色の配置が、すごくリズミカルに見えませんか？　そういうところが、私はすごく音楽的だなと思います。<br/>
<br />
――動物もたくさん描いてらっしゃいますね。<p style="clear:both;">
<br />
ラ・フォンテーヌの『うさぎとかめ』や、『きたかぜとたいよう』など、寓話の挿絵があります。そのあと、フランスに移る頃に、動物を主人公にした、物語絵本をつくりだします。<br />
<br />
――確かにこれも、色と色の関係性がすごいですね。<br />
<br />
動物と葉っぱと、単に原色が強いということだけじゃなくて、色の全部の関係が配置されています。だから、絵本を開いた瞬間に、日常忘れていた感覚が、頭の中にイメージが膨らんで、心の中にも光が満ちあふれる。例えばジャングルみたいな森の中に、ヒョウがいます。ジャングルの土の匂いとか、ひんやりした感じとか、草が擦れる音や柔らかい感じとか、ヒョウの糞がどこかにあるかもしれないとか。子ども達はそれを頭の中や体で、反応しながら想像するんです。ワイルドスミスは、子どものために、この世界の美しいものや不思議さを楽しんだり驚いたりして、生命の根源を知って、喜びや幸せを感じてほしいと描いています。この絵本はきっと、大人になってしまった私たちにかつての子どもの時に感じた感覚を、取り戻させるひとつのツールになるんじゃないかと思います。<br />
<br /></p><br />
<br />
<br />
<p><strong><big>絵本美術館の仕事</big></strong><br />
<br />
<img alt="美術館外観_copyright_2.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E5%A4%96%E8%A6%B3_copyright_2.jpg" width="170" height="138" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />
――絵本美術館では通常どんな仕事をされていますか？<br />
<br />
小さな美術館でスタッフも少人数です。美術館を開けてお客さんを迎え入れて、それから展覧会を定期的にしていくという、美術館の接客というものが主になります。あとは、当館はワイルドスミスのアジア地区の代理人でもあるので、画像などの著作権管理。それからショップがあるので、いろんなグッズを自分たちで作ってます。<br />
<br /><p style="clear:both;">
――自分で作っているのですか！　お客さんの反応というのはどうでしょうか？<br />
<br />
子どもはやはり、あまり原画は見ずに、絵本に飛びついていって開いたり、絵本と関係なく走り回って遊んでいたりします。当館が建っているのが静岡の伊豆高原という立地なので、観光施設という役割が非常に強いです。お客さんは伊豆に来た、いろんな美術館や施設の中の一つとしていらっしゃるので、ワイルドスミスを知らない方も非常に多いです。層としては、10代から20代のカップルや年輩の方など、特に大人の女性が多いです。赤ちゃんなど家族連れは、GWなどの期間、非常に多いですが、年間を通して大人の方がいらっしゃることが多くて、やはりそういう方は、はじめに言ったように、ワイルドスミスの色彩にすごい魅了された、嬉しかったとおっしゃいます。<br />
<br />
<img alt="bw and children.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/bw%20and%20children.jpg" width="170" height="129" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />
――イギリスではどういう評価をされていますか？<br />
<br />
だいたい1960年代ぐらいから、絵本の第二次黄金期と呼ばれるものが、イギリスで始まるんですけれども、そのきっかけを切り開いた偉大な絵本作家としての尊敬を集めています。<br />
<br />
――お仕事は楽しいですか？<br /><p style="clear:both;">
毎日ワイルドスミスの絵に囲まれて仕事をしているので、またお客さんとも、毎日の仕事の中で接することができるので、楽しいです。何より、ワイルドスミスと直接話せることが、一番嬉しいですね。彼から「Dear Sayumi」とFAXが届くたびに、幸せだ！と心から思います。<br />
<br /></p><br />
<br />
<br />
<p><strong><big>絵本の力、可能性</big></strong><br />
<br />
――絵本の可能性、絵本の力とはどういうものですか？<br />
<br />
<img alt="BW_挿絵_copyright.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/BW_%E6%8C%BF%E7%B5%B5_copyright.jpg" width="200" height="298" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
日常わたしたちは仕事とかをしていると、計算や言葉で何かを伝えなきゃいけないという割合が、多く占めると思うんです。いわゆる芸術的とか直感的なものへの切り替えが、うまくできないということがあるので、生きていく苦しさにもつながってくるのじゃないかなと思うのです。そういう人たちにとって、絵本を常日頃開いて想像を巡らせて、自分の体や五感全部をフル活動していろんなことを感じ取って、絵本に身を投げ込んでもいいような時間は貴重です。体の中のざわめきとか、言葉にできない感覚をつかむ。絵本を開いて絵本で訓練していくことで、生きる感覚や色んなアイディアにつながると思うんです。<br />
それから絵本は、ページを繰って終わったらそれで終わりと、私たちは思いがちですが、ワイルドスミスは自分の絵本をきっかけに、さらに皆さん一人ひとりが、自分の物語を想像していってほしい、その想像のきっかけとして自分の絵本を使ってほしいと言います。<br />
例えば『ABC』の絵本でゾウが描かれていますよね。ワイルドスミスは、あなたが例えばゾウを赤い色に塗ればそれでいいのです、それがあなたのゾウなのですと言います。そういうのがすごく素敵だなと思います。<br /><p style="clear:both;">
<br />
――「アクティブ・イマジネーション」というか、自分で作るということを言うんですね。<br />
<br />
そうです。どんどん自分で描いたり、物語を作ったり、日常的に楽しんでほしいということを、よく子どもたちに対して言っていますね。<br />
<br />
――いま日本では、絵本を読む人口は多いですか？<br />
<br />
多くなってきていると思います。絵本を作りたいっていう方も多くなってきているように思います。保育学校や美術学校の方が、先生と一緒に学校単位で来られることが、多くなりました。<br />
<br /></p><br />
<br />
<br />
<p><strong><big>子供と大人の世界を行き来するワイルドスミス</big></strong><br />
<br />
――藁戸さんが一番好きな作品について教えてください。<br />
<br />
<img alt="animals ひょう_copyright.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/animals%20%E3%81%B2%E3%82%87%E3%81%86_copyright.jpg" width="300" height="126" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />『どうぶつ』（原題：Wild Animals）です。私は絵本を開いた時に、絵本の中の文字が非常に煩く感じる時があるんです。文字を読むことで、スッと絵本に入れなくなる。そういう意味で、『どうぶつ』などは、「何かいる。あっ、これがヒョウなんだ。なんかこう、叫んでる。」などと感じてほしいから、きっと画面いっぱいに絵を描いてる<p style="clear:both;">んだとも思うんです。だから非常に、私にとっては読みやすい、世界に入りやすい絵本なので一番好きです。<br />
<br />
――最後の質問です。ワイルドスミスさんが子供のとき、丘の上の向こう側をいつも見て、すごく気になったと言われましたが、それはどんな気持ちの表れなんでしょうか？<br />
<br />
<img alt="PaformanceForChildrenInSoweto,SouthAfrica1982.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/PaformanceForChildrenInSoweto%2CSouthAfrica1982.jpg" width="170" height="140" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
要するに子どもは、目の前のことしか考えないから、向こう側のことは考えないと思います。でもワイルドスミスは、丘の向こうに何かあるって考えていた。もしかしたらワイルドスミスは、子どもと大人の両方の世界を行き来できる力を持っている人じゃないんでしょうか。だから生死の問題も当然考えるし、目の前のことも考えるし。子どもがそのまま成長すると非常に困るでしょう。大人だけしかないのも柔軟性が無くなっちゃうから、すごく困るんです。子どもと大人の境目のところを初めて掘り起こした人がワイルドスミスじゃないでしょうか。<br /></p><br />
<br /><p style="clear:both;">
<br />
<small>（2011年5月　株式会社AZホールディングスにて収録。　聞き手：津田広志）</small><br />
<br />
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<br />
<br />]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>Vol. 05：「これが私の真実だ」と感じれば、演劇になるのです。</title>
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    <published>2011-04-22T10:24:51Z</published>
    <updated>2011-06-14T08:36:15Z</updated>

