EVENT REPORT

音楽の編集 ――Ovni元編集長 佐藤真の生活編集レポート 1/3

【ゲスト】佐藤真

【聞き手】千々和淳

EVENT REPORT

音楽の編集 ――Ovni元編集長 佐藤真の生活編集レポート 1/3

【ゲスト】佐藤真

【聞き手】千々和淳

2015年10月10日に、40年間日本とフランスを結んできた『Ovni』誌の元編集長佐藤真さんをお招きして、「音楽」「編集」「料理」という3つのキーワードでお話をうかがいました。本コンテンツは、そのうちの「音楽」についてのお話をvol.1として書き起こしたものです。
編集長という肩書きのほか、今回の来日の目的となったジャズドラマーとしての顔を持つ佐藤真さん。フランスに渡るきっかけとなった話や、憧れのミュージシャンが突然佐藤さんの自宅を訪れたことからはじまった交流、そしてジャズドラマーとなる経緯など、時代の空気や佐藤さんの人柄が伺える話をたっぷりと聞くことができました。

OVERVIEW

2015.10.10(土)

ゲスト:
佐藤真
聞き手:
千々和淳(amu)

INDEX

  1. フランスへ
  2. ドン・チェリーとの出会い
  3. 取材も演奏も、まずは聞くことから始まる
  4. 駆け引きというコミュニケーション

フランスへ

千々和:佐藤さんはいまフランスに住んでいらして、今回はライブのために来日されるということで、本日お招きすることができました。そもそも、はじめてフランスに行ったのはいつぐらいでしょうか?

佐藤:大学の在学中の1970年だったかな。中央大学に通っていたんだけど、当時は大学闘争のまっただ中で学校が封鎖されてしまっていて、授業料を払っているのに授業が受けられなかったの。なにもできないそんな状況が嫌になって、この機会に日本を出てみようと思ったのがきっかけだったかな。海外ならどこでもよかった。とにかく日本を出たいと思ってた。大学では仏文に入ったこともあったし、当時フランスに行く人も少なかったから競争率も低くて。奨学生試験も日本語作文が中心だったから、これなら行けそうだと思って申し込んだら行けちゃってね。

千々和:じゃあフランス語については、まったくわからないわけではなかったんですね。そこからずっとフランスですか?

佐藤:ずっとではなく1年半程してから日本に戻って、大学院で仏文の修士課程に行っていたら、なんとなくまたフランスに行きたくなって。そのときは政府給費留学生制度というのを受験して合格してフランスへ行くことができたんだよね。それからこれまでの40年の間は、たまに日本に帰る程度で基本的にはフランスに住んでいます。

千々和:フランスに行って、今回の『Ovni』というところに携わるまでの期間はずっと学生だったんですか?

佐藤:うん。ぼくが学生のときは、『Ovni』はまだ『いりふね・でふね』という新聞だったんだけど、『an・an』や『BRUTUS』(当時は平凡出版、現マガジンハウス)のアートディレクターの堀内誠一さん(*1)がその創刊に参画してくれてできた新聞だったんだ。その事務所がパリの下町にあって、狭いけれど人の集まれる場所だったので、ぼくらはそこで毎週末に夕食会をやることにしたんですよ。日本が好きだったり、日本語を勉強している学生なんかがその日本食の夕食会にやってきて。それからしばらく経って『Ovni』が創刊されたんだよね。

千々和:なるほど、それがきっかけになったんですね。本当に食べることを通してコミュニティに加わったんですね。

では、そろそろ今日のキーワードにいってみましょう。まずは『Ovni』の編集長をつとめられていたということでの「編集」、そして今回来日された理由でもある「音楽」。それから、なにをおいても今日のメインである「料理」ですね。その3つのキーワードでちょっとお話をうかがいたいなと思います。

ドン・チェリーとの出会い

千々和:最初はまず、「音楽」について。佐藤さんの経歴の中でジャズドラマーというのは少し特異な経歴というか、編集長というところとなかなか結びつきにくい経歴かなと思うんです。さらに、アメリカでジャズドラマーはけっこう分かりやすいと思いますが、パリでジャズドラマーというのもなかなか結びつかないかもしれないですね。この辺りをうかがいたいと思いますが、音楽をはじめられたのはいつぐらいからでしょう?

