EVENT REPORT

編集者として――Ovni元編集長 佐藤真の生活編集レポート 2/3

【ゲスト】佐藤真

【聞き手】千々和淳

EVENT REPORT

編集者として――Ovni元編集長 佐藤真の生活編集レポート 2/3

【ゲスト】佐藤真

【聞き手】千々和淳

2015年10月10日に、40年間日本とフランスを結んできた『Ovni』誌の元編集長佐藤真さんをお招きして、「音楽」「編集」「料理」という3つのキーワードでお話をうかがいました。本コンテンツは、そのうちの「編集」についてのお話をvol.2として書き起こしたものです。
編集の話はもちろん、仕事の仕方や、『Ovni』での佐藤さん流のコンテンツのつくり方などをうかがいました。

OVERVIEW

2015.10.10(土)

ゲスト:
佐藤真
聞き手:
千々和淳(amu)

《小文字の文化》を伝える『Ovni』

千々和:編集の話に戻ると、佐藤さんはいつから『Ovni』に参加されたんですか?

佐藤:『Ovni』が1979年にできるんだけれども、そのときはまだ、ぼくは社員でもなんでもなかった。ほかのことをやっていたし、どっちかというと映画をやりたかったり、いろんな興味がほかにあったから。ところが、1981年に社長から「どうだ、うちで仕事しないか」って誘われて、金もなくなってきたし、やってみようかなと思って。最初はエスパス・ジャポンEspace Japon *1)で日本語を教えていたんだけど、2年ぐらい経ったら『Ovni』が軌道にのってきて、2ページだったのが4ページになったときに、やっぱり正式な編集部員がさらに必要だということになって、編集者として頼まれたわけ。だから、1983年ぐらいだと思います。

千々和:堀内誠一(*2)さんは、そのときはまだ『Ovni』にいらしたんですか?

佐藤:いや、もう日本に帰られてた。

千々和:なるほど。冒頭(前レポート1/3)でも触れましたが、堀内さんは、『an・an』や『BRUTUS』でおなじみの出版社、マガジンハウスの一番最初のアートディレクターであり、絵本作家でもありました。ちょうどいま(2015年9月19日〜11月30日)、堀内誠一さんの絵本展が日本で開催されていますね。

佐藤:長野県の「小さな絵本美術館」だね。

千々和:日本でデザイナーをやっていたら、たぶん知らない人はいないというような方ですよね。

佐藤:仕事が早い人でね。ウイスキーを飲みながら、その場でキュッキュッとやっていたよ。

千々和:佐藤さんは編集に携わって、一番最初にやった記事とかって覚えてたりしますか?

佐藤:はじめは音楽や映画についての記事を書いていて、『Ovni』でなんとか連載できるようになった。よくいまの若い子に言うんだけど、たかがフリーペーパー、されどフリーペーパーってね。みんなが無料で手に取って読むものだから、あんまり人が気に入ることを書こうとしなくたっていいんだよ、でも、売らなくていいわけだから、好きなこと、おもしろいことを書きなさい、っていうふうに言うのね。

で、ぼくがなに書こうかと思って、たぶん一番連載っぽく書いたのはアフリカ音楽について。その当時はまだ、いわゆるワールドミュージックっていうのはあんまり知られていなかった。1982年にセネガルやマリのダンス音楽がパリに入ってきて、それからすごく有名になった。好きだったから、それをとにかく書きはじめた。あと、料理記事も書いた。自分が書く前も料理記事の連載はあったんだけど、あんまり面白いとは思えなかったので、悪いけどぼくが取っちゃってね。そんなふうに、最初は料理記事と、主にアフリカ音楽についての記事を書いていた。

千々和:料理と音楽って、なんだか結びつきがあまりないような感じもしますね。あと、自分の好きなものを書くってところが、すごくいいなと思いつつ、人に読んでもらうレベルにするのは、実はなかなか難しいことだと思うんですよね。自分はおもしろいと思っているけれど、本当にこれ、周りの人がおもしろいと思うのかなとか、独りよがりになっちゃうんじゃないかとか。不安や迷いはなかったんですか?

