EVENT REPORT

IAの役割――World IA Day 2016 Japan(Tokyo) vol.4 6/6

【スピーカー】櫻田潤、松浦茂樹、坂田一倫、長谷川敦士

【モデレーター】山本郁也

EVENT REPORT

IAの役割――World IA Day 2016 Japan(Tokyo) vol.4 6/6

【スピーカー】櫻田潤、松浦茂樹、坂田一倫、長谷川敦士

【モデレーター】山本郁也

2016年2月20 日(土)、amu にて World IA Day 2016 東京が開催されました。今回のグローバルテーマは「 Information Everywhere, Architects Everywhere 」、そして日本では「いまフィルターバブルを考える、これからの IA の役割とは」とローカルテーマを題してさまざまなプレゼンテーション、議論が行われました。ログレポート最終回はオープンディスカッション「フィルターバブルと企業倫理」です。当日の発表者の長谷川敦士氏、櫻田潤氏、松浦茂樹氏に加え、Medium 日本代表アンバサダーの坂田一倫氏と、IAAJ/HEAD 研究会 フロンティアTF 副委員長の山本郁也氏が登壇しました。

※このセミナーは2016年2月に行われたもののため、文中の数字やサービス構造等に関しては、最新ではない可能性がございます。

OVERVIEW

2016.02.20(土)

スピーカー:
櫻田潤(NewsPicksインフォグラフィックス・エディター)、松浦茂樹(SmartNews 編集長)、坂田一倫(Medium 日本代表アンバサダー)、長谷川敦士(IAAJ/株式会社コンセント)
モデレーター:
山本郁也(IAAJ/HEAD 研究会)

INDEX

  1. 会場からの質問――IA には何ができるか?
  2. 会場からの質問――教育の必要性
  3. 会場からの質問――《弱い IA》とのつながり
  4. まとめ

会場からの質問――IA には何ができるか?

(この記事は 1/62/63/64/65/6のつづきです)

山本:議論はつきませんが、そろそろ質疑応答に入りましょう。質問ある方、いらっしゃいますでしょうか?

質問者1:貴重な議論でおもしろかったです。発信者側ができることについて倫理規定のお話もありましたが、フィルターやバイアス自体が IA の仕事と根本的にほぼ等価というか、それらをかけることがむしろ情報設計の仕事だと思います。そのため IA の立場では、フィルターをかけない方向には行けないのではないかと。そう考えた際に IA の側としては、今日のパネルディスカッションで頻出していたソースの透明性のようなことが、まず一番できることとしてはあるのかなとお話をうかがっていて思って。逆にいえば今日の議論からは、それ以上に情報発信側ができることが、わかりませんでした。ご意見あればお願いします。

山本:長谷川さん、いかがですか?

長谷川:ソースの透明性は、ソースを読める読み手のリテラシーに依存します。テクノロジーに関した IT や Web についていうと、ソースの透明性は一つの責任を果たすことではありますが、どれほどのテクノロジーのリテラシーを前提にすべきなのかは、逆に今の質問で思いました。今後の社会常識として、ソースを読む、アルゴリズムを理解する、プログラミングの読み書きといったものが概念的には必要になってくる。でも、みんなそこまでできるのでしょうか。アルゴリズミックに情報のレコメンデーションが起こってカスタマイズされていることを理解するのは、自分の身を守るというか、生きていくために必要ですが。
こうした状況で、メディアや情報設計従事者がソースの透明性を保証するのは、確かに一定の責任を果たします。ただ、情報設計従事者ができるのがそれだけなのかどうかは、まだ即答できません。極論すれば、情報設計はテクノロジーをまったく介さなくてもいいのですが、フィルターバブルだけに関していうと、機械学習を介した自分への最適化がアルゴリズムで行われるのが狭義というか、定義です。なので、ソースの透明性である程度の責任は担保されます。

