EVENT REPORT

受け継ぐこと、ゼロから作ることーー映画「よみがえりのレシピ」トークイベント 1/2

【ゲスト】渡辺智史、松本典子

【聞き手】千々和淳

EVENT REPORT

受け継ぐこと、ゼロから作ることーー映画「よみがえりのレシピ」トークイベント 1/2

【ゲスト】渡辺智史、松本典子

【聞き手】千々和淳

山形県内各地に伝わる在来作物の種を受け継ぎ、次代に伝えようとする人びとの姿を追ったドキュメンタリー映画の上映会を行いました。
上映会後には、フードユニット「つむぎや」さんのお料理を味わいながら、本作品の監督渡辺智史氏と、『山形食べる通信』編集長の松本典子氏にお話をうかがいました。前半では、主に映画と『山形食べる通信』制作の経緯や、世の中にどう広まっていったのかをお話いただきました。

OVERVIEW

2016.02.13(土)

ゲスト:
渡辺智史(映画監督)、松本典子(ライター)
聞き手:
千々和淳(amuコンテンツディレクター)

INDEX

  1. 明日の食事が楽しくなる映画を撮りたい
  2. 全国で広がる、在来作物の「よみがえり」
  3. 食のコミュニティーをつくり、暮らしをDIYする
  4. 情報と食材を一緒に届ける『山形食べる通信』
  5. 生産者と消費者をつなぎ、新たな縁を結ぶ

明日の食事が楽しくなる映画を撮りたい

千々和:では、渡辺監督と『山形食べる通信』編集長、松本さんのトークセッション、よろしくお願いします。

渡辺・松本:よろしくお願いします。

千々和:まず監督の方から、簡単に自己紹介をお願いします。

渡辺:私は山形県鶴岡市で生まれて、大学までずっと山形県内で活動していました。その後、東京に出てドキュメンタリー映画の仕事を6年くらいしてから、まさにこの映画を撮るために帰郷しました。映画が完成したらまた東京に戻ってこようかなと思っていたのですが、東日本大震災でいろいろ人生観が変わったりして、いまに至ります。いま、全国での上映活動が大分落ち着いてきて、次回作の準備をしているところです。

千々和:もういまは、山形が拠点なんですね。

渡辺:はい。山形県鶴岡市を拠点にして、いろんなドキュメンタリー映画の仕事をしています。

千々和:映画制作以外にも、活動されていますよね。

渡辺:はい。震災後に地元鶴岡市に帰ってきたクリエイターの仲間と一緒に、いろんな活動をはじめました。さきほどみなさんに『ピクニック』というフリーペーパーをお渡ししましたが、これも仲間と一緒に発行したものです。「ライフスタイルを自分たちで伝えるメディアを持ちたい」という思いから、フリーペーパーをつくったり、コワーキングスペースの運営もしています。

千々和:活動が幅広いですね。さて、映画について伺っていきましょう。これまで何度も質問されていると思いますが、まずはこの映画を撮ることになったきっかけや経緯を教えてください。

渡辺:この映画は2010年に撮影したのですが、ちょうど2008年に毒入り餃子事件がありました。それで、食に関するドキュメンタリー映画やテレビ番組が数多く放映されたのを、みなさんも覚えてらっしゃるかと思います。あのころ、私も映画館に行ったり、いろいろ本を読んだりして、なんで食べ物ってこんなに不幸なことが多いんだろうか? という、単純な疑問からはじまって、もっと食のことを知りたいなと考えるようになったんです。またあのころは「これは食べちゃいけない、あれはダメだ」という話ばかりで、明日からなに食べていったらいいんだろうと非常に切ない気持ちになるので、なにか楽しくなるような映画を見たいなって思ったんですけど、あんまりなかったんですよね。それで、たとえば『北風と太陽』でいう危険・あぶないっていう北風じゃなくて、太陽のような、明日からの食事が楽しみになるポジティブな映画をつくれないかなと思いました。

ちょうどそのころ、TPPや遺伝子組換え作物、種の問題もクローズアップされていたので、種のことを調べていたら、種取りをずっとしている農家の方がいると知りました。そうした人を取材したら、もしかしたらなにか、私たちが効率化・能率化を進めていく中で削ぎ落とされてしまったものを見つけられる気がしました。要は効率を求めすぎたり大規模化していけば、当然、在来作物の存在理由は限りなくゼロになってしまうけれど、それとは別のオルタナティブな農業のありかた、別な道があるんじゃないかなと思って。それで、本来あった人と作物の関係、農業の原風景をたどるドキュメンタリーを撮りたいなと思い至りました。