佐藤:独りよがり的なのはかなりあるとは思うけど、でもやっぱり、好きだからこそ深かったり、変なこと知っていたりもするから、そういうアプローチとかって、アフリカ音楽になじみのない人がみると、「あ、これはひょっとしておもしろいんじゃないか」ってことを感じてもらえるんだと思うんだよね。そういう点は結局料理も同じだけど、別の意味では、音楽のほうが難しいなと。料理に比べて、ある音楽を、どんなふうにいいのか説明することはすごく難しいことだと思う。でも、なんとなくぼくの好きなアフリカ音楽を聞いてもらいたいと思っていて。だからあんまり、誰でも万人に向けてというつもりはなくて、1人でも2人でも興味を持ってくれたらと考えて。そういう開き直りをしてるから、あんまり独りよがりというのは気にしなかったかな。

千々和:なるほど。知識のある自分を伝えたいわけじゃなくて、やっぱり人に伝えたい「コト」があるっていうところが一番重要なんですね。独りよがりになってしまわないのは、対象や視点の違いなんだろうなと。

佐藤:例えば、ぼくが一番意識していることは、《異邦人》っていうことかな――これは『Ovni』の前面にはあまり出てきてないけれど。パリにいるときは、日本人でもアフリカ人でも、移民の1人なわけ。そうなると、移民や異邦人というものに、惹かれるのはなんとなくあるね。だから料理のことを書いていても、ときどきマグレブ料理のことを書いたりなんかして。移民同士のつながりっていうか、なんとなく心が惹かれるわけね。たぶん、アフリカ音楽について書いたのも、そういうこともあったんだと思う。当時はあまり意識してなかったけど。そうそう、1991年に稲葉宏爾さんに(*3)構成・レイアウトをお願いして、オヴニー・パリガイドを出したけれど、そこでは「パリは混血文化の街」というのがかなりのスペースを占めていたな。

千々和:確かに先ほどのジャズの話でも、ジャズのメインストリームとはなかなか言いがたいようなジャンルで、ドン・チェリー(*4)とか、そういった方々とつながったということとも似ていますね。どちらかというと、メインストリームとは少し外れたところの人や文化と交わるところなんかが。

佐藤:意識してないけど、自然にそうなるところが多いかもしれない。

千々和:『Ovni』が出た1970年代のフランスというと、まだ日本人は少なかったと思うんですが、そんな状況の中、日本語の新聞として出して、現地の日本人の需要や反響はどうでしたか?

佐藤:まぁ、発行部数や印刷部数が増えていってるわけだから、少しずつ増えてはいるよね。とはいえ、部数は少なくて需要をまかなうほどではないから、刷れば刷るほど、当然はけていくわけ。だからあんまりどれだけ印刷したか、そういう関心はないけれど。日本人が増えたというのもあまり聞いたことがなかったかな。いまは日本人も少し減っているけれど、やっぱり1980年代から2000年代のはじめぐらいまではこんな感じだったと思う。

千々和:日本人同士のつながりとかコミュニティとかって、エスパス・ジャポンにもあったりするんですか?

佐藤:エスパス・ジャポンは、案外日本人同士では集まらなくて。エスパス・ジャポンでやっている日本語教室に、「子どもをバイリンガルにしたい」っていう日本人のお母さんたちが子どもたちを連れてきてて、そこでお母さんたち同士が話をするってことはあると思うけど。

千々和:ぼくもパリに行きましたが、たいていの都市と同じように、ある人種の人たちが集まる場所ってあると思います。パリだと、日本人が多いのはどの辺りでしたか?

佐藤:今も昔もサンタンヌ通りを中心としたオペラ地区かな。以前は、あそこに東京銀行があったせいもあって。だから圧倒的に日本人が多いし。最近ではフランス人がいろんな形で日本に興味を持っているから、パリの日本レストランにたくさんのフランス人が通ってる。

千々和:パリに行くとき、ぼくなんかも実は『Ovni』にすごくお世話になったんです。日本でアルバイト先に置いてあった『Ovni』をいつも読んでいましたが、いざ行くとなったとき、宿とかお店を探したり、行ってみたい場所を見つけたり、すべてが『Ovni』からの情報でした。20年近く前のことでしたけど。『Ovni』こそが生きた情報だなと思っていました。記事もすごくおもしろかったんですよね。パリって、日本の雑誌とかでいつも特集されたりしてるように、日本人にとって憧れの街だと思うんです。でも、『Ovni』に出てくるパリって、なにかそれともどこか違うんですよね。そのときぼくはまだ若かったのもあって、周りの言うフランスやパリとかっていうのとは違う、『Ovni』が教えてくれる本当のパリを知っているんだ、みたいな誇らしさすら感じてました。あのころの日本では、『Ovni』は手に入りにくかったんですよね。いまはけっこう手に入りやすくなったんですかね。