    <summary>アメリカと日本の映画演劇事情に精通するシカさん。お芝居に挑む人の「心がけの基本」を語っていただきました。 シカ・マッケンジー ／演劇ファシリテーター、コメンテーター 関西学院大学社会学部卒。「演技の手法は英語教育に取り入れられる」とひらめき、1999年渡米。以後ロサンジェルスと日本を往復しながら、俳優、通訳、翻訳者として活動。教育の現場では、俳優や映画監督の育成にあたる。ウェブサイト英語劇ドットコ...</summary>
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    <category term="演劇" label="演劇" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<br /><br /><p><big>アメリカと日本の映画演劇事情に精通するシカさん。<br />お芝居に挑む人の「心がけの基本」を語っていただきました。<br /></big>
</p>
<br />
<br />
<br /><p><a href="http://www.a-m-u.jp/voice/voice_shika.jpg"><img alt="voice_shika.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2011/04/voice_shika-thumb-200x141-649.jpg" width="200" height="141" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a>
<strong>シカ・マッケンジー ／演劇ファシリテーター、コメンテーター</strong><br /><br />
<small>関西学院大学社会学部卒。「演技の手法は英語教育に取り入れられる」とひらめき、1999年渡米。以後ロサンジェルスと日本を往復しながら、俳優、通訳、翻訳者として活動。教育の現場では、俳優や映画監督の育成にあたる。ウェブサイト英語劇ドットコムを通じ、日本各地で英語劇ワークショップを開催。訳書に、全米の俳優が必読書に掲げるステラ・アドラー『魂の演技レッスン』、ウタ・ハーゲン『役を生きる演技レッスン』、そしてウィリアム・M・エイカーズ『映画脚本100のダメ出し』（いずれもフィルムアート社）がある。</small></p><br />
<br />
<br />
<p><strong><big>アメリカで人気のオープンマイクとは？</big></strong><br />
<br />
――アメリカで今、人気のオープンマイクとはどういうものですか？<br />
<br />
「誰でもが飛び入りで、参加できる発表の場」がオープンマイクです。日本だと、自分の曲を演奏したいミュージシャンの人たちによく知られている場ですが、アメリカでは、役者たちがやっています。ニューヨークでは、舞台役者が多く、Ｌ.Ａ.には、ハリウッドがあるから映画の役者が集まります。このＬ.Ａ.の役者というのは、非常にキャリアのある人でも、オーディションに行っては落ちつづけます。需要に対して、供給が多すぎるのです。来場する俳優が自由に演技を披露できる、この「オープンマイク」が大成功しています。<br />
結構キャパが大きいGreenway Court Theatreという場では、月に1回、平日の夜に主催者が場を借りて、司会者が楽しく盛り上げながら、７分持ち時間を演技のために与えてもらえる。7分近くなってきたら、音楽がジャジャジャン！と鳴って、途中であったとしても入れ替える。内容は、詩の朗読や、自分が練習しているシーン、またはオリジナルで、コメディの脚本の発表とかいろいろ。隠し芸や素人のど自慢大会みたいではなくて、本当に演技を、シリアスにやっているのをお客さんに見てもらって、自分の演技はこれでよかったのか、お客さんのあたりを見て肌で感じるという場です。またＬ.Ａ.でやっているオープンマイクには、審査員もいないんです。批評、コメントをする人は誰もいないから、自分でウケたウケなかったというのを感じ取って、糧にしていくのです。<br />
<br /><br />
<p><strong><big>「ドラマの原理」を皆が共有すること。</big></strong><br />
<br />
――ロサンジェルスのそういった文化をいつも地肌で感じていらっしゃるシカさんから見れば、逆に日本はどう見えますか？<br />
<br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/voice5.2.jpg"><img alt="voice5.2.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2011/04/voice5.2-thumb-200x141-658.jpg" width="200" height="141" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a>日本では、どう活動したらいいのか皆さんわからないんじゃないかと思うんです。Ｌ.Ａ.では、サミュエル・フレンチ（Samuel French）という映画・演劇だけしか扱わないという専門の書店が、ハリウッドとスタジオ・シティにあります。この書店が、情報ソースになっている。アリストテレスに始まって、シェイクスピア、スタニスラフスキー、そして最新のオーディション情報誌まで全部あって、役者になりたい、でも何していいかわからない人は、とりあえずそこにさえいけば、一通りの情報が入るようになっています。本以外にも、 そこは脚本の版権エージェントも兼ねていて、これ上演したいんだけど、と言うと、上演権売買の仲介もやってくれる。私の知る限りは、日本はまずそういう専門書店の情報がないですね。<br />
それから、アメリカがやりやすいなと思うのは、体系的に考え方の交通整備がされているということ。演出家さんも、映画監督さんも、脚本家さんも、俳優さんも、編集さんも、全部が「ドラマの原理」という共通の考えを知っていて、どの科目に足をつっこんでも、結局同じことを言っているというのが、私にとってはすごく安心感があります。例えば彼らは、アリストテレスまで遡るんです。「僕がじゃなくて、アリストテレスが言ってんだ」という話が出てくるんですね。ドラマとは、異なる考えを持つ２者が対立をする、その葛藤を、対立をする様を見せることが「ドラマの原理」なのです。それが頭に入っていれば、どんなジャンルにいっても、たとえ前衛をやるにしても、それは基本を押さえてわかっておきながら、崩していけるわけなのでまったく怖くない。<br />
<br />
――日本の場合、ほかに何か足りない点がありますか？<br />
<br />
日本は、伝統芸能の影響を引きずっているせいか、例えば、客席全部を感動させる意気込みでやりなさい、という先生がいるという話を聞きます。でも全員が感動するというのはあり得ないじゃないですか。賛否両論でいいと思うんです。例えば、イプセンの『人形の家』だって初演時は、喝采した人と、大反対した人と、パカーンと半分に分かれたっていいます。だからこそ、「一石を投じる」というか、重要な問いを投げ掛けた。当時の社会に大きく影響を与えたんです。<br />
もしかしてこれは誰にも分かってもらえないかもしれないけれども、私にとってはどうしても真実なので、言うしかない。そういう「自分なりの真実」にコネクトできるか。またその劇のトレーニングや教育が必要ですね。それこそが人の心にタッチして、ああ真実だっていう感動を与えると思います。今期（2011.3−６）のamuのテーマは、「野生のデザインをつくろう」ですが、お客さんというのは、すごい野生の目を持っている筈なんですよね。形だけの整えた演技を見た時に、これどうも嘘なんじゃないの？と心に感じてしまって、演劇はさして好きじゃない、見たくもない、となってしまうのではないでしょうか。<br />
<br /><br />
<p><strong><big>ウタ・ハーゲン　エクササイズとは？</big></strong><br />
<br />
――日本では、「キャラを演じる」といいます。キャラの存在が元々あって、キャラの方が、本当の存在より優先しやすい。日常の中でもあると思うんですけれども。<br />
<br />
そうなんです。キャラがたってもいいと思うんですけど、そこにあなたの真実はあるんですか？っていう問いかけをしてしまいます。逆に誰も分かってくれなくても、これがほんとの私だ、と言えれば怖いものがないと思うんですよ。真実というのはすごい小ちゃいことで、素のあなたでいいんです。<img alt="RESPECT FOR ACTING-thumb.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/RESPECT%20FOR%20ACTING-thumb.jpg" width="100" height="146" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />そこでウタ・ハーゲン（アメリカで最も尊敬される演技教師）の2分間エクササイズが、ものすごい助けをしてくれます。素のあなたが、生活で2分間何をしていたかを、目の前でやってみてください、そうお題を出すと嘘をつけない。「私こんなでいいですか？」と思いながら演技している人とか、「見せよう」といういやらしい気持ちを持ってしまうとか、噓つく人っていうのは、２分間走り回っても、逆に面白くないんです。だからそのエクササイズを、発表までもっていくためには、まず自分が、家で２分間なにをしてるだろう？というのを、感覚で捉えないといけない訳です。私いまマウスをこっちの手でこうやってクリックしたわ、とかね。<br />
<br />
――そうするとそれは、想像力や記憶力もいりますね。わざとらしさを取るにはどうすればいいのでしょうか？<br />
<br />
わざとらしいことすれば、見ている人は一発で見抜くと思うんです。逆に真実がポロっと出たときに、みんながわっと笑うんですね。現実が、パッと出た瞬間に。それはもう何にも代え難い、私にとっては一枚のチケットを買って劇に行く価値をはるかに超える、珠玉の瞬間なんですよね。何年経ってもその人のその瞬間っていうのは忘れないんです。その人個人のことが好きか嫌いかじゃなくて、その瞬間というのが、すごく愛おしい。<br />
――例えばお茶を一杯飲むにしても、その時にその人ならではの、リアリティがある。<br />
<br />
そうなんですよ。それが日常生活ではなく、舞台っていうスペースで、作為的にクリエイトしたものだからこそ、強烈に出る。あのウタハーゲン・エクササイズをやると、自分で自分のことが分かるようになるんです。どんな演劇コースにいって、習ったとしても、先生は見たものに対して、コメントしてくるんです。だけど、自分の中で何が起こっていたか、というのは自分にしか分からないことです。先生の言ったことと、自分がさっきやったことの、記憶とをすりあわせながら、本当は何やったらいいんだろうか、ってことを自分で再構築していかないと役者は伸びていけないと思います。たまに先生に、「お前そのやり方は違うだろ！」と言われて、喜んでいる人がいるんですが、教える側も習う側も、それじゃダメだと思う。精神のクリエイトしたものを全否定してはいけない。ダンスの型じゃないんです。正解はどこにあるんだ、というと多分ないんですよね。その人自身が、自分なりの真実を見つけていかないといけないんです。自分でんんっ...とか考えて、「ああ、私噓つきました」とか言えるようになってくるそれが、わざとらしくない演技、真実性のある演技へのスタートラインでしょうね。<br />
<br />
<br />
<p><strong><big>お守りとなるメンターや本を見つけること。</big></strong><br />
<br />
――演劇を日常に活かせる、ということはありますか？　シカさんが演劇を勉強されていて、自分の日常や生き方、あるいは生徒さんを見ていて、変わったなというのは？<br />
<br />
去年から12月は、エドガー・アラン・ポーの「大鴉」っていう詩を、朗読することにしようと決めています。ポーの詩なので、岩波文庫とかから立派な日本語の訳が出ているんですよね。だけど私の教室では、「My訳」といって、あなただけの訳をつくってくださいと言います。俳優さん、女優さんの「My訳」というのは、どこまで脱線しても構わないから、自分の言葉で、好き放題に言っていいって言ったんです。日本語を更に翻訳して、自分とコネクトしないと、詩はできないのです。その詩っていうのが非常に孤独なんです。真っ暗で、外はすごい荒れています。雪も降ろうとしている、暗い部屋に一人いて、想像の世界では、「ああ、こんな雪の日に来るやつなんて、だれもいないか」みたいな想像をする。皆さんこの訓練が分岐点になって変わっていきました。自分に正直になる。そしてストレートにマテリアルと対峙することによって、名作であれば、自然に自分のいいところを引き出してくれるのです。<br />
<br />
――でいまの若い人、演劇に関心がある人に、メッセージを送るとしたら何かありますか？<br />
<br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/voice%E7%94%A82.5.jpg"><img alt="voice用2.5.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2011/04/voice%E7%94%A82.5-thumb-200x150-653.jpg" width="200" height="150" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></a>
自分の真実っていうこと、それしかないと思うんですよね。あとは、苦境にある人へは、メンター（良導者）みたいな相談できる人がいると思います。その道の大先輩っていう人がいればいいんですけど、それも、自分の聞きたいことを言ってくれる訳ではないですよね。そうすると、例えばお守りみたいな本があるといい。たとえばステラ・アドラーの『魂の演技レッスン』は、自分の困った時とかしんどい時とかに読んで、励みにする人が多いと思う。またはもう死んでしまった人物をお守りにする。私の場合、「ローレンス・オリヴィエがこれを見たら何て言うだろう？」と想像するだけでスカッとする。勝手な想像ですけど、下を見ないで、上を見ることができるんです。<br />
私生活でもそうじゃないですか？　ネガティブなところって、いちいち時間を割いていたら、そっちの方で、腹が立ったりする。だけどそういったものをパン！と切り捨てて、自分のもっと理想とするところに近づくような動きをしていくべきですよね。<br />
<br />
<br />
<small>（2011年4月　株式会社AZホールディングスにて収録。　聞き手：津田広志）</small><br />
<br />
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<br />
<br />]]>
        