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櫻田:もう一つあるとしたら、どういう経緯でフィルターをかけたかのメイキングを提示すること。僕もたまに、NewsPicks でのインフォグラフィック公開時に自分個人のサイトで、「どういう経緯でここの情報を取捨選択したか」を提示しています。そういうこともソースの透明性の保証に貢献しそうです。

質問者1:そこに関連して、やはり受け手のリテラシーの問題もあります。現在の Google のアルゴリズムを考えたときに、理解できる人は世界に何人いるか? という話です。そうすると、もうブラックボックスになってしまう前提だと思うんです。その前提に立つと、今後の問題はリテラシー論ではなく、ブラックボックスになっているものとどうやって付き合わなきゃいけないのかが、非常にむずかしい問題なのではと思うのですが。

松浦:そこはもう本当に Google でもなんにしても、とりあえず検索ワードを入れると「よくわからないけど自分に有益な情報」が表示されるという状況ですよね。よくよく考えると、スマートフォンという小さなものでいろんなことやっている。結局 Twitter にしてもなんにしても、通信のアルゴリズムをわかっている人はどれだけいるんでしょう、という話になってしまいます。ソースコードが読めたら、もちろんできるに越したことはないですが、全体のしくみとしての枠、フレーム部分が大枠から理解できるような形になっていればいいと思います。僕自身もテクノロジーが大好きですし、知っている部分もあるかもしれないけれど、じゃあこの中で何人がソース読解を含めてできるのか? という話になったとき、そこで考えること自体を止めないこと。ちょっと精神論になっちゃいますけど、それが大事になってくると思います。

坂田:思考停止しないということですよね。アルゴリズムの公開に関して、最近すこしずつ国として動きが出てきているなと思ったのは、ソーシャルゲームの「コンプガチャ」の件でした。ハイロジックをきちんと数値化して出し、過度な課金をしないようにという消費者庁からの教えです。それを国として規制していこうという動きと、消費者庁の要請をもとにしたゲーム会社のロジック公開が整ってくれば、おそらくゲーム以外の分野でも同じようなことが起きてきていると思います。そうなると結果として、受け手のリテラシーも少しは上がってくるのでは、と。
そしてもう一つは IA のコンテクストの部分の、チャレンジの問題です。Netflix のように、ユーザーがわかるコンテクストで、レコメンドシステムをブラックボックスから出してくれているものもあります。なぜこれがレコメンドされたか、それはこれを見たから、これを選んだから、そのトリガーはなにか、インプットになにがあったからこれがアウトプットだ、というコミュニケーションをちゃんとユーザーのコンテクストに合わせて出しているので、ユーザーも「じゃあ、次にこういう行動をすればこういうレコメンドが出て来るんだ」という学習サイクルが起こります。こうした設計こそが、まさに今後の課題だと思いました。

山本:ソースだけでなく、アルゴリズム自体もユーザーにわかるように伝えることも、IA の仕事だというのは確かにありますね。またもう一つ気になったのが、坂田さんが、思考停止しないことだと発言しましたが、思考停止によって「これはブラックボックスなんだ」と把握できます。しかし、思考停止しないということはものすごくむずかしいと思うんですよね。そうした状況で、メディアリテラシーの向上、たとえば松浦さんのおっしゃっていたアウトプットという行為はどこまで現実的なのかな? と思ってしまいました。

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松浦:もちろん僕自身がメディアをいくつもやらせてもらっている側面もあるんですけど、否定するだけの情報をあまり言わないようにしています。「あれがだめこれがだめ、もう悲惨な未来ですよ」と言う方が思考停止の要因になる。そうじゃなくて、伝え手としてはポジティブな情報を伝えていきたい。たとえば Google のように優位で、使い勝手がいいサービスにもブラックボックスがあるかもしれませんが、なにかしら自分の生活において便利だからこそ、みんな Gmail などの Google のサービスを使いますよね。そうしたしくみ的なことも懐柔しながら伝えていかないと、考える行為に至らないと思うんですよ。ネガティブに「あれがだめこれがだめ」「戦争が起こるかもしれない」と伝えていくと「ああ、そうなんだ」と止まっちゃう。この考え方は、SmartNews ではなく個人的に、ネットメディアにおいて、伝えることをやってきた経験に拠ります。生活、考え方、ライフスタイル、その他もろもろがプラスに働くんだよ、と言い続けるのが大事だと思っています。

質問者1:ありがとうございました。

会場からの質問――教育の必要性

山本:ほかに質問ある方、いらっしゃいますでしょうか?