佐藤:どうだろうな。でも、日本の部数はあんまり変わってないから、やっぱり前と同じぐらいじゃないですかね。いまはほら、Webサイトでも見れるから。そこでまあ、いいかなっていうふうに思ってはいるけれど。ペーパーで読みたいって人には、向かないペースだと思う。

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2015年にロゴやデザインがリニューアルされたovni

千々和:そうですよね。なかなか手に入らなくて、そのアルバイトしていたところでも、やっぱりみんなが読みたがって、結局回し読みしていました。

佐藤:たまにだけど、10年に一度くらい、アンケートやるんですよ。どの記事がおもしろかったとか、どんな風におもしろかったとかそういうようなのを。アンケートやったからといって、それに合わせて変えようとまではしないんだけど、単に探る程度でやっていた。そうするとやっぱり、パリに住んでいる日本人の方っていうのはまず、真っ先に見ているのは三行広告だったね。一種の日本社会の縮図だし、ぼくなんかはすごくおもしろいと思うんだけど。で、絶対に他のページは開かない。まず三行広告。それから少しずつ好きなの見ていくんだと思うんだけど、住んでいる日本人の方の意見とか、選んでいることって、なんとなくぼくたちとは少し違っていて。例えば、『Ovni』で取り上げた日本のニュースがおもしろいとかって。それは必要だったらやるけれど、あまりぼくたちの目指すことじゃない。それよりも、むしろ日本に住んでいて、フランスに興味を持っている人たちの意見とか感想の方が、ぼくたちが考えているところに、かなり似ているんだよね。だから、ぜひ日本に住んでいるみなさんに読んでもらいたいと思う。

有名な人、あるいはみんなが知っているレストランとかに行って、短時間で取材して、たくさん出すっていう《大文字の文化》 を伝えるようなメディアがある。『Ovni』にいたとき、ぼくはみんなに「《大文字の文化》じゃなくて《小文字の文化》を伝えよう」と言っていた。そんなに有名でなくても、なにかやっていることがおもしろいとか、あるいはちょっとおもしろい場所を見つけて、まだそんなにマスメディアに取り上げられるような規模じゃないけど、やり方がおもしろいとか。そういうことを書いてほしい。そういうことを書いていると、パリの「いま」、こんな感じでパリが動いている、ということが表れてくると思うんですよね。たぶん、そういうところがパリに住んでいる日本人の人たちとはちょっと視点が違うなっていう点なんだと思う。

千々和:そうかもしれないですね。ほかでは絶対に読めない情報だなということだけはなんとなく理解しながら、当時はそこに惹かれて読んでいたんだろうなって思います。

取材は、同じ高さの目線でインプロビゼーションのように絡み合う

佐藤:連載ものってあるけれど、それだとスペースが限られているから、なかなかたくさんは書けない。だから、ひと月に1回、2ページだけだけど、特集って呼んでいるものをやって、そこでぼくが賭けていることは、1つのテーマで2ページで攻めるアプローチをするっていうこと。そこですごく幅広い話題を扱う。その辺に『Ovni』っぽさがすごく表れているんじゃないかなと思うんだよね。特集のテーマも、ツール・ド・フランスとか、競馬とか、いろんなことやりましたね。そういうのを通してパリが見えてくる、そういうテーマの特集をやるっていうことが、すごく好きで。パリ以外の地方都市なんかもよく特集にしたね。3人ぐらいで地方都市に行って、各自がそれぞれの視点で、その街にアプローチする、というやり方で。

一番最近だと、エピナールっていう街の特集をやったんだけど、だいたい19世紀末くらいの玩具絵っていう――ナポレオンの肖像だったりね――そういうのを木版にして、大量に販売していた街なんだよね。博物館としても残ってる。それを1人が取材して、ぼくは楽器に興味があるから、そこから30分ぐらいのとこに、メリクールというヨーロッパで最高の弦楽器の工房が数多くあるところに行った。そういうのは、たぶんほかの雑誌では行かない。だから、そこに気づくための情報、アンテナを広げていくっていうのが『Ovni』なんだと思ってる。

千々和:そうですね。その土地の人ではない人たちが、その土地の情報を扱っていくということ自体が、独特の視点にはなると思うんですけれど、そういった人が持つ、「情報のセンサー」っていうんですかね。そういうのって普段、佐藤さんの音楽とか、料理とかの話からにじみ出てきているんで、もう好奇心の塊のような人なんだろうなと思うんです。でも、そういうネタって、普段どんなときにピンとくるんですか?