    </content>
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    <title>Vol. 04：光の言葉、普遍言語へ。</title>
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    <published>2011-02-01T04:02:26Z</published>
    <updated>2011-02-10T03:18:01Z</updated>

    <summary>EnglishからGlobishへ。 世界共通語の奥にある「光」を感じること ロジャー・パルバース ／ ROGER PULVERS  作家、劇作家、演出家。東京工業大学世界文明センター長。NHKテレビ番組「ギフトE名言の世界」司会／解説者を務める。1944年NY生まれ。UCLAおよびハーバード大学大学院で学ぶ。ワルシャワ、パリに留学後、67年に初来日。72年にオーストラリア国立大学に赴任し日本語や...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.a-m-u.jp/voice/">
        <![CDATA[<br /><br /><p><big>EnglishからGlobishへ。<br />
世界共通語の奥にある「光」を感じること<br /></big>
</p>
<br />
<br />
<br /><p><a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2011/02/01/roger_words_profile_re.jpg"><img alt="roger_words_profile_re.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2011/02/roger_words_profile_re-thumb-140x104-400.jpg" width="140" height="104" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 5px 20px 20px 0;" /></a>
<strong>ロジャー・パルバース ／ ROGER PULVERS </strong><br />
<br />
<small>作家、劇作家、演出家。東京工業大学世界文明センター長。NHKテレビ番組「ギフトE名言の世界」司会／解説者を務める。1944年NY生まれ。UCLAおよびハーバード大学大学院で学ぶ。ワルシャワ、パリに留学後、67年に初来日。72年にオーストラリア国立大学に赴任し日本語や日本文学を講義。 82年映画『戦場のメリークリスマス』で助監督をつとめたあと再び来日し演劇活動をおこなう。文化庁長官表彰　（文化発信部門　２０１０年）、第27回テヘラン国際映画祭脚本賞受賞「明日への遺言」、第18回宮沢賢治賞受賞など。主著に『ほんとうの英語がわかる51の処方箋』（新潮選書）『新バイブル・ストリーズ』（集英社）『英語で読み解く賢治の世界』（岩波書店）等多数。</small></p><br />
<br />
<br />
<p><strong><big>外国語は、天文学に似ている</big></strong><br />
<br />
――パルバースさんは、英語、日本語、ロシア語、ポーランド語の4ヶ国語を習得されていますが、その熱意はどこからくるのですか？<br />
<br />
もともと私の趣味は、天文学です。天文学は、外国語ととても似ているところがあります。宇宙は、奥へ入ってもまだその奥があり、"beyond"つまり、その先にまた別の世界があるんじゃないかと思わせるものがありますね。外国語もそうです。ネイティブスピーカーはその言語を自在に使いこなせますが、単語の裏にある形而上学的な意味はつかめません。言葉の奥の奥にある意味をどう掴むか。これはむずかしい。たとえば"体外離脱 out of body"という言葉がありますよね。外国語を学ぶことはこの"体外離脱"体験に近いと思います。自分の存在から脱出し、外国人の世界に入り、自分とは違う客観的な視点を手に入れること。つまり「第3者」になるようなプロセスを体験できる、それが外国語を学ぶことではないでしょうか。私が"体外離脱"体験をしたのは、私の口から初めてロシア語で話した時でした。それが相手に通じたときに、「自分が違う人間」になったように思ったのです。<br />
<br />
――それは難解にも聞こえますが、ようは「言葉の芯を掴む」ということですか？<br />
<br />
そうです。スポーツができたり、編集ができたりという才能・能力が存在しますが、そういうことではない人間の深い奥のアイデンティティ、つまり「人間存在の謎」そのものが言葉の裏には潜んでいるんです。「私が私である」ということは、やはり言葉の奥に潜んでいる謎なのです。<br />
<br />
――哲学者のハイデッガーの言葉に、『言葉は存在の家である』という有名な言葉がありますね。<br />
<br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2011/02/01/DSCF0710_rere.jpg"><img alt="DSCF0710_rere.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2011/02/DSCF0710_rere-thumb-200x146-413.jpg" width="200" height="146" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a>そうです。人間は言葉そのものなのです。言葉は、意識を表現する媒体であり、意識はイコール「生きている」ということですよね。でも、人間は死んでも意識が残るのではないでしょうか。これは宗教的なことではなく、「言葉の形が残る」と思うのです。宮沢賢治の『春と修羅』の序に、「ひかりはたもち　その電燈は失はれ」という一節があります。「電燈」とは、体であり、死にゆくもの。しかし精神から出てくる「ひかり」＝光は永遠に残る。そして、この「ひかり」というのが言葉なのだと思います。</p><br />
<br />
<br />
<p><strong><big>光の言葉、普遍言語とは？</big></strong><br />
<br />
――例えば、そういった言霊にも近い「光」が感じられる日本語の文章というと、どんな言葉があげられるのでしょうか。<br />
<br />
日本の宮沢賢治は「光の作家」だと思います。20世紀の人間ですが、これからの21世紀の諸問題に立ち向かった作家だと思います。人間の心を一番深く表現した作家が賢治だと思います。しかし多くの人は、彼を表面的に理解しています。たとえば「雨ニモ負ケズ」においては、これは「雨に負けない」という精神論を説いているのではありません。英語に訳すと「strong in the rain」です。強い雨、激しい雨にさらされた人間が、雨という過酷な自然のなかでぎりぎり「生きる」という意味です。もっと身体を使ったぎりぎりの表現であり、そこが素晴らしいと思います。<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2011/02/01/41oWiHYQgNL._SL500_AA300_re.jpg"><img alt="41oWiHYQgNL._SL500_AA300_re.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2011/02/41oWiHYQgNL._SL500_AA300_re-thumb-120x188-407.jpg" width="120" height="188" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 5px 0 20px 20px;" /></a><br />
そして、激しい雨に象徴されることや、「他人の問題を自分の問題」だとする姿勢が宮沢賢治にあります。他人の悩みに対して、シンパシーを持つということは大事ですが、人の問題を自分の問題だと「背負った」人なのです。<br />
その「背負い」をきびしく美しく表現した賢治が日本人だったということは、誇りに思っていいと思います。ただ、賢治が日本語で語ったから素晴らしいのではなく、賢治の考え方が「普遍言語」であったことが重要です。ここが大事なのです。われわれ人間存在の深くに、身体を通して「光」があり、全員の中に「普遍言語」としてあるのです。すべての単語の裏に感情、過去、思想といったものが込められています。皮肉が込められていたり、本心からではなかったり、同じ単語でも、まったく違う意味を帯びてくることがあります。そしてそのもっと奥（beyond）に、国民性や民族性すら越えた、「光」＝「普遍言語」というべきようなものがあるのです。</p><br />
<br />
<br />
<p><strong><big>Globish時代、外国語を学ぶ意味</big></strong><br />
<br />
――世界にいる人間たちの、その苦しみも含め抱擁する偉大な言葉、それが「言語」であり、「普遍言語」としてある、という意味ですね？<br />
<br />
　別の角度からいえば、私は、日本語が他の言語と比べて、表現豊かな言語とは考えていません。日本語を特殊だと思ったこともないのです。日本語はよく「曖昧な表現」だと言われますが、そうでしょうか。英語でだって、答えるときに「Yes and no.」という言い方があり、とても曖昧です。人類は、太古、同じ大陸に住んでいました。そして同じ言語を使っていました。しかし人々は遠くへさまよったりして、あっというまに、いろんな言語ができました。しかし、根は同じ「普遍言語」をもっているのではないでしょうか。<br />
<br />
――では、今のこのグローバル化の中で、言葉はどうなっていくと思われますか？<br />
<br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2011/02/01/DSCF0706_re2.jpg"><img alt="DSCF0706_re2.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2011/02/DSCF0706_re2-thumb-200x159-410.jpg" width="200" height="159" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a>200年前、産業革命が起こる前では、まさか今のように「英語」が世界の「共通語」になるなんて誰も考えていませんでした。ふつう「共通語」は「リングアフランカ」(lingua franca)といいます。この「リングアフランカ」とは、実は「フランスの言葉」という意味なんです。かつてヨーロッパでは、フランス語のほうがメジャーだったので、フランス語が「共通語」と考えられたのです。当時は、スペイン語が「共通語」になった可能性もあります。それが今は英語になりました。これからはEnglishが「共通語」として、Globishになる時代だと言われています。しかし大切なのは、ネイティヴのように英語を話すということだけが重要ではなく、「普遍言語」を理解するということなのです。<br />
<br />
――今後、外国語を学ぶとはどういうことなのでしょうか？<br />
<br />
語学を学ぶということは、ほんとうは、「私はあなたなのだ」「自分は自分だけではない」ということを理解することなのです。それが実際に、リアルタイムで実現することなのです。それが外国語を学ぶことではないでしょうか。核やテロリズムといった危機に直面した今、それを防ぐのは、まずは相手の言葉を知ることです。理解には言葉しかないと思うのです。そのためにまずは言語をマスターすることです。しかし、そればかりでは、ビジネス会議はできたとしても、ほんとうに相手が何を考えているかということはわかりません。「普遍言語」を知るには、その民族の歴史、宗教、思想、文学、芸術、食文化...さらにその奥にある「光」の感覚をどう感じるか。自分という殻を脱ぎ捨てて「私はあなたなのだ」という世界に踏み込む共感の"beyond"の体験なのです。</p><br />
<br />
<br />
<small>（2010年11月　東京工業大学 世界文明センターにて収録。　聞き手：津田広志）</small><br />
<br />
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<br />
<br />