質問者2:非常に興味深い話多かったです。これだけネットの世界になってくるとやはり受け手のリテラシーが大事で、小学校から教育していく必要があると思います。その際に日本人が非常に弱いのが情報の編集で、実は多くの課題はそのことにほとんど帰着するような気がします。ブログを書くのもニュースをつくるのも、すべて情報の編集から発しているけれど、日本ではそのトレーニングがほとんどされてないなぁ、と。いかがでしょうか。

櫻田:情報の編集について、僕もまだできていないですけど、スクールのようなことが必要なんだろうなと思っています。情報編集を学べるのか、もしくは本当に学校教育プログラムの中に組み込むような、そのひな形みたいなものをつくる必要性を感じていますね。その中で、たとえばインフォグラフィックや IA に従事する人たちが教えたり、一緒に考えるというような場がないというのは、確かにいえてますよね。

松浦:仕事でも同じですが、やっぱり「上から言われた作業をそのままやりましょう」という形で、延々と受け継がれているルーチンワークをやっている。それでいえば、小中高の段階から言われたことをルーチンワークでやっちゃってる。この状況を一回断ち切るのは、社会人からでもまだ間に合うと僕は考えています。そういうルーチンじゃないところで、ディスカッションのようなことをして、なにかしらを生み出す。自分も小・中のころにディスカッションとかしたくなかったです。でもそのころ、ありがたいことに考えることを学ばせてもらった経験があって、そうすると情報の編集をする。やはり受け取ったものをアウトプットするときに、なにかしらの編集が生み出されるのかなと。編集を身体的に、無意識にできる人もいるかと思いますけど、それは社会人からでもまだ間に合うかもしれないと思っています。

坂田:たぶん、自分の言葉、あるいは別の言葉に置換して言語化するというのが編集なんじゃないかなと。僕はこれまでの仕事や、それこそこういった会話の中でやってきたことかなと思っています。先ほどの「つまりこういうことですか」と自分の言葉、あるいはこれを今から自分が発信する先の相手の言葉に合わせて変換してあげるっていうのは、そもそもの編集という作業です。それはおそらく日常会話としても、なにか質問を返したりとか、それこそ今日の山本さんのようにモデレーターという形で、各自の論点を編集しながら「つまりこういうことですよね」と文字通りまとめというか、そういったところに属するのかなと思います。

長谷川:そうですね。ご質問は先ほどの話ともつながるような、つくり手になって情報のアウトプットを試みることがリテラシーの教育になるのか? という話とまさにリンクしています。日本だと、と言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、ローデータを分析することは編集の行為としてみんな必要だからやります。でもそれが他者に伝わるプレゼンテーションになっていない。最近パワポを使わないとどうこうみたいな話もされてますけど、それは本質ではありません。ローデータで分析されたものと、自分はとても長く付き合ってきたからわかるのですが、他者に伝えるときに経緯をみせる伝え方もあれば、ダイジェストで伝えるやり方もあるし、といったことを考えるのが編集という作業です。これまでの日本の教育の中では、それがあまり考えられて来ませんでした。逆に編集の経験がない人は、ひょっとすると今回の提起であるフィルターバブルの真の恐ろしさをわからない可能性もあるでしょう。また編集による影響の大きさに対しての想像力も、決定的なものになるんだろうとも思いました。