佐藤:ほかの新聞や雑誌を読んで、こんなとこあるんだっていうのはまず気づいたり。例えば、ベルギーとの国境近くに、国立の人形劇学校があるんですよね。それで1年に18人しか生徒を採らずに、5、6人の先生が――3年教育だったか、4年教育かそれまで、まずストーリーボードつくって、それで人形をつくって、それを操って、それを実際に演じるまでをやるっていう。

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千々和:それ、国立なんですか?

佐藤:国立なの。で、18人しか採らないから、すごい競争率が高いらしいんだけど。そういう学校があるっていうのことは、一応情報としてあったわけ。それをみて、「あ、おもしろい」と思って、そういうのが好きな今の編集長に、「これやりたいと思わない?」って聞いてみたんだよね。そうしたら、実は前からそこに行きたかったって。じゃあ早速となって、いろいろ調べて行ってもらったり。

そういう風に、きっかけはいろんなメディアだったり、テレビだったりが多い。あとはやっぱり、周囲のフランスの友人たちが「これをやらなくちゃダメだ」とか教えてくれたりね。

千々和:なるほど。そういうときって――いまの人形学校とか、取材に行かれたときって、佐藤さんが気をつけていることはありますか? 例えば、聞いたことを書き起こしたあとに、「もっとこういう風に書いてほしい」とか、「いやそういうんじゃなくて」とかって、取材対象者の人とそういう話になったりしたことってありますか?

佐藤:そういうことはほとんどないかな。でも、そのためには最初のアプローチの仕方というのがあって。例えば、人形劇の学校だと、そこの生徒さんの男女2人にインタビューしたとき、生徒さんたちに、こっちが本当に興味を持っているんだっていうことが伝わると、相手も心を開いてくれるから、彼らが実際に人形劇をやってるところや、どんな風にそこで学んでいるかっていう、普段は見れない過程なんかを見せてくれる。だから、1人ひとりの顔が見えるってことが、かなり大切なんだと思う。単にこんな学校ですっていう説明じゃなくて、そこにいる人たちの《顔》をきちんと出して、こんな人たちがこんなことをやっているんだ、という内容にする。

結局、「取材させて!」じゃなくて、「それおもしろいね、見させて」っていう同じレベル、もしくは、同じ目線の高さでアプローチすることが重要なんだと思う。そうやって、きちんと時間をかけて、半日くらい話をして、取材をしていく。そういうやり方で、なんとなくうまくいっているんだよね。だから、これまでに書き直してくれとかって言われるようなことは、ほとんどないですよ。

例えば、小都市に行くと、うちは予算ない会社だから、一応ホテルとかもとってるんだけど、観光客の効果があったり――要するに、「まちおこし」と関わっているわけだから。「お、やってくれるんですか。じゃあ、ホテル3人、2泊分出します」ということはあるけど、かといって、泊めてあげたんだからこう書いてくれ、と言われたケースはこれまでほとんどないかな。言われたとしても、やっぱり一応尊重はするけれど、「書くようにしますけど、あんまりあてにしないでください」って答えるようにしてる。

千々和:じゃあやっぱり、書いたものっていうよりも、アプローチの仕方というか、取材がはじまったときから、もうすでにコンテンツの出来がきまっているんですね――書きはじめたときからではなくて、コンテンツの質は、取材のアプローチの時点で決まっている。たぶん、そのときのコミュニケーションって、さっきの音楽の話と同じように、相手の言葉に耳を傾けるとか、相手の目線の高さに合わせるとか、そういったよい意味での「駆け引きのコミュニケーション」が徹底されているんだろうと思います。