非常に漠然としていて抽象的な思いではありましたが、実際にそこからこの映画の企画がスタートしました。なので映画を撮影しながら、私自身がそういったいまの社会が失っているものを一つ一つたどって確認していき、失われつつあるものをなにか留めておきたいという感覚がすごく強かったです。映画構想の段階で、たまたま山形県鶴岡市に奥田政行シェフの「アル・ケッチーノ」があり、山形在来作物研究会というものがあると知りました。地元鶴岡なのでこれは帰ってしまおうと、1週間くらいで即決断をしまして、アパートを引き払って帰りました(笑)。

千々和:早い(笑)。でも映画って、たとえば写真を撮るみたいに気軽にはじめられませんよね。以前から、映画をつくる構想はまた別にあったのでしょうか?

渡辺監督

渡辺:はい。東京で勤めていたのはレギュラーの仕事がある会社じゃなかったので、常に企画を考えなきゃいけない状況で、この仕事終わったら次の仕事という感じで、結構ハードというか、アイデアがないとなかなか仕事がつくれませんでした。なので、個人的にアイデアを温めていたんです。

一つのきっかけとなったのが、子ども向けの食育に関する映像の撮影でした。伝統野菜をクローズアップしたドキュメンタリーで、キーワードは食育だったので、当時はあまり種のことを考えてなかったんです。子どもたちがまず栽培をして、野菜を美味しく食べている姿が撮れればいいなというスタンスでした。でも、今回の映画にも出てきた、だだちゃ豆をつくっている鶴岡市の小学校を取材したら、ちゃんと学校で種を取っていたんですよ。撮影しながら「あ、こうやって種取るんだ」って驚いて感動している自分がいて、この驚きをうまく共有できないかなと感じたのが、一つのきっかけです。

千々和:なるほど。こうした経緯を経て今回の映画を撮ろうとなるわけですが、撮影初期の周りの反応はいかがでしたか? 今回の映画はメッセージ性はわかるものの、実際に観てみないと、内容のイメージが湧かないように感じます。

渡辺:そうですね。エンドクレジットにもあるように、たくさんの山形県民の方たちから寄付や応援はいただいたのですが、やはり映画仲間にこの映画の企画の話をすると、「うーん、なんか地味だねぇ」という反応でした。私の前作が湯治のドキュメンタリーで、おじいちゃん、おばあちゃんがたくさん出る映画だったので、「また渋いとこいったねぇ」という感じでした。

千々和:確かに渋いですよね。

渡辺:あと「よみがえりのレシピ」のタイトルも最初は結構暗いねって言われました。あの世からよみがえるイメージっていうか(笑)。でも私としては、時代の雰囲気とか、やっぱり震災があったことも考えていて。実際の映画の内容自体はポジティブなので、「よみがえり」という言葉に新しいイメージをつくれたタイトルだったと思います。

「よみがえり」という言葉には、種の生命力のイメージもこめています。学術的に、種は数年くらいで発芽能力を失って死んでしまうといわれています。でもちょうどこのタイトルを構想していた時、その常識を覆す出来事がありました。福島県の古民家の屋根裏からそばの籾殻が出てきて、それが江戸時代のそばの種だったんです。山形の鈴木製麺所がなんとか発芽させたいと何度も試験場に持って行きましたが発芽しなくて、でも諦めきれなかったんです。そこで、いままで眠っていた種がいきなり起こされても反応はしないだろうからと、昔と同じ環境にしてみたんです。屋根裏で真っ暗な環境だったので、まず真っ暗にする、そして米俵のなかに保護用に入っていた木炭と、米俵の稲藁を土にまぜて発芽を再度試みたところ、なんと発芽したんですよね。種ってすごい生命力が実はあるんだなと驚きました。ハスの種なんかも、もう紀元前の種が発芽した事例があります。人間の尺度を超えた植物のスケール感も「よみがえり」という言葉にこめたいなと思ってタイトルを決めたんですけど、暗いって言われて(笑)。