　

]]>
        
    </content>
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    <title>Vol. 03：デザインで問題解決していますか？</title>
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    <published>2010-12-28T05:15:00Z</published>
    <updated>2011-02-10T03:16:15Z</updated>

    <summary> 　　　白紙から考えを設計し、 　　　個人と企業を成長させる 　　　問題解決のためのデザイン ウジ トモコ  株式会社ウジパブリシティー代表、アートディレクター（デザインマーケティングカフェ主催） 多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。広告代理店および制作会社にて三菱電機、日清食品、服部セイコーなど大手企業のクリエイティブを担当。デザインを 経営戦略として捉え、採用、販促、ブランディング等で飛躍的...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.a-m-u.jp/voice/">
        <![CDATA[<p>
<br />
<big>　　　白紙から考えを設計し、<br />
　　　個人と企業を成長させる<br />
　　　問題解決のためのデザイン</big><br /></p>
<br />
<br />
<br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/12/24/ujitomoko_photo.jpg"><img alt="ujitomoko_photo.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/12/ujitomoko_photo-thumb-120x137-342.jpg" width="120" height="137" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 12px 20px 0;" /></a><p><strong>ウジ トモコ </strong><br />
株式会社ウジパブリシティー代表、アートディレクター（デザインマーケティングカフェ主催）</p><br />
<p><small>多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。広告代理店および制作会社にて三菱電機、日清食品、服部セイコーなど大手企業のクリエイティブを担当。デザインを 経営戦略として捉え、採用、販促、ブランディング等で飛躍的な効果を上げる「視覚マーケティング」の提唱者。ビジュアルディレクターとして数多くの企業の 新規事業開発、事業転換期のデザイン戦略を立案。視覚戦略を駆使したパフォーマンスの高いクリエイティブに定評がある。<br />
ちばデザイン塾(千葉工業大学主催)、日本マーケティング研究協会、やまなしものづくりデザイン塾講師などセミナー多数。<br />
著書に『視覚マーケティングのススメ』、『売れるデザインのしくみ』などがある。</small><br /></p>
<br />
<p><strong>長谷川敦士</strong><br />
株式会社コンセント代表、ａｍｕディレクター、NPO法人人間中心設計推進機構理事、IAAJ主宰。<br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/about.html#section03">詳細プロフィールはこちら</a><br /></p>
<br />
<br />
<br />
<p><big><strong>問題解決と差別化のデザイン</strong></big><br />
<br />
<strong>ウジ</strong>：日本ではいまだにアートとデザインの違いがまだまだはっきりと認識されていないなぁと感じる事は多いですね。アートが終わりのない概念や表現の探求であるのに対して、デザインは前提としてマーケットもあるし、課題もあるし、ゴールもある。デザインというのは、問題も解決しないといけないし。<br />
<br />
<strong>長谷川</strong>：私は、デザインはエンジニアリングだと思っていますね。エンジニアリング、つまり工学ですが、タイヤをつくる、ねじをつくるっていう技術的な話もあるけれど、広い意味では問題を解決するということですよね。<br />
<br /></p>
<p><strong>ウジ</strong>：そうですね。デザインでは、問題解決しなくてはいけない。あと、実はもう1つあるなぁと思っていて、「視覚マーケティングのススメ」に実は以前から書いていていたんですがつまり、デザインには、機能としてのデザインと存在としてのデザイン、この二つがある。と思うんです。そしてどちらが、でなくどちらも大切なんです。ところが機能派と存在派がさっきのアートとデザインの話じゃないですけど、双方の不理解から遊離してしまいがちなケースが多くて。かつて、マス媒体で一商品に億単位の宣伝費という時代が確かにあったと思うんですが、その時の名残と言うか「デザインがクールなんだから、機能はあきらめてくれる？」みたいな雰囲気が未だに残っているんですよ。もちろん逆もあると思いますが。そういうのって、今時どうなんだろう。日本の退化を招いていませんか？<br />
<br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/12/27/20_original_re.jpg"><img alt="20_original_re.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/12/20_original_re-thumb-280x187-363.jpg" width="280" height="187" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 10px 20px 20px 0;" /></a><strong>長谷川</strong>：それに、何よりも当時は、まず他のブランドや商品との差別化をしてキャラを立たせることが一番に求められていたからですね。<br />
<br />
<strong>ウジ</strong>：でも、大きなマーケットに大きく宣伝をしてただ売ればいいという時代は既に終わりましたし、小さな価値あるものものがたくさん可視化されている時代ですし。<br />
<br />
<strong>長谷川</strong>：キャラ立てというか差別化というか、それを見るにはデザインを決める際の競合プレゼンというのは有効ではありますよね。でも、存在のアイデンティティは明らかになっても、そのキャラで進めたときの機能性については、競合プレゼンではわからない。<br />
<br />
<strong>ウジ</strong>：そうですね。うちではもう競合コンペとかにほとんどでていないので、twitterなんかでみかけるんですが、8社競合とかって（社会コスト的にも）本当にもったいないなぁと思います。<br />
<br />
<strong>長谷川</strong>：これまでのマスの時代はキャラを立たせることが第一だったから、それが得意な制作会社が残ってきたけれど、今なお、それは意志決定者の中にも残っていますよね。デザインプロジェクトを買う、という意識は少ない。
私が代表を務めるコンセントではクリエイティブのフェーズというのは制作の中盤以降なんです。それ以前に、リサーチとか、提供価値は何なのかという検討をし、それに基づいて、どういうコミュニケーションをとりたいかという提案が固まり、その上でキャラを立てるためのモチーフがやっと決まる。プレゼンへも、デザイン案よりそういったプロセスを持って行くことが多いのですが、そういう発注体制を持っているクライアント企業というのは絶対数が多くはないですね。</p><br />
<br />
<br />
<p><strong><big>前例主義から脱却し、白紙から設計する</big></strong><br />
<br />
<strong>ウジ</strong>：インフォメーションアーキテクチャとかペルソナといったことは、よくわからないから取り入れられないというのはあると思うんですよね。<br />
<br /></p>
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/12/27/25_original.jpg"><img alt="25_original.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/12/25_original-thumb-220x166-369.jpg" width="220" height="166" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a><p><strong>長谷川</strong>：わからないから手を出せないというのはそうですね。でも、何がわかっていないかをまじめに考えていないということもあると思いますね。ビジネスマンのプレゼン資料も、詰め込みすぎていてわかりにくいものが多いけれど、そこに問題があるということがまずわかっていないんだと思います。何がいいもので、何がまずくてということと、どういう風にそれを見るべきかという視点を持っていなくてはいけない。日常、パワーポイントでの資料をどんどん作っているような企業の中堅どころで企画に携わる人には、ぜひそういった視点を持ってもらいたいと思いますね。いま巷にはプレゼン資料の作り方の本が溢れていますよね。そういったニーズはあるんだと思いますが、でもまだきちんと問題が認識されていない段階なのでしょう。<br />
<br />