佐藤:うん、アプローチだね。例えば、ぼくも昔はときどき、ほかの雑誌社の取材の手伝いとか、コーディネートをやっていたわけだけど、そういう時は、頭の中でプロットができていて、あそこに行って、こうして、写真もこんなの撮りたいっていうのが、すでに決まっているわけですよ。でも、ぼくの取材の場合はそうじゃなくて、やっぱり取材に行くときっていうのは、なんとなく一応まず目的があると、行くときはかなり自然体で、時間をかけて、ゆっくり、ゆったり、ふわりふわりとやるのが大事。あんまり「こうだ!」とか時間を決めてやると、つまんないから。だから、行ってから少し変えるぐらいの自然体っていうか、そういうのが取材しているときにすごく必要だなと思ってる。そうしないと、取材に行った場で何が本当に起きていることなのかっていうのは、なかなか見えてこない。

千々和:まさにインプロビゼーションですね。

佐藤:そう、インプロビゼーション。

続けるための、自由と厳しさ

千々和:そういうお話を聞くと、そうできたらいいなあとは思いつつも、実際自分もいまこのamuの企画などをやっていて、難しいなと痛感しています。ちょうどつい最近、恵比寿のWebローカルメディアの「恵比寿新聞」さんと、『Kami-Ban(カミバン)』という紙媒体をつくってみたところなんです。恵比寿ガーデンプレイスでやっている「恵比寿文化祭」という新しい催しで配ろうと思いまして。この数ヵ月間、何人かで集まってつくってたんですけど、やっぱりなかなか難しかったですね。一緒に編集をやっている仲間に「これはどういうイメージ?」と言われたときに、編集長的な立場だったぼくが「そこは行ってから考えようよ」というと、当然すごく不安な顔になるんですよね。「えっ? なに言っているんだろう? もしかして、考えてないんじゃないの?」って――だからやっぱり、「かっちり決めとこう」、みたいな形が求められてて。あるいはデザインとかもレイアウトを先に決めちゃって、入る文字量で記事を書くなんていうことも、けっこうあるんですよね。内容よりも枠組みが優先される。もちろん、そのやり方が必要なケースもあるのは分かります。

佐藤:それはやっぱり、『Ovni』でも一緒で、連載枠だと、スペースやそこに入る画像やイラストが決まっているわけだから、文字数も大体決まってる。だからそういう意味では限界っていうか、そんなに自由ではないけれど。ただ、なんかどっかに1点でもいいから驚きというか、そういうのがないと記事がつまらないから、その辺があるのとないのとで差が出てくるよね。うちもお金があってすごい編集や企画に優れた人を雇うってわけじゃなくて、書くことに関してはアマチュアっぽい人に頼むことも多いから、ときどきどうしてもマンネリになってつまんなくなっちゃうってことは必ず出てくる。だからそういうときだけ変えるしかないけど、やっぱりその辺は問題としてあると思います。

千々和:マンネリ化。

佐藤:マンネリ化というか、なぜこの連載を選んだのか、その狙いがわからなくなったりする。。例えば、『パリの子育て・親育て』という連載。ぼくが発想したものなんですけど、フランスの子育てを見ている中で、子育てって親も育てられるわけだから、フランスの子育ての実情とか、そういうことを紹介して、同時に親もそこで学んで育ててるっていうのがぼくの狙いだったけど、連載が何年も重なるにつれて、しょうがないことなのかもしれないけれど、ポジティブにものごとをみて、それをさらにうまく使って、ほかの人にこんなことしたら楽しいとか、楽だよってのが、少しずつなくなっていった。否定的な話が多くなっていっちゃった。

佐藤さんの描いた、フランスではポピュラーなkiriの笑う(qui rit)牛のパロディイラスト。

佐藤さんの描いた、フランスではポピュラーなkiriの笑う(qui rit)牛のパロディイラスト。

それでどうするかというと、ライターと話をして、また少し軌道修正したりして、最終的にそれがまとめられて本になったんだけど。それはうれしかったな。やっぱり、誌面が少ない中であんまりネガティブになるとつまらないから、どっかでポジティブにしてあげたいし、嘘か真か知らないけれど、旦那さんが仕事で、パリに2、3年滞在するのについてきた奥さんがパリで孤立しちゃうなんていう話も聞いたりする――だんだん暗くなったり、なんとなくキッチンドランカーになったりするようなケースもあったりするらしいんですよね。例えば、そういう人たちを少しでも外に出すっていうことがぼくたちに出来たらいいなと思う。これなら行ってみたい、とか言わせてみたいし。だからあまりネガティブだと、そういう人にとっては「ああ、そうだ、やっぱり私の思った通りだ」ってなっちゃって、ますます悪い方向に向けてしまう。そうではなくて、誌面にはこのスペースしかないんだから、折角だしなにかおもしろいこと、楽しいことを書いたほうがいいなって、そう思うんです。