千々和:駆け出しの監督よりは、熟年の監督が撮るようなテーマではありますよね。

全国で広がる、在来作物の「よみがえり」

渡辺:よくこの映画を上映すると、50代とか60代の映画監督が来るって思われて、構えられるんです。で、私がはじめましてって行くと、えーって。期待を裏切ることが多いんですけど(笑)。ただ、身近に「アル・ケッチァーノ」の奥田シェフがいらっしゃったので、自分としては自然な企画でした。伝統野菜の種を守ってきた人たちの活動や本をみていくと、種にたいする思いは強いのですが、なかなかその思いが外へ広がっていかず、みなさん限界を感じていた部分もあったんです。映画のパンフレットにも、自然栽培の作物をリヤカーで販売するところからはじまった「ナチュラル・ハーモニー」代表の河合秀郎さんという方からも、「同じ顔に同じ形。それぞれの地域の作物が持ちあわせていた個性・特性をなくすことが求められた世界。野菜は単なる商品ではない。その土地の息吹を、そして手がけた人のそれぞれの思いが形となった大地と人のアートだと改めて思わせてくれた映画だった。」とコメントを寄せていただきました。理屈や押し付けがましさを感じさせず、なにか伝えられたかなと思います。

普段、慌ただしく暮らして食べ物を物としてしか見ないと、そういった感覚は薄く、感じられなくなってしまいます。そういう感覚を、普段の暮らしの中に取り戻すきっかけになればいいなと企画当初から思っていました。この思いをなんとかいろんな方に共感していただいて、共有してもらえました。そうした形で自然と縁が広がっていって、のべ300カ所くらいで上映されました。

渡辺監督

千々和:映画を見た感想で、嬉しかったものや、そういうとらえ方もあるんだ、と驚いたものはありますか?

渡辺:おもしろかったのは、中学生のコメントで「人生で見た映画の中で一番静かな映画でした」って。

(会場笑)

千々和:中学生がいう人生っていうのも(笑)。

渡辺:あと地元の12歳くらいの女の子が「自分の生まれた故郷の方言がこんなに綺麗に映画の中で描かれていてとても感動した」というすごいコメントをくれました。方言も本当に在来作物と同じなんですが、文化的な意味でいま急速に失われていて、あと25年くらいでなくなるといわれています。そういう視点でも観てもらえました。

千々和:そうですね。ぼくもこの映画をはじめて見たときには、すごくいろんな感想を持ちました。食べ物を食べ物としてとらえるのは当たり前のことだと思うんですけど、この映画では、食べ物が食べ物になる前の話や、なくなっていった食べ物をとらえています。その視点は持っていなかったとつくづく感じました。たとえばここの近所も移り変わりが激しいので、失われてはじめて、ここになんかあったよなって気づくのは、食べ物でなくても、よくある体験だと思います。なくなってからはじめて気づいたものって、なかなかもう取り戻せない。今回の映画で反響としてありそうだなと感じたのが、たとえば自分の地元のものでなくなっていったものがあるんじゃないかというように、それぞれが考えることです。この映画をみて、自分のところでもちょっと一度探してみようと思いました、というような声はありましたか?

渡辺:ありますね。いま山形県内だけでも毎年、1〜2つ新しく在来作物が増えてるんです。もともと名前もない野菜で、だれだれさんがつくってた、とか、だれだれのばぁちゃんがつくってた豆、という認知のされ方しかされていないものです。話をくわしく聞いていくと、代々つくっているとの話で、じゃあこれ在来作物じゃんということで認定されて。地域の人たちも「えー、これ在来作物なの?」って感じです(笑)。そういういろんな出来事がいま山形県で起きています。去年は映画に登場する山形大学の江頭宏昌先生が、これだけ回ったんでもうないだろうと思っていた山形県庄内地方で在来のナスが新たに出てきて、驚愕していました。

千々和:出てきてって(笑)。それは在来種だとわかるんですか?