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また1つ目のご質問を聞きながら、考えるのを止めないことや、メディアのアルゴリズムをどこまで理解すればいいのか考えていました。結局、これからのテクノロジーがどんどん複雑化していき、おそらく AI も絡んでくると、それこそディープラーニングされた結果とか、人間の理解の範囲を超えています。そうすると、アルゴリズム自体を理解してもあまり役に立たず、AI が何十層もある、最適化学習した事実がわかっても、実はそれほど解決にはならない。なので、やはり時代とともに考え続けることによって程度問題としてやっていかなきゃいけないんだろうなと。
そういう意味でいうと、つねに自分に対しての客観的視点を持つべきです。自分がみているものを絶対的だと思わず、オルタナティブもあるのかとか、それはどうなっているんだ、とつねに疑う。疑うというか、考えながらみるというようなことが結果的に、メディアリテラシーになるんだなと。そのメディアはなんなんだろうか? と、常に時代とともに見ていく視点がメディアリテラシーということですね。

山本:いかがでしょう。

質問者2:ありがとうございます。

会場からの質問――《弱い IA》とのつながり

山本:では最後の質問にしましょう。

質問者3:昨年も参加させていただきましたが、《弱い IA》(World IA Day 2015 Japanの「弱いIA」についてはこちら)を思い出しました。今お話を聞いていて、そういった制作のプロセスをちゃんと伝えることが重要そうだし、設計者もそれを考えてコミュニケーションをつくらなきゃいけないんだろうなと。昨年の《弱いIA》のお話となにかつながる気がしていて、関係性をきちんとデザインして、しかも表現に落とし込む、デザインのプロダクトなどに影響を与えるというお話だったと思うんですね。漠然とした感想になってしまいましたが、つながるなぁという印象を受けたので。皆さんご存知かどうかわからないですけど、もし結びつくなにかがあったらご意見をうかがえますか?

山本:まずは、昨年主催の私からお話しますね。話のセンテンスを考えたんですけど、いや、つながると思いました。なぜかというと、《弱いIA》もこちら側がなにか一方的に押し付けるわけではなく、ちょっと弱さをつくることで相互補完的な関係性をつくりましょうっていう話でした。今のネット業界の話でいうと、私たち側が一方的に情報提供して、受け手はみるしかない、というような上下関係がある状態だと思うんですね。だから、たとえばアルゴリズムを公開することは見方によっては弱点にもなりうる。アルゴリズムを公開するとか、透明性をちょっと提供することで受け手側に身近に思ってもらうとか、受け手側の興味をひくとか、そういった関係性づくりの話だと思うんですよね。そういう受け手と情報提供者側の関係性をつくっていこうという意味では、《弱い IA》とつながるところがあるのかなと思いました。本当にソースコードの提供が弱さを見せることなのかは別として。

櫻田:去年、岡田美智男さんがお話されていたゴミ箱のロボットの話(該当のレポートはこちら)を思い出しました。たとえばレコメンデーションも、自分が押したものに対してなされますよね。Amazon でいえば、本のレコメンデーション。でもたまに「これじゃないよ」ってときがありますよね。そうすると、ロボット側が間違えたみたいな状態になっていると思うので、その間違いすら見せちゃうみたいな。なんか、そういうコミュニケーションのつくり方を考えることなのかなって、今のお話を聞いて思い出しました。なので、そのアルゴリズムっていうものを理解はできないんですけど、ユーザー側は自分が押してロボットは間違えたんだな、じゃあ、教えてあげようみたいな。

