EVENT REPORT

少しのことばと絵で伝えられること ――きむらゆういち×石戸奈々子 3/3

【ゲスト】きむらゆういち

【聞き手】石戸奈々子

EVENT REPORT

少しのことばと絵で伝えられること ――きむらゆういち×石戸奈々子 3/3

【ゲスト】きむらゆういち

【聞き手】石戸奈々子

「きむらゆういち試行錯誤作品展」(5月20日〜25日)の開催を記念し、絵本作家・きむらゆういちさんとCANVAS代表・石戸奈々子さんのトークショーを行いました。『あらしのよるに』など作品の制作裏話とともに、絵本にしかできない「伝える力」についてお話いただきました。3/3では、きむらさんの考えるストーリーのおもしろさが見えてきます。

OVERVIEW

2016.05.25(水)

ゲスト:
きむらゆういち(絵本作家)
聞き手:
石戸奈々子(NPO法人CANVAS理事長、株式会社デジタルえほん代表取締役、慶應義塾大学准教授)

INDEX

  1. セオリーを崩した『あらしのよるに』のストーリー構造
  2. 読者の感情移入先がない『あらしのよるに』
  3. 「もっと良くできる」という見方
  4. セオリーは破るためにある
  5. 子どもは表現が違っても感覚は大人と一緒

セオリーを崩した『あらしのよるに』のストーリー構造

(この記事は2/3のつづきです。)

石戸:最後に、『あらしのよるに』のお話をうかがいたいと思います。この作品は前半でうかがった、きむらさんが絵本をつくる時のセオリーを崩されたと聞きました。それは、どういうふうに崩されたか、そしてなぜか、実際にどうだったのか、ということについてお聞きしたいです。

きむら:当初は1巻しか書く予定がなくて、小屋の中で2人がしゃべっているだけで終わりなんです。本当にこれおもしろいのかなと思って、たとえば冒険するとか、なにかに追われるとかやっつけるといったことはなにもない。ただしゃべっているだけです。でも書いているほうは楽しくて、お互いの正体が敵同士であるということがばれそうでばれないという新しい実験をした。で、たまたま編集者に、続きを書いてみない? と言われて続きを書くまでの間に講談社出版文化賞や、産経児童出版文化賞をもらってしまった。みんながお祝いをしてくれて、散々褒められて、さて続きは? というプレッシャーがかかって大変だったんです。

石戸:プレッシャーを感じられることもあるんですね。

きむら:感じますよ。沖縄に半月行って書こうとして2行しか書けないで帰ってきました。

石戸:そうですよね、もともと1巻で完結の物語だったんですもんね。

 

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きむら:そうなんです。あくる日に会っただけでその後どうなるかそんなことは知らないよと終わる、粋な終わり方もいいなと思って気に入っていたんですが、半分ぐらいの人に無責任だと言われました。でもあれがいいって言う人もいた。じゃあ続きを書くかと思っていたら、ある出版社が別件で缶詰にしてくれた。もう好きなだけ泊まって好きなだけ食べていいから、うちのために原稿書けって言ってくれたの。で、その原稿はさっさと上げて、『あらしのよるに』の続編を持って、缶詰になった。出版社の人がみに来たときだけ、『あらしのよるに』を隠す。受験勉強のときに漫画を隠していたようにしてできたのが、2巻目なんです。全7巻ができてみたら、構成は「起承承承転結」に近い。
1巻目は子ヤギだけ出てきて、これは「起」です。次はヤギの友だちが出てくる。メイは友だちだけど、友だちの友だちは餌でしょうか。友だちの友だちだからやっぱり友だちなのか。で、ヤギの友だちが出たら、オオカミの友だちも出てるといいじゃんと。これで、「承、承」で3巻です。4巻目の『きりのなかで』で2匹が会って、秘密がばれそうになるけれどもばれない。ここまでは「起、承、承、承」です。そして、ついに秘密がばれる。ばれて逃避行が「転」です。ちょうど5、6巻です。