渡辺:Facebookを通じて食育などを一緒にやっている先生がいて、その方が噂でなんかナスがあるらしいぞと聞いたんです。関係者にインタビューをして、実際のナスを見てみて在来のナスだということがわかったそうです。

千々和:さすが江頭先生。在来かどうかなんて、普通わかりませんよね。

渡辺監督

渡辺:はい。そういったことが全国のあちこちで映画の上映会をしていく中で起こっています。なかでも静岡市がすごかった。静岡県の方や静岡大学の先生は、静岡市には全然在来作物はないんじゃないかとおっしゃっていたんです。でも静岡市は雪が少ないので、市内から一時間半くらいかかる中山間地域にも人が住んでいて、その方々の畑を見たら、ほうきをつくるホウキモロコシとか、ニンニクとかナスとか、5〜6種類くらい在来作物が出てきて。自分のおばあちゃんの代からつくっていて、ずーっと種取りをされているというお話でした。

千々和:そんなことできるんですね。

渡辺:はい。一つの畑でずーっと種取りしている方が何人かいらっしゃって、結果的に数十種類くらいの在来作物があっという間に見つかったんです。静岡市の駅前のそば屋さんで、もともと全国の在来のソバを集めてそば打ちしている方がいらっしゃるんですが、その方が旗振りをしていたら静岡市長が「あ、これから在来作物でなにかやらねばいけないね」となったそうで。静岡市もいま、在来作物に力を入れています。こうした、観終わったあとにソーシャルな活動が生まれていく映画があることを自分の映画で発見できて、すごい大収穫でしたね。自分でも、映画って観て感動して終わることが多かったんですけど、そうじゃないんだなという発見ですね。

千々和:広島の種のバンクとか、全国あちこちでソーシャルな活動が生まれていますよね。

食のコミュニティーをつくり、暮らしをDIYする

渡辺:やっぱり一番大事なのは生産者の方に在来作物の価値を知っていただくことだと思います。その価値が生産者に届かないと、種を捨ててしまったり手放してしまうので、まず生産者にそういう情報をちゃんと伝えていきたい。こういうものを食べたいというリクエストとか、こういうふうな作物だったらぜひ買わせてくださいというような、そういう情報が行き来する食のコミュニティーを、小さくてもいいのでつくれると、地域の在来作物の価値が守られていくと考えています。

千々和:まず情報がないと、価値を知るのはちょっと難しいですよね。映画には山形の山奥に住む可愛らしいおばあちゃんとか、逆にすごく若い人も登場されていましたが、撮影から数年経って、いまあの方たちはどんな感じなんですか?

渡辺:この映画に出てきた藤沢カブの渡会みよこさんというおばあちゃんが、映画の完成前に亡くなられたので、本当に撮影がギリギリ間に合ったなという感じだったんですけど。藤沢カブの種を受け継いでずっと守ってきた方なので、思いがバトンされていく様子を撮れてよかったなと思います。
あと一番大きな変化は、甚五右ヱ門芋の佐藤春樹さん。多分みなさん、知っている方もいるかと思うんですけど、在来の芋界ではスターになってしまいました。
(会場笑)

松本:芋界(笑)。

渡辺監督

渡辺:芋の世界では、もう知らない人はいないという。彼はもともと、スーパーとか卸しで一生懸命働いていたので、ブランディング力がすごく強いんですよ。東京のデザイナーさんも知っているような、山形県に事務所を構えているアカオニデザインさんと一緒にパッケージデザインして、戦略的に売って。芋の世界ではスーパースターです。

千々和:芋のスター(笑)。

渡辺:本当に。春樹さんは古民家を再生して、家の半分は民宿にしているので、食べ物づくりだけじゃなく暮らしそのものをデザインしていますね。また彼は、地域に雇用もつくっています。芋って機械でガーッと皮むきできる種類もあるんですが、見てお分かりの通り、甚五右ヱ門芋はすごく細長いので、一個一個手でむくんですよ。皮付きでも販売しますが、料亭やお店に出す時には皮をむいている時間がないので、真空パックや冷凍で売ったりしてるんですね。手での皮むきは結構な手間なんですよ。その労賃を彼はちゃんと地域のお母さんたちに払っていて。甚五右ヱ門芋をつくっている大谷地は本当に人里離れた集落なので、地域の方たちはアルバイトにいくのに、車で一時間とか二時間かけて通勤しなきゃいけないんです。でも佐藤さんが雇用をつくることで、歩いてすぐの場所で働けるようになる。まさにスーパースターなんです。

千々和:すごいですね。芋の経済システムをつくっている。

渡辺:そうですね。

千々和:東京でもアンテナショップが次々にオープンしたりと、ローカルな食べ物が身近な存在になり、手軽に買えますよね。これまで知らなかった食べ物にいつも出会うことができて、有り難いなと思います。でもその反面、東京で人気が出て消費が高まると、東京市場向けに結局たくさんのものをつくらなくてはならなくなったり、その結果ちょっとまた別の方向にいく可能性も出てくるんじゃないでしょうか。