佐藤:はじめたのは意外と遅くて、小学校ぐらいまでは合唱隊に参加していたのは覚えているけど……。音楽は小学校高学年、後半から高校にかけてはずっとクラシック。高校のときぐらいからは、ロックなんかを聞いていて。だからジャズを聴きはじめたのも大学で東京に出てきてから。ぼくが行った1970年代のパリは、ジャズシーンがすごくホットだったんだよね。一般的なモダンジャズというよりも、ニュージャズと呼ばれたりするものだったけど、すごいミュージシャンたちがたくさんパリにいたし、頻繁に無料コンサートがあったりして、とにかく通って聞きまくっていたね。これはいいなっていうのがまずあって。でも当時は全然自分もやろうなんてなくて、聞く一方だった。


ドンチェリー、1970年代から移住したスウェーデンにて

やろうかなと思ったきっかけはドン・チェリー(Don Cherry)(*2)と出会ったことだった。彼は、オーネット・コールマン(Ornett Coleman)と共演したり、当時はとても新しいトランペット奏者だった。彼が1972年にレコードを出したときに、ファンレターを送ったんですよ。下手な英語でね。そうしたら、もちろんなしのつぶてで当たり前だったのに、2年経った1974年の初来日のときに会うことができたんだよね。そのころ、ドン・チェリーは家族みんなで舞台に上ってインド音楽を演奏したりという不思議な音楽をやっていて。

そんなある日、世田谷の外れに住んでいたぼくの家のドアを誰かがノックするので、開けるとドン・チェリーが立っていて。ぼくが彼のことを好きなのは、そういうファンレターをもらったからといきなり訪ねてしまう彼の心が音の中にあって、惹かれているんだなとハッキリした。そのときにドン・チェリーは奥さんがスウェーデン人で、当時家族とスウェーデンに住んでいて、今度ヨーロッパに来るときがあったら、と誘われたんだよね。それで、1976年に遊びに行ったんですよ。

4週間ぐらい彼のうちに遊びに行ったのかな。確か小学校を改造した、でっかい家でね。体育館が家の音楽室になっていて、ゴングがいっぱい置いてあったり、ピアノがあったりといろんな楽器が置いてあってね。ドン・チェリーの息子のイーグル・アイ・チェリーのドラムが置いてあったりもしてね。彼も大きくなってからはミュージシャンとして一時ちょっとフォークロックっぽい感じのことをやっていたね。当時はまだ8歳ぐらいだったかな、彼のドラムが置いてあるんです。それを見て、いいなーと思っていたら、ドン・チェリーが「明日一緒に演奏しよう」って真っ先に言ってきたんです。ぼくはドラムを触ったこともなかったのにね。ドン・チェリーが40分ぐらい、リズムを変えながらピアノを弾いて、ぼくは一生懸命それに合わせて、彼のライブで目にした見よう見真似でドラムを叩いて。終わってからドン・チェリーが、彼は教育者でもあるからお世辞だとは思うけど「Nice drums!」と言ってくれて。ぼくはすごく楽観主義者だから、「えーー! うまいのか」ってすぐ信じちゃってさ。うまいならやらなきゃ損だなと思ってからはじめたんだけど、ドラムを買うのはかなり大変だから我慢していたけどね。

『Ovni』の会社に正規雇用で採用されたら、広い地下室があったからここならできそうだなということでドラムを買ってはじめたのが1982年。もう30代半ばだったから、すごく遅かったんだよね。

千々和:30代半ばって確かに遅いですね。じゃあキャリアとしては一番長い編集よりも全然短いんですね。

佐藤:いやでも、富樫雅彦さん(*3)とも1970年代に付き合っていたりするから、音楽歴というか、興味としてはジャズのほうが長いね。
千々和:なるほど、興味・関心としてはジャズは一番長い付き合いになるんですね。

 

