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これからのクリエイティヴなシーンはどうなっていくのか。さまざまなフィールドで活躍されている現場の方の 声を集めます。モードを追うのではなく、これからの問題点、わたしたちの課題をベーシックな角度から語り合 います。
Vol. 07:リアリティに基づいた社会的センスの時代が来る。
「美しい生活文化を創造していく」
という企業ポリシーをもつ資生堂。
そのユニークなコミュニケーション活動のあり方を『花椿』編集長に聞きました。
上岡 典彦(Ueoka Norihiko)
1964年香川県生まれ。1987年資生堂入社。高知、横浜での営業を経て1995年2月に広報室に異動。在籍中の2007年にはPRプランナー資格取得。2009年4月に企業文化部に異動し、『花椿』編集長を務める。
資生堂の広報から始める
――資生堂への入社のきっかけからお聞かせくださいますか?
私が資生堂を希望したのは、実は広報の仕事に憧れていたからです。大学の時に新聞で、当時の資生堂の広報室長の記事を読みました。その記事で、はじめて「広報」という仕事が世の中にあることを知りました。1986年ごろ。まだ日本では、広報という職種が今ほど注目を浴びていませんでした。学生時代は放送研究会というサークルに属し、コミュニケーションに関わる仕事がしたいと思っていたのですが、マスメディアではなく、一般企業においてもコミュニケーションに関わる仕事があるのだと気づかされたのです。
早速広報に関する書籍を買い漁り、自分なりに情報収集を行い、広報部門の歴史も長く、定評が高かった資生堂に入社したいと思いました。でも入社すると、最初は営業から始め、高知で3年、横浜で4年間営業を経験して、ようやく希望がかなって広報のセクションに配属されたのですけれど。
――広報部門では、どのような活動をされましたか?
広報の仕事には14年と2ヶ月携わりました。その間に、いわゆる「企業広報」と「商品広報」、それぞれを経験することができました。資生堂という会社の面白いところは、化粧品会社でありながら、資生堂ギャラリーをはじめとする文化施設をもっていたり、資生堂パーラーなど食に関する事業を展開したり、ランニングクラブを擁していたりするなど、さまざまな角度から社会とのつながりを有している点です。広報の観点からは、社会に発信する「題材」が豊富ということですよね。広報マンとして幸せだった点は、歴代のトップが社会的な視点を重視し、広報活動に理解が深かったこと、そして何より企業文化が確立され、それが重んじられているところです。
――それはどんな文化ですか?
資生堂の企業理念はこう規定されています。「私たちは、多くの人々との出会いを通じて、新しく深みのある価値を発見し、美しい生活文化を創造します」。資生堂は来年創業140周年を迎えるのですが、「伝統」に固執するのではなく、むしろ「伝統」を守り継承するために常に「革新」を続ける。人々との出会いのなかから新しい価値を発見し、美しい生活文化を創造し、社会に貢献していく。これに尽きると思います。
広告と広報の違いは?
――広告と広報。その違いを、どういう風に考えられていらっしゃいますか?
両者の違いに関しては諸説ありますが、一番わかりやすいのは「広告」は「バイ・ミー Buy me」、「広報」は「ラブ・ミー Love me」という説でしょうか。ただ今日では明確な線分けが意味をもたない事例もありますし、重要なことは、広告と広報の相乗効果をいかに発揮するかということだと思います。それぞれに戦略的に役割を与え、車の両輪のように両者が廻り続け、補完し合っていくことが大事です。
私が携わった例をお話しますと、「SHISEIDO MEN」という男性化粧品のケースがあります。このブランドはグローバル展開を目指し、前年にイタリア、ドイツで先行発売し、満を持して2004年に国内で発売した、当社にとっても初めて男性のスキンケアを前面に打ち出したブランドです。「自分の顔」にも責任をもつべき3、40代のビジネスマンにぜひ使ってほしい大人の化粧品なんですね。
広告においては通常の商品広告に加え、「心は自由か。顔はどうだ」のキャッチコピーとともに、サッカーの中田英寿さん、彫刻家の舟越桂さん、狂言の野村萬斎さんを起用した60秒のTVCMを通じ、これからの時代の男性像を提案する企業広告を展開しました。また媒体も男性誌にとどまらず、ビジネスマンを対象にということで、機内誌や空港のカートにまで広げて展開しました。
一方広報においては、スキンケアをメインとした初めての男性化粧品ブランドということで、商品広報に先駆け、まずは「市場(コンセンサス)」を作るための広報活動に注力しました。男性がスキンケアを行うことの必要性や女性からの支持を伝えるためのデーター集を作りメディアに配布したり、知己の記者に「きれいになる男性を応援しよう」という記事を書いてもらったりしました。また、新たな分野の商品には新たな広報手法が必要と考え、記事化を主目的とした「100人のビジネスマンが集う美容セミナー」を行いました。スーツ姿の男性100人が、慣れない手つきでお肌のお手入れをしたら、これは絵としてインパクトがあって、社会的にも話題になるんじゃないかと思ったのです。そのセミナーの第1部は、男性の皮膚生理についての話を聞いていただいた上で、実際に化粧品を使ってお手入れをすること。第2部は、縁あって集ったビジネスマン同士の人脈構築のための懇親会にしました。それを半年に1回ずつ、3年半かけて7大都市で展開しました。どこも非常に好評で、毎回メディアが10社とか20社ぐらい、仙台においてはNHKさんまで取材に来てくださいました。広告と広報が協調して、商品PRと併せて男性のライフスタイル提案を行ったことが功を奏しました。
広報活動のポリシーということでは、私はやっぱり、「人」を切り口とした広報が重要だと思います。「もの」を広報するだけではなくて、その商品を開発した「人」の想いや、それぞれの職場で働いている社員の真摯な姿を通じて会社の魅力を伝えていく。資生堂はこんな素敵なトップ・社員がいる会社なんだ、ということを社会に伝えることを14年間肝に銘じてきました。
『花椿』の編集長になる
――そこから『花椿』の編集長になられました。『花椿』はどういう媒体なんでしょうか?