もちろん、みなさん趣味ではなく生活のためにやっているので、たくさんつくってたくさん売ることは大事なことだと思います。その反面で、モノの価値というのは換金化される経済的価値だけではなく、種を守っていくという面にもあると思います。これから地方は良くなる、悪くなるとは簡単には言えませんが、監督から見ていかがですか? いま撮っている新しい映画の話とも絡めて、今後地域がどうなっていくと思われているか、あるいは監督自身がこうしたいなと思われているところなども含めて。

渡辺:私は実際に地方に住んでいるので、たとえば山形県以外の地域や先進地に行くと「あ、こういう暮らしもいいよね」と思います。でも、コミュニティーは自分一人の思いでつくれるものではないので、どういう形で地域に関わっていくかと考えたときに、やっぱり食べ物は一番わかりやすい。いま山形県内では、いろんな伝統野菜や地域の食べ物で街おこしなどの取り組みをしていて、うまくいっているんですよ。それはすごくいいなと思っています。

ただ、売れるか売れないかという尺度で考えてしまう、考えすぎてしまうと、売れないからこの在来作物はもういいです、という理屈も成り立ってしまう。なので、どういう形で自分たちの地域の経済の仕組みをつくるかです。自分たちでその地域をデザインしていくようなマインドをもてば、在来作物を買う行為自体が、地域づくりの一つのプロセスなわけです。そういう視点でもう一回見直していかないと、売れる売れないの話になると、また元に戻ってしまいます。せっかく買う方やつくる方の価値観がだんだん幅広くなってきているので、もう一回冷静に見て、どういうプロセスがいいのかをいま考えなくてはいけないのかなと思っています。

渡辺監督

渡辺:いま私はいろんな地域でお仕事させていただいていて、山形鋳物の短編ドキュメンタリーもつくりましたが、そちらもやっぱり同じことです。従来の大量生産、大量消費のものづくりでは、職人さんがいなくなってしまう。買い手はたくさんいるけど、生産者、職人がいない。じゃあ、どう人材育成していくのかを考えたときに、買い手も、作り手も、おのおのライフスタイルを見つめ直す必要があるのではないでしょうか。例えば、工場のラインで働く労働者としてではなく、やりがい、生き甲斐を感じられるように若い人たちのなかでは「半農半職人」としてのライフスタイルを選ぶ人もでているそうです。もともと鋳物の職人たちも、農業しながら鋳物やっていたり、酒造りも農業しながら冬場は酒造りをしたりします。そういう観点で作り手も買い手もライフスタイル全体をデザインし直さないと、本当に意味でのクリエイティブなものづくりは出来ないということだと思います。そういった提案を、みなさんと一緒に考えたいと思っています。また、いま準備しているのは地域エネルギーのドキュメンタリーで、それもやはり同じです。石油とかなんでも海外からの資源に頼っている状況です。

千々和:エネルギーは特にそうですよね。

渡辺:そこに再生可能エネルギーだったり、あとは自分たちで出資したりすることで、お金が地域の中で何周もして、ヒトもお金もモノも様々いい方向に循環していくんじゃないかと考えているんです。そういう仕組みを誰かに任せていたのでは、何百年待ってもたぶん取り戻せないので、自分たちで仕組みをつくらなきゃいけない。DIYもいま盛んにいわれていますけれど、同じマインドなんですよね。だから、伝統工業や食べ物もそうですし、暮らし全般をDIYしていく。自分たちでゼロから仕組みをつくっていく。誰かの真似でもいいですけど、自分たちでカスタマイズしていく時代なのかなと思っていますね。

千々和:なるほど。さきほどのぼくの質問の視点でいうと、東京という市場など自分たちの「外」で買ってくれる人がいるのは喜ばしいことだと思いますが、その収益に依拠してしまうと自分たちのあずかり知らぬ外部に依存するシステムだとは思います。こうしたシステムから離れなくても、自分たちの「中」につくったり消費したりするシステムをつくっていく形へとシフトしていくということですね。

情報と食材を一緒に届ける『山形食べる通信』

千々和:さて次は、監督の奥さまで『山形食べる通信』編集長の松本典子さんです。

松本:よろしくお願いします。

千々和:まずは経歴ですが、ご出身はどちらですか?