千々和:なるほど。そうですね。やっぱり、記事のクオリティを維持したりだとか、やっていくうちに経験的に学んだことだとか、そういったことが蓄積されていった結果として、その《らしさ》というのが、やっと出てくると思うんですよね。だから、いまお話をうかがっていて、そのところがやっぱり難しいなと――自分たちの《らしさ》っていうところと、マンネリの境目についてですね。自分たちは《らしさ》だと思っていたけれども、実はただのマンネリに過ぎなかった、毎回毎回同じことを言っている。そういったところって、たぶんやっていくうちに本人たちに見えなくなっていきやすいんだろうなって。まあ、アンケートなんかでそれに気づくこともあるとは思うんですけど。

佐藤:あと、みんなで話し合ったときに指摘したりとかね。そういうマンネリ化って、これはぼく自身もふくめてだけど、自分が書いてることに対して自己批判がなくなって、書いてて、嬉しくて、気持ちよくなっちゃってるんだよね。常に読み直したり、なんか欠けてるとか、そういう批判っぽいのがない人は、やっぱり伸びない。どんどんマンネリ化が進んじゃって、自分の考えや書いていることに、安住しちゃうんですよね。

千々和:いまのお話で、自己批判というのが出てきたんですけど、難しいですよね。さっきの話みたいに、やっぱり自分は絶対おもしろいと思って書いたあとって、ともすると誰しも満足しやすいものだと思うんですよね。

編集会議とかはどんな感じなんですか? みなさんと、その編集スタッフとかで?

佐藤:みんな仕事を持ってたりするから、いろいろと難しいね。暇な人しか来ないと、あんまり話が進まなくなるから、個人的な話が多い。ぼくはかなり独裁的だったから、連載テーマなんかもあんまり編集会議やらず、これにしようって決めてたかな。そうしないと、ぼくたちの会社っていうのは、勤務時間が週30時間だったから、早く決めていかないと。例えば、校正なんかでも出して戻してをやってると、いつまで経っても終わらないから、ある程度こっちを信頼してもらって、早く早くやるというようなルールをつくらないとやってけないから。たぶん、嫌われていると思う(笑)。反省すべきなのかもしれないけど、かなり強引にやっていたと思う。

千々和:あまり民主的にみんなで会議やって2時間も3時間もどうするああする、あーだこーだっていう感じではないんですね。

佐藤:やらなかった。だからたぶんこんな風に書けて、こんなことに興味を持っている、こんな連載したらいいなって、ぼくが大体考えて提案する。そういうときは、最初のときにみんなですごい話し合っていて、こんなことできそうかなとか、あらかじめ流れのようなものはすでに決めているんだけどね。一番難しいのは、ライターによっては、出てきたものの文章のレベルのことだったりする。一応、書いてもらったものを提出してもらうんだけど、あんまりいい感じのがない、とかってことも。そういうときは、こっちが直して、時間がないときはそのあと、書いた本人に校正を送らないこともある。それは我慢してねという感じで。だから、はじめの連載を決めた段階で、おおまかなところを決めておいて、乱れてきたらちょっと軌道修正する程度で、とにかくどんどん、どんどん早く早くやっていくってことを。

千々和:スピード感はやっぱり重視されてやってたんですね。

佐藤:スタッフ少ないし、それぞれがけっこういろんなことをやっていて。送られてきた原稿を、一応決まっているフォーマットにいれて、それを最初に読み直すのはぼくで、そこで漢字の間違いを直したり常用以外の漢字を開いたりしてから校正にまわすわけ。あんまり間違えはないと思うし、でもときどき行数が5行も余ったり、多かったりということもあって。電話して「5行もオーバーしていますよ。これ切ってもいい?」「お願いします」って切っちゃったり。かなりワンマンだった。

千々和:もちろん、すべてにおいてそのやり方が正しいというわけではないんでしょうけど。特にいまのWebメディアなどもスピードが重視されています。メディアだけじゃなくて、ビジネスの立ち上げなど、いろんなところでスピードと実行後の改善や軌道修正が重視されていく。その一方で、スピードを重視することによってクオリティが下がるんじゃないかという話も、よくあるんじゃないかと思います。