石戸:結がないじゃないですか。

きむら:そうですね。岸田今日子さんの企画で、4巻目まででお芝居をやったんです。そのときに岸田さんから「最後はどうなるんですか」と言われて、でもヤギとオオカミだから幸せな家庭をつくりましたとはならないし、どうしようかと思いました。
それで最も悲惨な状態で、自分のために命懸けで死んだのに、片方はそのことすら知らずに名前を呼び続け、待ち続けているという終わりにした。ただ、最後は死ぬのですが、死ぬことがアンハッピーエンドだとすると、すべての人の人生はアンハッピーエンドになってしまう。ハッピーエンドかどうかは、どれだけ自分の人生を納得して生きて終われるかということだと思います。飢え死にしそうな雪穴の中でこんな友だちができたことだけで幸せですと確認し合っている場面があれば、そのあとが悲惨でもそれなりの納得感があって終われるかなと思いました。悲惨な話っていい話でも二度と読みたくない。どんなに『かわいそうなぞう』がいい話でも、もう1回読んで泣きたいなとはあまり思わない。
それでも『あらしのよるに』は何回も読みましたという話をいっぱい聞いたので、これは成功したなと思ったら、続きの話を書けと言われました。ガブともう1回会わせろというのがものすごくいっぱいきて、それでも書かないぞと決めていたんですが、講談社に「続きはいつ出るんですか」という電話がかかってくるというので、ついに書きました。7巻は最初の合言葉で記憶が戻って終わるのですが、なにかまるで計算したようにこれで「承、承、転、結」ができた。全然考えていなくて結果的にできたので、すごいなあと思います。

石戸:「承、承、転、結」が身体に染みついていたんじゃないですか。

きむら:だから増築を重ねた温泉旅館みたいに人気があります。なぜか1段高いような旅館をつくったのに、できあがってみたら最初から設計していたような「起、承、承、承、転、結」だったので僕もびっくりです。

読者の感情移入先がない『あらしのよるに』

石戸:1巻目で本当にもうそれで終わりにしようと思っていたのですか? やはり、そのあとどうなったんだろうと思われると思うのですが、それは自分たちで考えてもらおうということでもなく、単にこのほうが粋かなと考えたということでしょうか?

きむら:盛り上げるだけ盛り上げといて、ぽーんっていうのもいいのかなと思ったんです。この2匹がどうなるか、そんなことは知らないよ、伝わるもん、いいじゃないそんな本があってもと。まさか全7巻できるとは、作者もびっくりです。

石戸:教科書にも載って、歌舞伎にもなって国民的な作品ですね。でも今回このストーリーは、先ほどの話のセオリーを破るようなお話ではあると思います。読者が、メイにもガブにも感情移入できない第三者として読める。

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きむら:そうですね。すべての物語、テレビドラマ、絵本、小説には主人公がいて、主人公に感情移入して読んでしまう。たとえばカーチェイスの場面では、主人公が危ない目に遭うからどきどきします。絵本も主人公に感情移入しやすいから、この作品は自分以外の第三者の気持ちになれるのがいいんじゃないですか。この物語はヤギとオオカミが出てきて、ヤギに感情移入して読んだ人とオオカミに感情移入して読んだ人がいると思います。ですが、1巻目を2 匹を見守る気持ちで読んだ、という人が多いんです。主人公たちが真実を知らないから、感情移入しても……ということだと思います。読者だけが両方の立場を知っていて、ばれたら大変だな、と思いながら読んでいる。

石戸:おもしろいですよね。主人公の2人が知らないからこそのドキドキ感って教えてあげたいのに教えられない。なぜそういう視点で書きたいと思ったんですか?