松本:埼玉県の所沢市です。

千々和:いつごろから山形に?

松本:丸3年経って、いま4年目に突入したところです。

千々和:なるほど。『山形食べる通信』をはじめたのはいつからでしょうか?

松本:2015年の3月なので、ちょうど一年ですね。

千々和:じゃあ、はじまったばっかりという感じですね。情報誌と一緒に食材が届くというちょっと変わったメディアですよね。

松本編集長

松本:そうなんです。カラーの20ページ情報誌と一緒に、特集している赤根ホウレンソウが3袋とベーコンのかたまりが同梱されています。いま読者の方は241名なんですが、最大で800名までの受付としています。

千々和:なるほど。いままではどんな食材を選ばれてきましたか?

松本:創刊号が「うるい」と、「白鮭」という日本古来の鮭でした。白鮭は日本海側だと山形県の遊佐町で一番溯上しているので、卵をとってまた孵化させて川へ放流します。この、卵をとったあとの鮭の活用がいまいろいろ考えられているんですね。そこで『山形食べる通信』では、スモークサーモンと鮭とばを選びました。鮭とばは寒風で干して、生ハムみたいにちょっと表面が硬いけど、中はセミドライで風味があっておいしいんです。その次が隔月なので6月号で「ジャンボきくらげ」と在来作物である緑色の「和辛子」。

千々和:キクラゲは在来作物ではないんですね。取り上げるのは在来作物が多いんですか?

松本:やっぱり在来作物が中心ですね。もともとこの映画で知り合ったところから、在来種を未来に継いでいくにはどうしたらいいのかっていうのを、夫婦で毎晩のように企画会議していて(笑)。ああでもないこうでもないって毎晩話しているうちに、この食べる通信の仕組みを知って。結局、在来作物の一番の弱みはスーパーとかに並べたときに、買ってもらえないことです。じゃあなぜ買わないのか主婦の方に聞くと、食べ方がわからないって言われるんですよ。うまく料理すれば本当においしいのに、その食べ方がわからないから手に取らない、買わない。そうすると、生産者の方も「誰にも必要とされてない」と思ってつくるのをやめてしまう悪循環に陥ります。でも、実際に食べてもらえばこの悪循環が変わる気がして、『山形食べる通信』をはじめました。

千々和:なるほど、調理の仕方も載っているわけですね。

松本:そうです。今日のケータリングでもお世話になっている「つむぎや」さんに赤根ホウレンソウのグラタンとパスタを提案してもらったり。周りに協力してくれている仲間がいるので、相談しつつアンテナを張って。隔月発行なので、次はこの食材でいこうっていうのを向こう3、4回分くらい計画立ててやっています。

つむぎやさんによるケータリング

つむぎやさんによるケータリング

千々和:一昔前だと、食べ物の雑誌というと料理雑誌か、おいしいレストランを紹介するガイド誌くらいでしたよね。食材の雑誌っていわれたら、プロの料理人向けの雑誌なのかなという感じがします。『山形食べる通信』でやろうとしていること、コンセプトはどういうことですか。

松本:一番の核はやはり、在来作物を一般の人に食べてもらうことです。在来作物は見た目が一般的に売っている野菜とはちょっと違っていて、味も特徴があります。たとえばカブは苦味と甘み、香りもすごく強くて、クックパッドとかのレシピで普通の白カブと同じように料理をつくると、全然違うものになってしまうんです。そもそも赤カブをシチューにいれると、シチューが茶色というか(笑)。カブの赤色が混ざって、ホワイトシチューなのにブラウンシチューになっちゃったみたいな。

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在来作物を未来につないでいく上で、一番大事なのは食べつないでいくことです。いいよねってただ言っているだけだと、つくっている人にはお金が入ってこないので。もちろん自分たちで食べるのが前提でつくっているんですけど、売ったときにお金にならない、0円、というのはいまの貨幣経済の中だと厳しいものがあります。そうすると、つくるのをやめちゃうっていう方が多くて。