編集の仕事をやっていて思うんですけど、スピードとクオリティって、意外とそんなにトレードオフっていうわけではなくて、要求されるそのスピードに慣れてしまえば、むしろ逆に、一定のクオリティが出せるようになるんじゃないかと。なんかそう考えると、やっぱり早くやるっていうのは、それなりに質を担保するやり方でもあるような気がするんです。

佐藤:書くとするとまず、さっき30時間っていったけれど、それは編集部にいる時間ね。それとは別に、取材に1日かけて行くということはあるけど、結局みんな好きなことだからやれる。

大切なのは、事務所にずっといるんじゃなくて、やっぱり《外に出る》ことだと思う。週30時間の利点は、ゆっくり昼飯を食べに行って、そこでいろんなものを見たりできる。インプットのための時間というか、観察するタイミングというか、そういうことが確保できることだと思う。とにかくいわゆる制作活動――校正したり、入稿したり――っていうのはなるべく短く抑えて、その分、外に出ていろんなことやったりして、「取り入れる時間を長くする」っていうことが、やっぱり大切だなって思った。

千々和:なるほど。編集者って、やっぱりそうなんですね。ネタ探しのために外にいる時間とかって、労働時間とか稼働時間とかいうふうに、単純には数えられないと思うんですけど、その30時間で、記事やコンテンツを形にするっていうのが佐藤さんのやり方なんですね。30時間って、日本なんかだと労働時間としては短いと思いますけど。

佐藤:6時間で、5日。でもそうすると午前中ドラムを叩けるし。結局、なにが大切かというときに、ぼくはやっぱり『Ovni』はいわゆる仕事として割り切ってやっていて――料理をつくって絵を描くのも好きなんだけどね、でもやっぱりどこか仕事につながる部分があるわけで。ドラムを叩いてコンサートをやったり、そういう時間って大切な時間で、そのために仕事を早く終わらせられるし、そうしないと続かない。

千々和:仕事自体が続かない?

佐藤:自分自身が。たぶんドラムをやれるようになったのは、最初ぼくを雇ってくれたベルナールさんっていう社長と、これからどうしようかって話していたときに、じゃあ会社全員30時間にしちゃおうと言って。大切なのは仕事じゃなくて、自分がやりたいことをどうやって続けていくか。はじめからぼくはそういうことが目標だったから。ただ、日本じゃなかなか通用しない世界だけど。

千々和:確かに日本ではそうかもしれませんね。でも、最近のベンチャー企業とかだと、だいぶ変わってきていて、そういう、仕事とそれ以外のバランスについて新しい考え方をしている会社もけっこう増えてきた感じがします。いまのお話の中ですごく大事だなと思うのは、自分がやりたい仕事を続けるために、むしろプライベートを充実させる。「プライベートの充実」と言ったら、ワークライフバランスっていう言葉なんかが思い浮かびますが、それともどこか違うなと思いました。そういう話の前提って、得てして仕事は仕事、プライベートはプライベートって分けて、そのバランスって言っているわけで、仕事とプライベートを天秤にかけるタイプの考え方だと思うんです。でも、佐藤さんのおっしゃっていることって、バランスというよりも、仕事とそれ以外の時間というものは、どこかしら連続した関係だ、ということなんじゃないかと思うんです。プライベートを本気でやるからこそ仕事ができるようになる、長く続けることができるようになるっていう、なんというか、どっちが先かはわからないんですけどね。

伝わるための素材づくり

佐藤:ただやっぱり――ぼくだけに限っていうと――料理の記事を書いていて、新しいレシピにしようかなとトライしたら、最初は失敗しちゃって、2度か3度作ったりすると、思った以上に経費がかかったりする。まぁ楽しみの世界だから、それ自体はどうでもいいし、続けられるけどね。あと、料理記事に挿れるイラストも書くわけだけど、あのイラストっていうのは、記事が早くできるようにイラストになっているわけ。つまり、そういうスタイルをどうやってつくるかが重要なのね。