<strong>ウジ</strong>：わかりにくい企画書が多いというのは、前例主義で、ダメなテンプレートをバッドコピーしている状況だと思うんです。言ってしまえば、ダメな秘伝のたれを使いまわしているという状況。そもそも、それは何なのか、という白紙のところから作るから企画書なのに。そもそも、情報とは？デザインとは？というところを、小中学校の時に、きちんと白紙から設計してアウトプットする訓練があれば、あんなにダメな資料は生まれないと思うんです。というかその「思考の癖」は危機ですよね。危機感をもっと持たなくちゃいけないのでは。<br />
<br />
<strong>長谷川</strong>：情報教育も、だからゼロから考えさせればいいんでしょうね。<br />
<br />
<strong>ウジ</strong>：情報教育については、情報リテラシーということではよく教えられていると思います。最近の人の方が、情報を鵜呑みにしないとか、必ず裏を取ったりしようとするので。ただ、アウトプットをどうやるかということや、自己表現、つまり人に伝えるための基本的な技術の部分がまだまだ不十分ですよね。<br />
先日、八戸市のセミナーの講師に招いて頂いて、翌日十和田現代美術館に地元の方に連れていっていただいたのですが、素晴らしかったですね。現代アートの概念やリテラシーのない人のためにもきちんとゼロベースから考えられていて、UX（ユーザーエクスペリエンス）がきちんと導線に組み込まれていました。現代アートがより体験デザインに近いというのはもちろんあるからかもしれませんが。そこの特認館長の方と話していたのですが、義務教育なんかでのものづくりの授業、あれがそもそもいけないのではないか、と。図画工作とか技術家庭科で本棚とかエプロンといったものを「今日はこういうものを作りましょうね」って、作る前に見せられのですが、実際、その作る前に見せられた、見本に近づけたものが評価されるので、優等生で頭のいい生徒ほど創造性で枠から飛び出すことができなくなる。知性派で企業のブランド担当なのにつくるデザインの資料が『え？』というものが出来上がる。何かにそっくりだったり、デザインされていなかったり、創造的なものづくりに適した資料が作れない人が増えるのだと思います。</p><br />
<br />
<br />
<p><strong><big>デザインを取り入れることで企業は幸せになれる</big></strong><br />
<br /></p>
<p><strong>ウジ</strong>：会社のツール（ウェブも含めて）を作る時には、そのツールは会社のいわば分身みたいなもののはずなのに、いつもなにかの成功事例を追いかけていて「どこそこの企業みたいな」っていう願望は未だ強いんですよね。「優等生を目指さなきゃいけない」って、もう刷りこまれてしまっているんです。他社と同じでいいはずがないし、その会社の中でも紙があって、ウェブがあって、営業があって、工場があってというところから考えたら、デザインのアウトプットってそもそも同じになるはずがない。<br />
<br />
<strong>長谷川</strong>：言い訳としての説明、反論としての説明じゃなく、ストーリーが担当者の中できちんと腑に落ちていなくて、それで説明できないというのが原因でしょうね。<br />
<br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/12/27/38_origina_rel.jpg"><img alt="38_origina_rel.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/12/38_origina_rel-thumb-220x166-371.jpg" width="220" height="166" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a><strong>ウジ</strong>：会社案内や企業のリ・ブランディングのオーダーは多いのですが、一般的な意識としての会社案内の基準になっているもののほとんど＝「秘伝のたれ」はバブル期、予算がたくさんあって、大小どんな会社も作っていたころのものだったりします。そういう作りのものって、表紙から静かに始まって、クライマックスが真ん中にあって、最後に社長の概要説明とかで締める。でも、今は情報の概念自体が変わっているので、構成は逆になります。つまり情報として読む価値のあるものが最初、その後で詳細のデータ、載せきれないものはウェブへ、という流れですね。<br />
<br />
<strong>長谷川</strong>：最近は何の会社かすぐにはわからないような複合的な会社も多いと思うんですが、そういった会社の場合、理念とか抽象的なことがたくさん書いてあるけど、読んでもよくわからない。ビジョンはあってもきちんと表現に落とし込めていないんですよね。即物的すぎると思われるような表現になるんだけれど、具体的に見せることをしないとだめで、そしてそれをウェブならトップ、紙なら最初のページに置く。大事なことから言うべきで、ファクトシートとかそういうことはどこかにありさえすればいい。こういう提案には慣れていない方が多くて、いざ原稿を作るとなると、元にすべき素材や表現がなくて戸惑うのですが、これまで、いかに人から見られるアプローチをしてこなかったかに気づいていただけることが多いですね。<br />
<br /></p>
<p><strong>ウジ</strong>：デザインを戦略的に使ってもらうことにより、しあわせになれる小さな企業は日本中にたくさんあると思うんです。今はまだ小さな動きですが、今から少しずつ種をまいて、デザインという戦略事業が日本全国で育っていくことが必要だなと感じています。広告デザインではなく、広義のデザイン事業について、多くの人にその可能性を伝えるべきだと思うんです。<br />
私の持論なんですが、セミナーなんかではデザインは問題解決と潜在意識と未来想定（未来創造）だとお話ししています。だから、多数決や鶴の一声で、デザインの案を採決してしまわないでくださいね、って。<br />
今回は、特にデザインでの問題解決についてお話しさせていただきましたが、デザインには、本来形になっていない、もやもやしたまだ形になっていないものを具体化するという役割もあると思うんです。<br />
<br />
<strong>長谷川</strong>：それは欧米では、デザインシンキングという考え方で広まりつつありますね。デザインをするときにリサーチをするとかプロトタイピングをするとかそういったことがあると思いますが、それをビジネスにも取り入れていこうということです。<br />
<br />
<strong>ウジ</strong>：デザインシンキング！話が尽きませんね。IAのお話ももっと聞きたかったし。では次の機会には、デザインは未来創造といった方向でお話したいですね。</p><br />
<br />
<br />
<p><small>（2010年10月　ａｍｕにて収録。）</small></p><br />
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<br />
<br />
<br />
<br />
<p>
―デザインマーケティングカフェより「デザイン思考とデザイン戦略」トークイベントのお知らせ―<br />
<br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/12/27/f0165451_15325548.jpg"><img alt="f0165451_15325548.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/12/f0165451_15325548-thumb-180x254-373.jpg" width="180" height="254" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 80px 0;" /></a>「デザイン×ソーシャルメディア」「デザイン×ブランドアイデンティティ」に続く、デザインマーケティングカフェの第3弾に、ａｍｕディレクターであり、日本を代表するインフォメーションアーキテクトの長谷川敦士がゲストとして登場します。「デザインで問題を解決しなければ」と言う共通認識が出来たところでさらにその根底となる「思考」「戦略」とは何かに迫ります。<br />
ウェブ制作やビジネス、経営に直結して使える「デザイン思考とはなにか」に始まり、ビジネスに有効な「デザインの考え方」について、トークショースタイルでリラックスムード高めながら、デザインの戦略立案に絡めた、濃密かつデザイン指数高めの知的デザイン体験をお楽しみください。<br />
既に満席でしたがvoiceをお読みの方にもご参加頂けるよう、５席増席いたしました。お誘い合わせの上、多数ご参加ください。お早めのお申し込みを！<br /></p>
<br />
<p>【日時】2011年01月12日（19:00開場　１9:30～21:30）<br />
【開催場所】インターナショナルデザインリエゾンセンター（六本木ミッドタウン／デザインハブ内）；東京都港区赤坂9-7-1 ミッドタウン・タワー5F<br />
【参加費】5,000円（税込／懇親会費込）<br />
<br />
<strong>※当イベントは終了しています。</strong><br /></p>
<br />]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>Vol. 02：ファッションの着方も &quot;編集力&quot;が必要です</title>
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    <id>tag:www.a-m-u.jp,2010:/voice//6.280</id>

    <published>2010-11-08T05:36:18Z</published>
    <updated>2011-02-10T03:13:20Z</updated>