取材も演奏も、まずは聞くことから始まる

千々和:ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、いくつか固有名詞やジャンルの名前なども出てきたので少し解説します。ジャズの中でもいろいろとジャンルがありまして、佐藤さんの仰っていた「ニュージャズ」というのは、「フリージャズ」と呼ばれたりするジャンルでいわゆる一般的なジャズとは異なります。先ほど名前が出たドン・チェリー(Don Cherry)とか、今年亡くなった、オーネット・コールマン(Ornett Coleman)という人たちが代表的で、メロディーとかそういったところが予定調和的ではないというか、インプロビゼーション、即興演奏をかなり重視したジャズのジャンルなんですね。そういう意味で、ドン・チェリーとかは、ジャズのメインストリームからは若干外れた存在でした。彼らは、インドの音楽やアフリカの音楽など、欧米以外の国の伝統的な奏法や旋法をけっこう積極的に取り入れていったりもしていたので、ドン・チェリーの自宅にいろいろな楽器があるのも、うなずけます。

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60年代から活躍するトランペット奏者テッド・ダニエル(中央)との共演

佐藤:フリージャズでのインプロビゼーションの好きなところは、各自の影響力が基本的には同じ力関係っていうところかな。例えば3人、トリオでやるとする。まずサクソフォンがいて、ベースで、ドラムだとする。普通のメインストリームのジャズだと、リーダーっていうのがいて、だいたいテナーサックスがリーダーで、いわゆるベースとドラムスはサイドっていうのがたいていのジャズのスタイルなんだけど、インプロビゼーションを重視するフリージャズの世界だと、みんながそれぞれ同じ力を持って演奏する。だからリーダーがいないそういう世界がまずいい。

曲のテーマだとかがなければ、フリーっていうけど実はそれほどフリーではなくて。つまり、そのテナーサックスがどんな風にするか、あるいはベースがこんな風が好きだということを知っているわけだから、100%自由じゃないんだけど。でもどこに行くのかわからないというのはかなり楽しいから、聞かなくちゃいけない。だから、取材と似ているんだけど、エゴが強くなると他の人が聞こえなくなっちゃう。取材とは相手と目線を揃えていくところが似ているけど、ジャズ、インプロビゼーションというのも、とにかく聞くことが一番大切なの。聞いた結果、合わせるわけではないけれど、聞きながらどういう風にその演奏が動いてるかということを絶えず意識しながら、自分がやりたいことをそこに織り込んでいくっていう感じが、すごい好きなんですよね。

 

駆け引きというコミュニケーション

千々和:なるほど。まずは聞くこと、相手の発したものがあって、そこから自分の表現というものが出てくるということですね。例えば、いまおっしゃっていたように、インタビューでもインプロビゼーションのときでも、自分のやりたいようにやるとか、書きたいように書くとか、演奏したいようにするって、やってしまいがちだと思うんです。

実はぼくも過去にジャズをやって、楽器をかじっていたときがあって、一番最初はやっぱり憧れのミュージシャンの真似をして、誰と演奏をしてもひたすらその人の真似ばかり、同じことをやっていたんです。やっぱり佐藤さんのお話にあったように、先輩によく「周りの音を全然聞いていない」って怒られたのを思い出しました。周りが誰であろうとどういう編成でやって、どんな曲をやろうといっつも同じ音を吹いているのは、お前がやりたいのはわかるけれども、やっていてもおもしろくない、って怒られたことがありました。

佐藤:難しいのは、単に相手に合わせるっていうことじゃなくて、例えば、テナーサックスがブアーっと吹いたら、こうやるんだなと聞きながら、じゃあどうやろうかな、ということなのね。だから合わせるんじゃなく、聞きながらそこで自分にはなにができるかっていうこと。こうやったらきっと、テナーがこうやるんじゃないか、そういう「瞬間的な駆け引き」がある。いいミュージシャンだと反応がやったな、という感じが互いに分かったり、わざと外されたり。そういう一種の遊びがあるから、インプロビゼーションを見にくる観客っていうのも、決まったことを聞きにくるんじゃなくて、そういう駆け引きのなにか、そのパッセージ、プロセスが大切だと。たぶん書くことも、常に決めて書くんじゃない、アプローチ、どう見ているかっていうのが大切だと思うけど、そういう世界は、ぼくにすごく合う世界だった。