細かいことをやってたら、それだけで半日とかかかってしまうから、なんとなく、パッと雰囲気でわかるようなイラストを描いてる。イラストのいいところは、写真と違って、こんな材料使うんだなってなんとなくわかる。お皿の手前に材料っぽいのを描いたら、一目でわかる。「あ、こんなの使っているんだな」って一目でわかって、あれはやっぱり写真だと全部並べると汚くなっちゃう。お皿並べて、雰囲気出して撮ったりするわけだけど、例えば、干鱈(ひだら)っていうと伝わらないけど、イラスト見ると干鱈っぽいのが出ていると「あ、そういえばこれどこかで見たことがあるな」と。あれを、写生画じゃなくってさっと書いちゃう。ほんとにあっという間に書いちゃうんですよ。それだけはぼくは得意で。

千々和:今日も会場の左右の壁にイラストが貼られています。

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佐藤:下書きなんかから20分はかかるかな。

千々和:このイラスト、シンプルだけど伝わりますよね。写真のないレシピ本というのもなかなか珍しいですけど。写真だとやっぱり色がきれいとか、器がどうとか、もうちょっと違う情報も入ってきますね。

佐藤:それにやっぱり写真だと、写真と同じものは絶対につくれないから、がっかりする。「あれ……なんでこんなに色が汚くなっちゃったんだろう」とか。ああいう料理写真ってインチキしてるから。ぼくもやったことあるけど、レシピに「1時間火を通して」ってあったら30分ぐらいでやめて、ときによっては油を塗って、照りを出したりっていうこともある。

千々和:湯気とかもね。

佐藤:実物のようでいて、実際にはかなりのギャップがあって、やめたいなと思ってイラストにした。料理作った人からすれば、イラストよりも、実際につくったものの方が上手くできたな」って思えるしね。やっぱり読む人にとっては、そういうのがとても大切なスタートなんだと思う。

千々和:なるほど。失礼ですけどパッとみた感じで、いかにもゆるいなーっていう感じはすごいするんですけど、実はそこは戦略的なんですね。

佐藤:あとやっぱり、いまはデジカメがあるから、素人でもかなりいい写真がとれるけど、当時の1985年とかはもちろんデジカメなんてないから、写真を撮ってもプロでないと全然きれいに撮れなかった。そういったことも、イラストにいった理由かな。いまのデジカメって、ちょっとくらいの光が足りなくても、鮮明に撮れちゃうもんね。

*1 エスパス・ジャポン http://www.espacejapon.com/fr/accueil 日本とフランスをつなぐ目的で、パリ10区、レピュブリック広場と東駅の間にある、日仏文化センター。パリの 日本人や日本に興味をもつ日本人以外の人々が多く訪れる。日仏語の図書室(蔵書約25000 )、展覧会場、語学教室、料理教室など様々なかたちの文化活動を行っている。展覧会場では、日本からやってきた日本人のアーティストや作家、そして日本に関連する作品をもったヨーロッパのアーティストの、様々な分野の展覧会なども開かれている。運営母体は、『Ovni』と同じilyfunet社。

*2 堀内誠一(ほりうち せいいち、1932年12月20日 – 1987年8月17日) 日本のグラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナー、絵本作家。平凡出版(現マガジンハウス)の雑誌、「an・an」「POPEYE」「BRUTUS」「Olive」などのデザインを手がけ、日本のエディトリアルデザインの草創期で重要な役割を果たす。後期には絵本作家として数々の絵本を出版した。有名なものに、谷川俊太郎と作った『ことばのえほん』シリーズなど。

*3 稲葉宏爾(いなば  こうじ 1941年 –  )  北海道生まれ、東京教育大学卒業のエディトリアルデザイナー。デザイン会社 集合den代表として70〜80年代に全盛時代の雑誌『クロワッサン』『アンアン』『エル・ジャポン』などのアート・ディレクターをつとめる。1987年からパリ郊外に在住。日本放送出版協会の美術シリーズ『オルセー美術館』『プラド美術館』ほか各種出版物のデザイン、アート・ディレクションを手がける。雑誌『フィガロジャポン』『Pen』などに寄稿。『ガイドブックにないパリ案内』『パリ右眼左眼』など著書多数。

*4 ドン・チェリー(Don Cherry、1936年11月18日 –  1995年10月19日) アメリカのジャズトランペッター。60年代はジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズなどと共演し、フリージャズの中心的人物として活躍。70年入るとスウェーデンに移住。ヨーロッパだけでなくインドやアフリカなどを回り、その優れた人格で多くのミュージシャンたちに慕われ続け、多大な影響を与える。

amu

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