    <summary> ファッションのポイントは素材とバランス。 時代と自分に似合うものを バランスよく組み合わせる方法とは？ 宮本 享子  Takako MIYAMOTO ESMOD＆テキスタイル・テクノロジーコーディネーター 武蔵野美術大学短期大学芸能デザイン専攻科卒業 テキスタイルコンバーター（セルマー株式会社）企画室長 日本ファッション協会ファッション助成制度による研究論文発表 エスモードジャポン東京校テキスタ...</summary>
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        <![CDATA[<p>
<br />
<big>ファッションのポイントは素材とバランス。<br />
時代と自分に似合うものを<br />
バランスよく組み合わせる方法とは？</big><br />
<br />
<br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/11/08/re1_IGP3722.jpg"><img alt="re1_IGP3722.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/11/re1_IGP3722-thumb-110x110-174.jpg" width="110" height="110" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a><p><strong>宮本 享子  Takako MIYAMOTO</strong><br />
ESMOD＆テキスタイル・テクノロジーコーディネーター</p><br />
<small>武蔵野美術大学短期大学芸能デザイン専攻科卒業<br />
テキスタイルコンバーター（セルマー株式会社）企画室長<br />
日本ファッション協会ファッション助成制度による研究論文発表<br />
エスモードジャポン東京校テキスタイル・テクノロジーコーディネーター<br />
東京造形大学非常勤講師</small><br />
<br />
<br />
<br />
<big><strong>ファッションの基礎は、テキスタイルです</strong></big><br />
<br />
――宮本さんはテキスタイルへの造詣がとても深いですよね。テキスタイルはファッションにおいてベースの部分だと思いますが、いつから興味を持たれたのですか？<br />
<br />
<p>直接は、最初に繊維メーカーに就職した時です。もともとはテキスタイル専攻というのではなかったのです。テキスタイル・素材というと、日本では地味なイメージがありますよね、でも欧米では専門職として認知されていて、とても大切にされているんです。<br />
とはいえ、最初はあまりぴんときていなかったのですが、やはり素材ありきだということに気づいてから、また、そのルーツはアジアにあると聞いたこともあって、それじゃあ調べてみようということになりました。調査・研究をしたのは中央アジアの5カ国で、特にウズベキスタンには5カ国のものが集まり、きちんと保存されていました。</p><br />
<br />
――実際にご覧になってわかったことはどのようなことがありますか？<br />
<br />
<p>中央アジアはシルクロードのちょうど中心であり、まさに西と東の文化が混じっているんです。例えば衣装でも、表はアジアのモチーフや織りなのに、裏はヴィクトリアン調だったり。それにまず驚きましたね。<br />
さらに、中央アジアは騎馬民族の土地ですが、戦いに明け暮れ、定住しないという過酷な生活を送った騎馬民族の人たちでさえも、おしゃれに命を懸けていたということですね。例えば、部族や家族をあらわす色や形。旗として掲げたり、お墓の副葬品として埋められていたものにファッションへの意識が見られるんです。<br />
また、テキスタイルは褒賞品なのですが、この伝統が今も残っているのは日本あるいはアジアくらいです。皇族の結婚の時に白い布が贈られますよね？　こうしたことを通して、シルクロードで全てが繋がっていることを実感しました。</p><br />
<br />
<br />
<big><strong>時代にあった素材を選ぶには？</strong></big><br />
<br />
――今は、エスモードで学生たちにどのような指導をされているのですか？<br />
<br />
<p>素材感と全体のバランスについてアドバイスをすることが主ですね。求めるシルエットにはどのような素材が適当なのか、そういった素材をどうやって手に入れるのか、など具体的なことを伝えています。<br />
素材は良し悪しというよりも時代性なんです。時代に合っているかどうか。そして、表現したいものにマッチしているかどうか。素材が高価であるとか、チープさとかは関係ありません。たとえ紙であろうが、ビニールであろうが時代と表現したいものに適ってさえいればいいんです。</p><br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/11/08/re_DSC_1151.jpg"><img alt="re_DSC_1151.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/11/re_DSC_1151-thumb-200x157-185.jpg" width="200" height="157" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a><a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/11/08/re_DSC_1275.jpg"><img alt="re_DSC_1275.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/11/re_DSC_1275-thumb-125x157-187.jpg" width="125" height="157" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a><a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/11/08/re_DSC_1146.jpg"><img alt="re_DSC_1146.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/11/re_DSC_1146-thumb-200x157-189.jpg" width="200" height="157" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a>
<br />
――今の時代に合った素材とバランスというのはどのようなものですか？<br />
<br />
<p>素材に限らないことですが、ファッションは環境問題といったような社会状況の影響を、強く、ダイレクトに受けています。例えば、シーズンレスな素材。結局は、年間使える素材が一番売れるという考え方なのですが、今はすでに、そのような機能は当たり前になり、逆にその中でいかに季節を表現するか、といった方向に向かっています。<br />
また、重いのはダメで、とにかく軽いもの。それから、年中半袖が売れていますよね？</p><br />
<br />
<br />
<big><strong>『服育』、場所にふさわしい服の着方がある</strong></big><br />
<br />
――シーズンレスな素材が今、求められるのは？<br />
<br />
<p>欧米はもともと好きなものを好きな時に、シーズンに関係なく着るという文化なんですね。それに対して、日本は季節を大事にしてきた。着物のあわせの文化など、そういったものはある程度残っていましたが、国の文化としてではなく、個人個人の選択肢となってしまったということです。<br />
ただ、最近、日本毛織さんというウールメーカーさんの展示会があり、とても素晴らしい展示会だったのですが、その最後に言われていた"服育"に共感しました。子どもの頃から、似合うかどうか、その場所に着ていくのにふさわしい服かどうかについての教育が必要です。欧米では親がきちんと教えているんです。日本でも昔は教えていたと思うんですが、今はないですよね。<br />
具体的には、気をつけるべきなのは靴です。それから全体のバランス。例えば、パンツの丈と歩く姿がきれいに見えるか。あるいはジャケットが肩にきちんとのっているか。それからジャケットの開きが作るシャツの襟、ネクタイの三角形のゾーンの色のバランスや素材感など。<br />
ただ、全体のバランス、あるいはボリューム感というのは、体型に合っているかどうかであり、つまりは個性が生き生きと表現されているかどうかです。顔つき、ヘアスタイルも含め全てに関わってくるので、これというルールにはあてはめられないのですが...。</p>
<br />
<br />
――個別の部分から全体のバランスが生み出される、それは、言い換えれば編集が効いているということですよね？<br />
<br />
<p><a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/11/08/re_IGP3726.jpg"><img alt="re_IGP3726.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/11/re_IGP3726-thumb-200x199-177.jpg" width="200" height="199" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a>そうですね。何と何をどんなふうに組み合わせるのか、それはつまり編集力の最たるもの。色は分量が大切ですが、これも編集。例えば、ファッションのどこかにシーズン性を取り入れたいと思ったときに、その時のムードというものをどれくらい入れるか。私の場合、口紅をシーズン毎で変えていますね。それから、若い人で言えば、今は特に目。いかに大きく見せるかがポイントで、色を取り入れるのもここですね。<br />
色自体も時代とともに変わってきますが、今は小物で色を楽しむ流れにあります。ショールや帽子（カジュアルな）、グローブはマストアイテム。パリのマダムは「グローブは洋服に合わせて、シーズン毎全ての色を持っておきなさい！」と言いますね。<br />
ところで、少し前でしたら、日本では若い人がヴィトンやエルメスといったブランドをこぞって身につけていましたが、欧米ではそんなことはないんです。本当にハイクラスのシックな人しか恥ずかしくて持てない。</p><br />
<br />
<br />
<big><strong>ファッションも"編集能力"が必要とされる時代</strong></big><br />
<br />
――小物の組み合わせを楽しむようになってきたということは、最近の日本のファッションは脱ブランドの方向なのでしょうか？<br />
<br />
<p>日本のブランド好きには憧れというものがあるのでしょうね。おそらく、階級制がなくなってしまった日本だからこそです。でも、最近はもう、服にすごくお金をかけるという方向ではないんですね。これは単純に悪いことではなく、それならばあるものをどう生かすか、それをどう組み合わせるか考えることが大事なんです。そこから新しいものが生まれてくる。組み合わせとか、作るとか、リサイクルすること。つまり編集ですよね。チョイスはだれにでもできる、でも、生み出すことは難しい。そういうことだと思います。</p><br />
<br />
――今、いいと思われる組み合わせ、好ましい編集とはどのようなものですか？<br />
<br />
<p>やはり、その人らしさが全面に表れていること、そして、高かろうが安かろうが、時代性を表現できていることですね。その人らしさ、オリジナリティというのは、言い換えれば、自分で着て心地がよく、周りの人にもいい感情を抱かせる。すてきって思ってもらえるようなもの。それを常に追求していますね。それは究極的には人間性というところに集約されていくのですが...。</p><br />
<br />
――それでは最後に、これからのファッションはどうなっていくとお考えですか。<br />
<br />
<p>真の意味で日本発の表現を追及していってほしいと思います。これまではヨーロッパからのものを取り入れてきましたが、アジアにはいいもの、参考になるものがたくさんあります。自分のところをよく知って、今の時代に生かせるものを研究してほしいです。<br />
例えば素材ですと、化学繊維では日本がリードしてきたんです。日本の技術によって、化学繊維は進化し、安いという概念が覆されました。さらに今はリサイクル（循環型）への関心も高まってきています。捨てない、再生するということを考えることが、世界的に影響を与えるようなモードにつながれば、と思いますね。化学繊維は天然素材をいかに再現するかということでした。そして今後、機能を伴った、天然素材を超える心地よい素材を生み出すのは日本なのではないでしょうか。<br />
形、スタイルについては出尽くしてしまった感がありますが、例えば、宇宙で過ごすとか、そういう特殊なケースに合わせたデザインは出てくるのかもしれませんね。<br />
いずれにせよ、ファッションはやはり夢のあること、楽しいことであって、裏返せば、ゆとりがないと豊かにならないもの。それで言えば今は難しい時代ですが、その中でも何か作りだそうという思いが生まれていますから、それを応援し続けたいと思っています。</p><br />
<a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/11/08/rere_DSC_1323.jpg"><img alt="rere_DSC_1323.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/11/rere_DSC_1323-thumb-180x128-195.jpg" width="180" height="128" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 15px 20px 0;" /></a><a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/11/08/rere_DSC_1251.jpg"><img alt="rere_DSC_1251.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/11/rere_DSC_1251-thumb-86x128-197.jpg" width="86" height="128" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 15px 20px 0;" /></a><a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/11/08/rere_DSC_1316.jpg"><img alt="rere_DSC_1316.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/11/rere_DSC_1316-thumb-86x128-199.jpg" width="86" height="128" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 15px 20px 0;" /></a><a href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/11/08/rere_DSC_1266.jpg"><img alt="rere_DSC_1266.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/assets_c/2010/11/rere_DSC_1266-thumb-180x128-201.jpg" width="180" height="128" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 0px 20px 0;" /></a>
<br />
<br />
<small>（2010年10月　エスモード東京校にて収録。　聞き手：津田広志）</small><br />
<br />
<br />
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<br />]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>Vol. 01: エゴを超える編集〜editするのは誰か</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.a-m-u.jp/voice/2010/07/edit.html" />
    <id>tag:www.a-m-u.jp,2010:/voice//6.153</id>