きむら:実はそういう視点の作品が、大人向けでもある。たとえば『水戸黄門』です。「この薄汚いじじいが」とか言われているけど、この人は天下の水戸黄門なんだと観客は知っている。『釣りバカ日誌』でも、「ぼけじいさんから電話だぞハマちゃん」と言っている佐々木部長は、ぼけじいさんの正体が社長であると知らなくて、観客は知っている。読者だけが知っているお話っていっぱいあるんです。子どもの本でやるとしたらなにかなと考えたら、天敵というところにたどり着いた。

「もっと良くできる」という見方

石戸:『水戸黄門』や『釣りバカ日誌』をみて、そういう視点を持つのがすごいと思うのですが、テレビ番組などを「おもしろさのポイントはなんだろう」と思ってみるのですか?

きむら:そうですね。つまらない映画をみると、「こんなに期待させておいて、もっとおもしろいと思ったのに」という不満がたまる。あ、じゃあそれをつくればいいなと思って自分でつくる。つまんない映画を見たときほどアイデアが浮かびます。
『ルームメイト』という映画があって、ルームメイトがだんだん恐ろしい存在に変わってくる話なんです。結局は、そのルームメイトは精神異常者というオチだったんですが、僕は親友同士でも小さなことで傷がだんだん広がって、仲いいふりをしているけど、殺意に変わってしまう日常の恐ろしさの話を期待していた。もっと日常の感情が最後に悪夢に変わるほうがおもしろいと思ったんです。だから、『月の裏側』という漫画でやりました。親友の2人が最後は殺しあうという人の心の裏側を書きました。「いちむらゆうき」というペンネームなので、だれも知らないと思うんですけどね。

石戸:なんでペンネームで書いたんですか?

きむら:並べ替えると「きむらゆういち」なんですけど、女性雑誌だったので、女性名っぽい、「いちむらゆうき」にしたんです。そうしたらファンレターに「この気持ちは、男性にはわかんないわよね」とあって「やった!」と思いました。

石戸:人間の感情の機微にすごく敏感で、きっと恋愛上手なんだろうなと思いました。女性心をくすぐる。

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きむら:『あらしのよるにー恋愛論』という恋愛向けの本も書いています。講談社の人が来て、『あらしのよるに』には出会いからはじまり、秘密の友だち、駆け落ち、自己犠牲、と恋愛のすべてが入っていると言われたんです。なるほどと思って本を書きました。本人はまったく考えていなかったので、すべては結果論ですね。

石戸:そういうの結果論って言うんですかね(笑)。

きむら:たとえば『かいじゅうでんとう』(あかね書房)という絵本を書いたら、「この怪獣は主人公の気持ちが形になったものなんですね」というファンレターがきて、そうだったんだと思って続編を書いたことがあります。書いてるときにはわからない場合があるんです。

セオリーは破るためにある

石戸:先ほど例に挙がった『水戸黄門』など、作品には盛り上がる場面があるケースが多いと思います。しかし、『あらしのよるに』は淡々と会話だけで終わります。それはご自身の中でなにか意図したものがあるんですか?

きむら:そうですね。子どものころの話をしたり会話だけですね。そういう意味では、セオリーは破るためにあるんです。

石戸:あんなにセオリーと言っておきながら、セオリーを破った?

きむら:そうそう。でも最終的に全シリーズになったら、セオリー通りになっていた。盛り上がりがないという点でいえば、『あらしのよるに』は全部が「起」だったのかもしれないですね。よく賞もらったよね、起だけで。

石戸:天性のものですね。破ってみたいセオリーやこれからこんなものにチャレンジしたいというようなことはありますか?