千々和:そういう世界でずっと音楽をやられてきて、佐藤さんの書かれた記事自体にもそういう部分が現れているなと思いました。やっぱり、あの見たり知ったり聞いたことっていうことの表しかたというのが、どことなく佐藤さんぽい。けれども、やっぱり語っているのは取材対象者の人。人の話を聞いたり、その人のことを書くスタイルというか絡み方に、佐藤さんがいる。ぼくがこう思うとか、ぼくはこうだ、ではなくて、人の口を借りながら書き手のらしさが出てくる、というところが記事の話と、いまの音楽の話って重なるなと思って聞いていました。

以上

(2015年10月10日 @amu)

*1 堀内誠一(ほりうち せいいち、1932年12月20日 – 1987年8月17日)は、日本のグラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナー、絵本作家。平凡出版(現マガジンハウス)の雑誌、「an・an」「POPEYE」「BRUTUS」「Olive」などのデザインを手がけ、日本のエディトリアルデザインの草創期で重要な役割を果たす。後期には絵本作家として数々の絵本を出版した。有名なものに、谷川俊太郎と作った『ことばのえほん』シリーズなど。

 

*2 ドン・チェリー(Don Cherry、1936年11月18日 – 1995年10月19日) アメリカのジャズトランペッター。60年代はジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズなどと共演し、フリージャズの中心的人物として活躍。70年入るとスウェーデンに移住。ヨーロッパだけでなくインドやアフリカなどを回り、その優れた人格で多くのミュージシャンたちに慕われ続け、多大な影響を与える。

 

*3 富樫 雅彦(とがし まさひこ、1940年 – 2007年) 日本のジャズドラマー。14歳からプロとの共演をし、10代のうちに数々の有名グループのドラマーを歴任。1970年に下半身不随となりながらも、両手のみで演奏できる独自のドラムセットで数々の賞を受賞した。ドン・チェリーと共演したアルバムも出ている。

 

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『音楽の編集 ――Ovni元編集長 佐藤真の生活編集レポート 1/3』いかがだったでしょうか。話にもあがっていた即興的な「瞬間的な駆け引き」がどのようなものかはぜひこちらの動画などをご覧ください。メンバーそれぞれの音が編まれていきながら音楽という空間が生まれ、変化していくプロセスを体験することが出来ます。

JAZZ Drummer 佐藤真ディスコグラフィー3_Between

2003年「Between」(Ohrai) 。サックス奏者のジョー・マックフィーとの共演アルバム。前半はスタジオ録音で後半はライブ録音という構成なので、完成度の高い前半部分と後半ではライブならではの予測のできない展開を楽しめる贅沢なアルバムです。

2000年「Enfances」(Futura) アブデライ・ベナニ sax、沖至 tp、アラン・シルヴァ cb、佐藤真 dr
2002年「じゃんけんぽん」(Ohrai)  沖至 tp、太田惠資 vln、ジャン=フランソワ・ポヴォロス g、立花泰彦 cb,佐藤真 dr
2003年「Between」(Ohrai) ジョー・マックフィー sax、佐藤真 dr
2006年「Enishi」」(Ohrai) レイモン・ボニ g、仲野麻紀 sax、バスチアン・ボニ cb、佐藤真 dr
2009年「Marteau Rouge & Evan Parker」(in situ) エヴァン・パーカー saxジャン=フランソワ・ポヴォロス g、ジャン=マルク・フサ synth、佐藤真 dr
2010年「Nuts」(Ayler Records) 沖至 tp、ラズル・シディック tp、バンジャマン・デュボック cb、ディディエ・ラセール dr、佐藤真 dr
2014年「No is No」(Improvising beings) リンダ・ッシャーロックvocal、沖至 tp、マリオ・レッヒターン sax、エリック。ジンマンp、ヨラム・ロッシリオ cb、佐藤真 dr
2014年 「Stinging nettles」(Improvising beings) リュシアン・ジョンソン sax、アラン・シルヴァ cb、佐藤真 dr

 

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