山本:ああ、「ごめん、間違えちゃった。むしろ教えてよ」と。

櫻田:そう、「ごめんね」みたいな。そういうことなのかなって思いました。

長谷川:ちょっとそこは、去年の《弱い IA》の文脈とは違うかなって思います。まず《弱い IA》をちょっとご紹介すると、去年は WIADJAPAN に《弱いロボット》の概念を提唱されている岡田美智男さんをお招きしました。彼の《弱いロボット》の概念は、アンチテーゼなんですね。いわゆる西洋的なというか、重いものが持てる、速いとかっていうような機能が打ち出されるものを《強いロボット》というふうに定義をしたときに、なんにもできなくて自力ではできないものという、ある種、機能を提供するという定義からすると存在意義がないようなものなんだけれども、実はそこに、そのロボット自体が、たとえばか弱いとか、そういうことがあると。なので、ご年配の方などが恐れないでコミュニケーションを発することが、たとえば認知症の改善に役立ったりとか。もしくはコミュニケーションに障害を持っている人がロボットと対話をすることでコミュニケーションが活性化をしていくというような側面があるんですね。
先ほどのゴミ箱もゴミをバキュームするのではなくゴミ拾いに行くんだけど、自分がゴミ箱だから、ゴミの周りで困っているみたいなロボットをつくると、人間はどうしてもゴミを入れてあげちゃうという行為を誘発するような側面がある、という話です。ロボットの話は若干あざとい感じがしなくもないですが、そういうロボット自体や AI に、そっちが強い存在にならないで、なんか入り込む余地をつくるみたいなことで、インタラクションが活性化されるという。実はこうした分野、こうした形でのインタラクションの発生みたいなことは、AI やロボティクスの学会ではあまりメインストリームな議論にならず、割とオルタナティブな形でした。でも、これからの時代の社会と共存していくロボットや AI を考えるときには、そういう存在が必要なんじゃないかという提言だったんですね。こうした部分からインスパイアされて、《弱い IA》があるんじゃないかと。

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長谷川:IA も情報を伝達するという機能的な理解をしてもらうというところではなく、ちょっとこちら側に付け入る隙があったりとか、あまり完全じゃない形のほうが、ユーザー側のたとえば学習意欲を促進させたりとか、行動意欲を誘発したりするような側面があるかもしれません。特にコミュニティを持つような日本の Web サービスなどが、海外よりも結束の強いコミュニティをつくるということは、実は成功している事例が多いんじゃないかって議論があります。
たとえばクックパッドでレシピの共有によって生産的にコミュニケーションができる場があります。そういった場のアーキテクチャは、実は《弱い IA》と呼べるような、なにかそれ自体で考えていく側面を持っている。逆に CGM(Consumer Generated Media)などはみんなに参加してもらわないといけないので、そういう側面があると思うんですが。
そうしたことをふまえて今日の話が関わる部分は、直接的な関わりではありませんが、山本さんが言ったように設計者が一方的に強い存在で、設計者が倫理を全部背負っていて……というものではないと思います。そういうところもオープンにした形で、場のファシリテートをするような側面のアーキテクトの存在は、おそらく今後、もっと必要になっていくでしょう。その際に、たとえばオープンエンドな Wikipedia の設計者はどこまで責任を負うべきなんでしょうか? Wikipedia はもう一次コンテンツになるところですが、コンテンツ自体は設計者がつくるものではなく、場しかつくっていない。一次コンテンツは参加者がつくるものです。だから、どういう参加のアーキテクチャをつくればその中のコンテンツが有用性が高まっていくかとか、社会に役立てられるかというように参加を前提として考えてきたときに、設計者の倫理観はどこにあるべきかということが、考えるトピックとしては発生するのだと感じました。