    <published>2010-07-20T05:35:19Z</published>
    <updated>2011-02-10T03:12:26Z</updated>

    <summary> 編集は、編集者だけがする時代は終わりました  デザイナー、プログラマー、アーティストも編集力をもつ時代  自分を超えて、世界を進化させていく編集現場からのVOICE 仲俣暁生　なかまたあきお 1964年東京生まれ。フリー編集者、文筆家。『ワイアード日本版』などの編集部を経て『季刊・本とコンピュータ』の編集部に参加（03〜05年は編集長）。09年より（株）ボイジャーと出版の未来を考えるWebメディ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.a-m-u.jp/voice/">
        <![CDATA[<p>
<br />
<big>
編集は、編集者だけがする時代は終わりました <br />
デザイナー、プログラマー、アーティストも編集力をもつ時代 <br />
自分を超えて、世界を進化させていく編集現場からのVOICE<br /><br />
</big><br />
<div style="text-align: left;"><img alt="nakamata_80.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/nakamata_80.jpg" width="65" height="63" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />仲俣暁生　なかまたあきお<br />
<small>1964年東京生まれ。フリー編集者、文筆家。『ワイアード日本版』などの編集部を経て『季刊・本とコンピュータ』の編集部に参加（03〜05年は編集長）。09年より（株）ボイジャーと出版の未来を考えるWebメディア「マガジン航」を創刊。著書『〈ことば〉の仕事』など。</small></div>
<br /><br /><br />
<div style="text-align: left;"><img alt="採用_80.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/%E6%8E%A1%E7%94%A8_80.jpg" width="65" height="67" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />福井盛太　ふくいせいた<br />
<small>1967年愛知県生まれ。SHIBUYA PUBLISHING &amp; BOOKSELLERS,LLC CEO、編集者。『プレジデント』の編集部などを経て、2007年より現職。季刊誌『ROCKS』の編集人も務める。</small></div>
<br /><br /><br /><br />
<div style="text-align: left;"><img alt="tuda_80.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/tuda_80.jpg" width="65" height="64" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />津田広志　つだひろし<br />
<small>ａｍｕディレクター、株式会社フィルムアート社編集長。</small></div>


<p><br /><br /><br /><br /><br />
<strong><big>そもそも編集って？</big></strong><br /><br />
<strong>仲俣</strong>：イヴァン・イリイチ（社会学者。1926-2002）の言葉で「シャドウ・ワーク（影の労働）」ってあるでしょう。主婦の家事労働のような、ご飯を作るとか、ふとんを干すとか、子どもを育てるとか、全部リストアップしていくと、非常に膨大な家事の仕事があり、それが「影の労働」なんだけど、どこか編集と似ている。編集って原稿を依頼する、入稿する、ゲラを校正する......と、やっている作業をリストアップしていくときりがないんだけど、全体として何か１つのことをしている。<br />
<br />
<strong>津田</strong>：裏方で支えていくっていうシャドウ・ワーク、そういう無名者の要素が編集にはありますね。と同時にやっている内容は、ディレクションも含めて創造性が必要で、それが外山滋比古さん（『エディターシップ』の著者）がいう、編集っていうのは「第二次創造」なんだと。「第一次創造」が著者が作ったもので、それをさらにディレクション／アレンジするのが「第二次創造」なんだと。だから、編集は「無名の部分」と「創造の部分」、それらが矛盾した形で入った仕事かな、と思いますね。<br />
<br />
<img alt="200.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/200.jpg" width="200" height="196" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />
<strong>福井</strong>：たしかに編集って、外から見てわかりにくいです。わかりにくいから黒子的だし、何か凄い職業のような捉えられ方もするんですが、実際は資格職でも高度なスキルを要求される職業でもありません。ヘアメイクやスタイリストと同じで、「僕は編集者です」と名のりさえすれば、明日から誰でも編集者なんです（笑）。その意味で、誰でもできる職業。実際に学生でも同人誌とか作れていますしね。<br />
<br />
じゃあ、プロの仕事とアマの仕事、何が違うのかというと、「質」の違いだけです。もっと言うと、読者にお金を払って買っていただけるモノを提供できているのかどうか、それだけの違い。料理と同じだと思うのです。料理も誰でもできます。ただし料理も、卵ご飯のレベルからミシュランで三つ星取るような料理まで、ピンキリ。つまり自分の仕事の価値は、消費者が決める。そこを忘れてはいけないと思います。<br />
<br />
そのような前提に立ったとき、職業編集者は常に「自分は今後、どのレベルの編集者を目指したいのか」ということを考えながらキャリアを積んでいかないといけないと思う。要するに、会社の中でぶら下がって食っていければいいと思うのか、仮に会社がつぶれても、自分の名前の看板で食っていきたいという次元を目指しているのか。<br /><br /><br /><br />

<strong><big>デザイナーやプログラマーもアーティストも編集している</big></strong><br /><br />

<strong>仲俣</strong>：とくに最近、編集者にとってデザイナーやプログラマーのような「アイデアを形にできる人」とのチームワークがすごく大事だと思っています。もちろんそれは、外注業者としてではなく、共同で仕事をするパートナーとしてです。近い距離で彼らと仕事をすることで「編集」の意味を考え直すことにもなる。これは自戒をこめて言うのですが、ときどき「もう編集者はいらないんじゃないか」とさえ思うことがある。というのは、最近のデザイナーやプログラマーは、ものすごく高い編集能力を持っているからなんです。<br /><br />

<img alt="tuda.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/tuda.jpg" width="163" height="200" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
<strong>福井</strong>：そこは最近よく感じるところです。特に業界の先端を走っているようなデザイナーはすごく高度なところで仕事をしていて、ディレクションだけじゃなくて、ほんとに編集もできるし、コンセプトワークもできる。絵を描いたらピカイチでうまかったりします。<br />
<br />
<strong>津田</strong>：アーティストも編集していると思いますよ。奈良美智さん。彼が国立近代美術館の「エモーショナル・ドローイング」展で、数年間くらいにわたって、女の子のドローイングの変化を展示したものがあったんです。最初のドローイングの発想はというと、ほとんど素人と変わらないくらい普通なんです。ところが彼は何年間もかかってそのドローイングを練りに練り込んでいって形を微妙にアレンジさせていく。そのプロセスを見たとき、「彼は編集してるんだ」と僕は思いました。編集をして、今のあの有名な女の子の形になったんじゃないかと。<br /><br /><br /><br />

<big><strong>矛盾を引き受けないかぎり編集はできない</strong></big><br /><br />
<strong>福井</strong>：僕は編集者がもの作りをする際に必要な要素はズバリ、「思い入れ」と「思い込み」と「客観性」だと思うんですよ。たとえばインタビュー原稿を作ったとします。最初は自分として面白いモノを作ればいいのですが、完成品を読む際には読者として、また、過去たくさん面白いインタビューを読んできた経験知をベースにした校閲者として客観的に判断しないといけない。これは完成品をチェックするうえではすごく必要なことなんです。熱くなって盛り上がって作る瞬間と、引いて商品を眺める瞬間、両方が必要じゃないかと思います。<br />
<br />
<strong>津田</strong>：矛盾を引き受けない限り編集はできないと。<br />
<br />
<strong>福井</strong>：そうなんです。飛躍しますけど、だから、僕は経営とかできるんですよ（笑）。経営ってむちゃくちゃ矛盾だらけなんで（笑）。理想は掲げますが、理想を成し遂げるためにはお金がないとダメ。その意味では、結果に拘らないといけないし、泥臭いこともやんなきゃいけない。お金のために頭を下げるなんて、しょっちゅうですよ（笑）。だけど、結果ばかり追い求めていても社員は付いてこない。社員に生き生きと働いてもらえるようにするために、僕たちの金儲けは世の中の何に繋がっているのか。誰のためになっているのか。そういう「ゴール」を示す必要があるのです。<br />
<br />
<img alt="nakamata02_200.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/nakamata02_200.jpg" width="173" height="200" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
<strong>仲俣</strong>：例えば、ある雑誌が好きで、その編集部に入るというケースがありますよね。でも、それって案外うまくいかないんですよ。最初のうちはいいですけど、過去のその雑誌の縮小再生産になりがちで、新しいものがうまれてこなくなる。雑誌の読者は、かならずしも濃い「愛読者」ばかりじゃなくて、大半の読者はもっとクールに雑誌とつきあっている。単に「好き」だからそのメンバーになりたい、という思いだけではできない部分がやっぱりある。どこかで雑誌を「引いて見る目」がいると思うんです。<br />
<br />
自分の中ではどういうバランスをとってきたかなと思うと、１つは、さっきの主婦の仕事じゃないですが、現実の手作業的な部分が結構面白い。単純に文字を読むのが好きとか、レイアウトを考えるのが好きだとか、そういった身体感覚的な楽しさでマンネリ感を乗り切れる部分があるし、手作業から新しい発想が生まれてくることもある。もう一つは、仕事のなかで新しく出会った人やモノなどの対象に対して、自分なりのアプローチで肉薄していく。そのうちにそれまでの雑誌がもっていた価値観に寄りかかるのではなくて、自分という人間のフィルターを通してものを作れるようになる。<br /><br /><br /><br />