私が資生堂という企業と出会ったきっかけは、中学生の頃読んでいた『花椿』なんです。だから『花椿』に対する自分なりの想いがありました。『花椿』は、1937年に創刊し、今年74年になりましたが、実は前身がありまして、1924年創刊の『資生堂月報』、1933年創刊の『資生堂グラフ』、この両誌の後を継ぎ創刊されました。戦中は休刊を余儀なくされましたが、1950年には復刊し、昨年は復刊60周年を迎えました。これが復刊号のオリジナルです(図参照)。俳優の香川京子さんが表紙モデルです。当時から美容・化粧に関することだけではなく、生活全般についての記事が充実した総合誌と言えると思います。

――編集長としての課題はありましたか?
課題はふたつありました。ひとつは実読者の減少です。もうひとつは社内からの関心の低下です。来年創刊75年を迎えるにあたり、社内外からの支持・関心を高めるために、今一度創刊の理念・原点に向き合う必要を感じました。現在の誌面にはほとんど「資生堂色」がないのですが、『花椿』を資生堂が発行している意味はどこにあるのか、をゼロベースで考え直しました。かつての『花椿』はカルチャー記事に加え、美容や資生堂の企業活動についての記事も充実し、いわばそのバランスが資生堂らしい雑誌と言えたのです。読者にアンケートをとりましても、『花椿』で読みたい記事は、美容・ビューティーに関することと資生堂についてのことだという声が圧倒的でした。資生堂の企業文化誌として『花椿』はどうあるべきかについて、編集室一丸でアイデアを練っています。
これからの『花椿』はどうなるか?
――それでは、今後の『花椿』はどうなりますか?
先日iPad/iPhone版の『花椿』を実験的に展開しました。5月10日にアップして、もう10,000ダウンロードを記録し(※2011年6月7日現在)、予想を上回った嬉しい結果が出ています。『花椿』が電子書籍に挑むなら、本誌をPDFで読めるだけではなく、新たな表現も模索してみようと考えました。そこで、本誌の小説を絵巻物形式で、効果音と写真などを加えて楽しめる「体験小説」や、本誌のビジュアルがムービーとして見れたり、インタラクティブな使い方もできる「体感映像」などのアプリを制作しました。こうした独自コンテンツには予想以上の反響があったので、今後は、電子と紙を並立させ、両者の相乗効果を発揮する方向を検討していきたいと思います。将来的には電子を活用したグローバル展開も視野に入れていければと考えています。もちろん手法は変化しても、『花椿』が創刊以来貫いてきた、資生堂の「企業文化」と「美意識」に基づいた女性へのライフスタイル提案は継承・強化していくつもりです。
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――美意識を表現する時に、特に気をつけられていようなところはなんでしょうか。
資生堂らしい「Tone and Manner」ですね。それは絶対守っていこうと思っています。たとえば表現にしても、こちらの表現のほうがインパクトがあるなと思っても、資生堂らしくない表現の場合は止めるべきだと判断します。
――ほんとに和洋折衷の的確なコンテンツとデザインで表現されているなと思います。
資生堂という会社が、和洋折衷でスタートしているのです。ハイブリッドなんですね。東洋的な経営思想の上で、西洋の科学を取り入れた日本ではじめての洋風調剤薬局として資生堂はスタートしました。必然的に、『花椿』にもそのハイブリッド感は出ていると思います。
――『花椿』の伝統を踏まえながら革新していくという感じがして、楽しみですね。
私が編集長になってまず取り組んだことは『資生堂月報』からの歴史を辿ることなんです。
それぞれの時代にどんな内容を掲載してあって、特集はどういう意図で、制作スタッフは誰で、その頃の資生堂の状況は、そして社会の背景はどうだったかということを調べ一覧にまとめました。時間の流れ・歴史の必然性・伝統の重みを一旦しっかりと自分の中に入れないと、そこから立脚して考え始めないといけないと思ったのです。自分の思い込みだけで変革しようとしたのでは間違ってしまうと感じたのです。

――最後の質問ですが、これからの世界はどういう風に変わっていき、『花椿』は何を発信すべきだと考えていらっしゃいますか?
『花椿』が提案すべきことは、「これからの時代の美しい生き方に必要なものは何か」だということだと思います。そしてそれは3つのセンスではないかと考えます。1つ目のセンスは「ビジュアルセンス」。ライフスタイルを見た目からも自己プロデュースしていくセンス。そして2つ目は「インテリジェンス」。世界の状況が刻一刻と変わっていく時代には、しっかりしたインテリジェンスに基づいてものごとを判断していくことが必要だと思います。そして最後は、「社会的センス」。自分ひとりの世界で充足するのではなく、より良い社会を実現するために自分にできることは何かを考える力。社会と繋がっていこうとするセンス。東日本大震災を経験した今後は、社会とどう関わり、社会へどう貢献していくのかということが一層重要視される時代になると思います。
そしてこの3つの「センス」を提案する際に大切なことは、「リアリティ」に基づいていることだと思います。『花椿』は、こころ豊かで美しい生き方を希求される人たちに、そのための提案を行う、資生堂らしい企業文化誌であり続けたいと思います。
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- _last update:2011.08.04 11:24