松浦:あの《弱い》という部分で言うと、じゃあ SmartNews の今の強さは、(オリジナルではない、他メディアの)別の情報をアプリ上で発信しているところです。で、《弱い》情報に当たるのは、SmartNews ではコミュニケーションがあります。そう言うと、「このアプリ上のどこにコミュニケーションがあるんですか?」という話になると思うんですけど、そうじゃなくて、リアルなコミュニケーションです。弊社のオフィスの2階にわざわざ、100人くらい入るようなイベントスペースをつくって、とにかくイベントをやっているんですよ。ぼくが主催するイベントも、リアルにコンテンツをつくっている方々を呼んで、とにかく交流するみたいな形で実施しています。それが SmartNews のビジネスとどう関わるのかというと、実際のところ、大きな意味ではない。たとえば、Medium のイベントも SmartNews でやりました。最終的に SmartNews にはどうやってつながるんだっけっていうところはあるかもしれませんが、でもそういう細かなコミュニケーションのつながり、弱いつながりが、最終的にサービスや、そういうところになにかしらの部分で跳ね返ってくると思って、やっているところはありますね。
それと、個人的な話を一つだけさせてください。LINE というサービスをご存知かと思いますが、LINE は昔、ネイバージャパンというところがつくってものすごく当てたという経緯があります。当時私は livedoor に在籍していて、買収された身でした。「LINE はなんで当たったの?」とよくきかれましたが、私はやっぱり、ネイバーのみなさま方の真摯な姿勢がその理由だと思うんです。LINE って、オンラインのコミュニティだけでどんどん大きくなっていったという側面もありますが、あれをつくっている方々はすごく細々と、ユーザーに一つひとつヒアリングしていたんです。ダイレクトコミュニケーションからオンラインコミュニケーションまでを細々と注意深く観察したり分析して、最終的に人の気持ちが伝わるコミュニケーションという形にして、現在の LINE につながったんだな、と個人的に思っています。
人によってはスタンプが当たったとか、流行ったとか、スピードが速いコミュニケーションができる、機能面が長けているなど、評価のポイントはさまざまだと思うんですけど、本筋に対して一見直接の関係がない情報コミュニケーションが大事だと思っています。いまも SmartNews に在籍していて、そういうことを大事にしながら展開しています。

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まとめ

山本:ありがとうございます。まだ話し足りないところではありますが、時間がきてしまいました。受け手のリテラシーと送り手の倫理、両方出ましたね。受け手のリテラシーとしてはアウトプットするとか、あとは松浦さんからあったように、よいところをプレゼンテーションしていく、というお話でした。送り手としては長谷川さんからもあったように、倫理規範を考えていこうというお話です。
さまざまなご意見もありましたが、そもそも今日は答えを出す場ではないので、こういうアジェンダがセットされたということで、ここにいる皆さんを含めてぼくらも引き続き一緒に考えていければと思います。

櫻田:今日はありがとうございました。今回はじめて参加しましたが、やはりさまざまな立場や分野の方々がいて、ここで話すのは一つひとつの職業とか、特定分野などの話ではなく「社会の話」なのだと改めて実感しました。こうした気づきがあったので、今後もこの場が続くといいなと思いました。

松浦:ありがとうございました。本当にいろんな議論があって、非常に刺激になりました。最後にお願いするところでいうと、せっかくアウトプットの重要性をお話しましたので、ぜひハッシュタグを付けて感想をいただければ。「赤メガネが適当なこと言ってやがる」でも、つぶやいていただければと思いました。

坂田:ありがとうございました。最初のほうでちょっとお話させていただきましたが、やはり櫻田さん、松浦さん、そして僕とは担っているサービスや思想は違うにせよ、その相互作用の結果、すばらしいものをお客さんに提供できているというところが成立していると思うので、この輪を、このシステムを広げていって、また新たな価値が創出できればと思います。ですので、このあとの懇親会でもぜひもっといろいろと意見交換させてください。

長谷川:ありがとうございました。僕自身は職業 IA をずっとやっている立場ですが、先ほどご指摘があった通り、今、日本で Yahoo! を呼んできても結局エンジンは Google なので、フィルターバブルをつくっている張本人ではないんですよね。そういう意味では、日本では NewsPicks や SmartNews などのニュースメディアが、フィルターバブルそのものではありませんが、社会の中ではそういった立場に立たれています。もちろんお二人の今日の発言がすべてではないとは思っています。でもそういった立場にいる方とディスカッションしていって、IA コミュニティが考えるべきことや、今日の話が社会的な問題だということは、「結局、IT や情報の理解をしなきゃいけない」ということが、素朴で表層的なデザイン論を越えて、割と社会の根幹になってきていたり、重要な話題になってきているからこその部分もあるんだなと、改めて実感しました。今後も皆さんと議論をしていければと思います。

(2016年2月20日@ amu )

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