きむら:たくさんの絵描きさんは、そういう意味では自分の世界を破ってつくっていくわけです。今回の展覧会にもそういう意図があります。だから、まだ上手に描こうとしている自分がいるのを破らなくちゃならない。上手に描いちゃダメ。たまたま筆がそっちに行っちゃったよっていう絵を描きたいんです。ここに展示している作品でも比較的近いものもあるけど、上手に描こうとしているものもあるし、どれが本当にいいかわからないので、試行錯誤しながらアンケートでどれがよかったのかを聞いてみようと思って。
でも来場者に聞いたら、結構ばらばらで自分でもわからなくなっちゃって。

石戸:そうやって、マーケティング調査しているんですね。

子どもは表現が違っても感覚は大人と一緒

きむら:最後に僕から石戸さんに質問です。ずっと子どものイベントをしていて、子どもについて思うことってどんなことですか?

石戸:なにかしてあげているという感じではなくて一緒に楽しんでやってきた感じです。子どもたちに刺激をもらっていますし、私たちが楽しんでないものは、子どもも楽しめないかなと思います。

きむら:そうですよね。10歳や6歳の子どもだから、きっとこれのほうがおもしろいんじゃないかってつくると、嘘になる。

石戸:それ、子ども好きじゃないですよね(笑)。

きむら:ね。それは子どもだましです。こっちがおもしろいと思った話を、子どもにもわかるような言葉と字で書いています。年齢が半分でも体重が半分でも身長が半分でも、人間が半分じゃないんです。

石戸:そうですね。表現の仕方は違えど、感じてることは一緒だったりむしろ鋭かったりする。

きむら:僕は、子ども向けの教室を23年間やっている。子どももプライドがあったり、傷ついたり、そういうのを目の当たりにすると、子どもは大人と同じものを全部持っているんだと思いました。

石戸:そうですよね。子ども同士の関係をみていると、それを感じます。大きな子が小さな子に接する接し方は風格があったり、大人の社会とまったく同じ人間関係が子どもたちの間にあって、その中でいろいろな感性を育んでいるんですね。

きむら:おや、そろそろ時間なんですね。最後に質問はもうなくていいですか?

参加者:今のお話に関して、やはり大人になると子どもとはどうしても感性のずれが出てくると思います。どうでしょう?

きむら:子どもから大人になっていくので、子どもの部分は自分の中にある。一番プリミティブな部分があって、その上にいろいろとバウムクーヘンみたいについていくわけです。自分の内側をみればちゃんと子どももいるので、そこに目を向けていればいくらでも子どもの感性は戻せると思うんです。

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石戸:よく話していることなのですが、子どもたちが紙とクレヨンで描くときの反応が、10歳ぐらいから変わってくる。個人差があるので一概には言えないですけど、10歳ぐらいから絵を描かない子が現れる。なぜかというと、その頃からから突然自分を客観視するようになるんです。そうすると周りの子にあなたは絵が上手だねと言われた子はずっと絵を描くし、そうじゃない子は描かなくなる。大人の常識や客観的な評価が入ってきた瞬間に、本当の心の中にあるものをそのまま素直には出せなくなる。でもお話をうかがっていると、きむら先生みたいに、第三者の目をクリエイティブに使っていくという方法もあるんだなと思いました。子どものほうがクリエイティブだという話はあると思うんですが、必ずしもそうではないのではないか、と思うこともある。自分の中にある子ども心を失わなければ、私は大人のほうが見聞きしたり体験してきたインプットが多い分、アウトプットの幅も広がると思います。そうありたいなと思いますね。

きむら:大人になるにつれて、だんだん評価される対象になって、一生ずっと評価されていくわけですがある意味で大人って、その評価される対象に勝たないといけない。自分のやりたいことと、評価される対象であることのせめぎ合いで生きているわけです。自分がやりたいことはなるべく守って、大事にしていきたいです。たとえ趣味でもいいから続けることが大事だなと思います。

石戸:先生はA、B、Cとランクを付けて仕事の優先順位を決めていたと話していましたが、やりたいことが職業につながったら幸せですが、例えそうならなかったとしてもまた別の方法があるということですかね。
では、長丁場になりましたがお時間がきてしまいましたので、これにて本日のトークイベントを終わりにします。

きむら:ありがとうございました。

(2016年5月25日@amu)

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