<big><strong>エゴの外にある編集</strong></big><br /><br />
<strong>仲俣</strong>：このへんまでは、２～３年程度仕事をしていけば、誰でも大体身につく編集スキルだと思うんです。でも、長く仕事をしていくと、とんでもなく泥沼化して......もうとにかく、途中でやめたくなるくらいの泥沼に入る時期が来る。言い換えると、それまでの経験知やルーチンワークでは対処できないものと直面することになる。もちろんこれは、どんな仕事でも同じでしょうが。<br />
<br />
そんなときに頼りにできるのが何かといえば、結局、「いまは泥沼だけど、これまでは何とか必ず形にしてきたんだ。だからこの仕事も、最後には絶対にちゃんと形にできる」っていう、過去の経験への信頼だけなんですよね。仕事が納得の行くかたちで終わるかどうかは、そのときはまだ全然見えないんだけども、過去何度もいろんなことにチャレンジしてきて、しかもそれにはなにか必勝の方程式があるわけでもなく、ひたすら泥臭いことをしているうちに道が開けてきた、ということへの信頼というか。その積み重ねのなかにしか、仕事への自信は生まれない。そうやって、だんだん無意識の中に根性が座ってくるんだと思います。たとえば、状況を打開するために必要ならば、あえて怒ってみたり、逆に譲歩することもできるようになる。それに編集の仕事って、不思議なことに、そのときはあまり好きじゃなくてやった仕事が、あとで生きてくることがあるじゃないですか。<br />
<br />
<strong>福井</strong>：生きますね。<br />
<br />
<strong>仲俣</strong>：あまり興味がなかった仕事ほど、なぜか将来になって生きてくるんですよね（笑）。<br />
<br />
<strong>津田</strong>：それはなぜでしょう？<br />
<br />
<strong>仲俣</strong>：編集というのは、自分の好きなこととか、対象に密着しただけの自己愛とは違う、エゴの外にある仕事だからだと思います。勘違いされやすいけど、編集者というのは、自分のエゴの外にあるものとつき合うことが本業なんです。エゴの固まりである作家さんなんて、まさにそうですよね。エゴの外にあった、そのときは嫌だったものが、全部あとになって味方になってついてくる。たとえば僕は、量子力学の本を作ったお陰で基礎教養がつき、のちのちものすごく役に立ちました（笑）。<br />
<br />
<strong>津田</strong>：エゴを超える編集？<br />
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<strong>福井</strong>：そのとおりですよ。実際、編集っていう仕事自体、ほんとに細かい作業や面倒くさい作業が多いですから（笑）。最初にゴール＝完成品の図を描いて作業に入るわけですけど、そのゴールが見えてるうちはいいけど、見えなくなってくると、本当に作業が辛くなる。そうなったときに「もういいや」ってエゴを発揮して投げやりになったらおしまい。不確実な部分を楽しめるかどうか。それも編集者に必要な大きな才能の１つかなっていう気がしています。<br /><br /><br /><br />

<big><strong>異質なものをつなぐ</strong></big><br /><br />
津田：あと、人と人をつなぐとか、異質なものをつなぐとか、「つなぐ」操作っていうのは、結構編集の中でこれから重要な役割を果たすんじゃないかなと思うんです。たとえばギリシャの経済危機が起こったら日本も危機になるみたいな、すごい予想外のつながりがあるわけですよね。グローバル化っていうのは、インターナショナル化という悠長な感じではなく、すごく同時的に危機的に動くわけなんで、それがやっぱりミクロレベルでも起こっていて、いい意味でそのときにどうつなぐか。<br /><br />

<img alt="fukui01_180.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/fukui01_180.jpg" width="179" height="180" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />
<strong>福井</strong>：全然違う人同士だったり対象同士なんだけど、編集者がその同質性を感じてるかどうかだと思うんですよね。僕は、違うフィールドの人たちをつなげるのが昔から好きなんです。違うフィールドの方が出会っておたがいに受けた刺激が、新しい出版物につながる可能性ってすごくあるのです。サッカーの岡田監督と、当時、経済企画庁長官をしていた堺屋太一との対談をやったことがあります（笑）。岡田さんにはビジネスマンみたいなところがあるし、堺屋さんは、歴史好きで女子プロ好き。二人とも大局的視点でものを語れるところがある。「話が合うだろうな」と直感で思ったのですが、実際に対談をセッティングしてみると本当にかみ合うんですよね。他にも、市川海老蔵さんと安藤忠雄さんの対談を行ったこともあります。どちらも「型」を守りながら、それを壊して、新しいものを生み出していく職業。シンパシーを感じる部分があるだろうな、と思っていたら案の定盛り上がりました。<br />
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<strong>津田</strong>：水と油の場合はどうですか？<br />
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<strong>仲俣</strong>：いつも思うんですが、編集というのは、つねに失敗するかもしれないというスリルと直面している、本来はとても怖いことでもあるわけですよ。僕自身、いまだにそれは感じています。初対面の人にものすごく深い話を聞くとか、違う考えをもっている人同士に対談をしてもらうとか、あるいはたんに原稿を書いてもらうことだって、そういう依頼の１つ１つが、じつはものすごい怖いことでもある。その自覚は必要だと思います。<br /><br />巨額のギャランティーができた時代は、内心はともかく、どんな仕事でも「はい、はい」といってやってもらえたかもしれないけれど、これからの時代は、お金だけでは人は動かない。「原稿を書いてくれ」「誰それと会ってくれ」といわれたときに、なぜ依頼してきたのかという編集者の意図とか、勘とか、あるいは根拠のない思い込みみたいなものを強く打ち出していかないと、「それならやらないよ」ということが増えてくる気がします。つまり、これまでのように単純には依頼が通らない時代がくるんじゃないでしょうか。なぜなら、もう誰でも自前でメディアが作れてしまう時代だからです。そうなると、すぐれた対談企画みたいに、まったく異質のものを、しかもその編集者が発見した初めての組み合わせを見せていくことが大事になるでしょうね。<br />
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<strong>福井</strong>：意外性とかありますしね。「意外性」とか「驚き」を読者に与えられるかどうかがポイントだったりしますよね。<br />
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<strong>津田</strong>：結構、サッカーのようなキラーパスを出す要素が強いんじゃないですかね、編集っていうのは。<br />
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<img alt="nakamata01_200.jpg" src="http://www.a-m-u.jp/voice/nakamata01_200.jpg" width="192" height="200" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
<strong>仲俣</strong>：編集者の仕事は結局、人と人とをつなぐことが一番大事なんですよね。社員編集者であろうと、フリーランスだろうと、高いコミュニケーション能力がないと難しい。まめに電話をかけたり、会ったりして、どんなに細かい仕事でもなるべく声をかけて、こいつと一緒に組みたいと思ってくれるという、そういう思いの蓄積をつくっていく。著者にとっても、それが一番うれしいことだろうと思います。編集する側にとっても、この仕事はどのデザイナーと組むか、選択肢がいっぱいあるときに、どういうチームを作ってそのメディアを作っていくのかを考える。そう考えると編集って、ほんとにサッカーの監督と同じで、チームワーク、コラボレーションのコアを作っていくことなんですよ。<br />
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とくにいまは、小回りのきく編集チームをつくれば、少人数でもいろんなことできる時代です。デザイナーが１人いて、編集者がいて、それでじゅうぶんのときもある。近い仲間とばかりやっていると癖がついてしまうから、広い世界の人間ともつき合うべきですが、いざとなったら、このチームで何でもできる、という最小限のユニットをもっていると心強い。こいつと組んでやれば、とりあえずは勝ち抜けるかみたいな、そのミニマムなチームを作れる人間が、自分の周りに何人かいるっていうのはとても大事だと思います。<br /></p>

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（2010年６月　東京にて収録。NextCreatorシリーズ『編集進化論〜editするのは誰か』より抜粋転載。フィルムアート社2010年9月刊行予定）</small>
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