千々和:一次生産者の方とぼくらのような消費者を結ぶのが、メディアの役割というところですね。

松本:そうですね。

生産者と消費者をつなぎ、新たな縁を結ぶ

千々和:生産者と消費者を結べたなって実感できたエピソードなどがありましたら教えてください。

松本:そうですね、2015年12月号では赤根ホウレンソウを取り上げたのですが、ちょうど出荷前の時期に大雨が降ったことがありました。ホウレンソウは葉物野菜なので、葉っぱが水浸しになると腐った感じになってしまいます。生産者さんからは「A品で人数分用意するのが、できなくなってしまいました」と電話が来たんですね。どうしようかなーと思ったときに、でもA品である必要ってどのくらいあるのかな? と疑問に感じて。A品じゃなくなるとどうなりますかと生産者さんに聞いたら、「葉っぱがちょっとくちゃくちゃとなった状態で出荷するか、もしくは赤根ホウレンソウは根っこがおいしいので、根っこだけを集めて袋詰めして出すことならできると思います」って言われたんです。

それで、これはちょっと一回読者のみなさんに聞いてみようって思ったんですね。『山形食べる通信』はFacebookで読者の人たちのみ閲覧できるページを持っているので、そこで、みなさんこういう状況なんですけどどう思いますかって聞いてみました。そうしたら、ほぼ全員が「B品で葉っぱがくちゃっとなっていてもいいし、根っこだけ集まったものでも全然かまわない。生産者さんに負担のない形が一番いいと思います」というふうに答えてくださったんです。

千々和:それはすごいですよね。

松本:はい。普通はスーパーマーケットにいくとみんな同じ形のキュウリ、同じ形のトマトってなっていて、それが当たり前に見えるんですけど、本当は大根なんか二股に分かれたり、3つ4つに足が出たりっていうのは結構あったりするんですよね。そういうのを近くで見ていないと知らなくなってしまう。でも本来はそうじゃないんだよ、という情報を伝えれば、きちんと理解してくれる相手が確実にいるんだなって改めて実感しました。

ほうれんそう

千々和:普通は食べ物だって思うと食べられて当たり前、ホウレンソウなんだから葉っぱがあって当たり前、色が緑で当たり前だって思いますよね。でも今回のような映画を観たりして、食べ物ははじめから食べ物としてあるわけではなく、食べ物になってきたんだっていうのを知ったりして、『山形食べる通信』の読者の方はちゃんとご理解されている。だからアクシデントがあっても、そういった対応ができるんでしょうね。。

松本:じゃあ根っこだけのでいいですって生産者さんにお伝えしたら、ちょっとびっくりされてて。生産者さんは、市場に出すのは必ずこの形でなくてはいけないという決まりの中で動いているから。

千々和:『山形食べる通信』は食材を売る雑誌ともいえるけど、購入者は食材以上のものに対価を払っている感じがするんですよね。単純に食材として買うなら、自分で料理しやすいようにとか、スーパーで買った方が全然安定していると思います。『山形食べる通信』はそういったコトを提供できていると思います。「買っている方が生産者に配慮する」と言うよりも「生産者のファンになる」というところですね。

松本:そうですね。

千々和:『山形食べる通信』で知って生産者に関心を持った、というような読者の反響はありましたか?

松本:ありますね。生産者でFacebookをやっている方は『山形食べる通信』の読者ページにも招待しているんですが、さっき出てきたジャンボきくらげをつくっているのが鈴木くんという25歳の男の子で、ばりばりFacebook世代で。彼はすごくこまめに情報発信してくれて、読者の方の「こんな風に料理して食べました」という投稿にも一つひとつコメントを返してくれたり、生産の様子の動画をアップしたり。そうしたら、鈴木くんがきくらげ以外でつくっているお米やだだ茶豆もほしいという飲食店があらわれて、『山形食べる通信』経由でなく鈴木くんと直接のやりとりが始まったそうです。昨年末には代官山のマルシェに出店することになって、教えてもらったのが出店の3日前でぎりぎりだったんですけど、読者の方に告知したら3〜4人の方がお店に行ってくれました。「本物の鈴木さんに会えた」って言ってくれました。

鈴木さん

松本編集長と鈴木さん

千々和:今度はきくらげ界のスターですね。

松本:いまね、地元で「きくらげ王子」って(笑)。隣町の病院の看護婦さんからも「あ、きくらげ王子ね」って言われていたりして。

渡辺:半分自称で(笑)。

(2016年2月13日@amu)

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受け継ぐこと、ゼロから作ることーー映画「よみがえりのレシピ」トークイベント 2/2

 

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