EVENT REPORT

普遍的なものづくりに根ざす1人でいたい
――「肩書きはまだない vol.3」レポート2/2

【ゲスト】武田俊

【聞き手】土屋綾子、神谷衣香

EVENT REPORT

普遍的なものづくりに根ざす1人でいたい
――「肩書きはまだない vol.3」レポート2/2

【ゲスト】武田俊

【聞き手】土屋綾子、神谷衣香

ここ数年で、さまざまな仕事の価値観に出会うようになりました。このイベントでは、肩書きという枠を超えて幅広く活動する人たちをゲストに迎え、仕事に対する考え方や、その原動力などに迫ります。
シリーズ第3弾のゲストは、武田俊さん。前半は主にこれまでの経験やそこに至る思考についてうかがいました。後半では、さらに仕事との向き合い方や、働くうえで大切にしていることを深掘りしました。まさに肩書きがなくなった今、考えていることや、これからについても語っていただきました。

OVERVIEW

2016.12.02(金)

ゲスト:
武田俊(メディアプロデューサー、編集者、文筆家)
聞き手:
土屋綾子(株式会社コンセント)、神谷衣香(amu)

暇があることは、たぶんすごく重要

【プログラム】
19:30-20:20 ゲストトーク前半
20:20-20:30 休憩
20:30-21:10 ゲストトーク後半
21:10-21:30 質疑応答、ゲスト・参加者の交流

※トーク前半の模様はこちらをご覧ください。

神谷:会場内、武田さんのお話に頷いている方が多いようですが、編集とか出版関係の方ってどのぐらいいらっしゃいますか?(会場から手が挙がる)おお、ほぼ全員ですね。

武田:広告系の方は?(数人手が挙がる)じゃあ、Webまわり?(数人手が挙がる)同じ穴の狢って感じですね(笑)。

神谷:今日は関係のある方が多い、という状況が分かったところで、後半に入りましょうか。

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土屋:前半で武田さんの今までの仕事の経歴だったりとか、少し仕事観だったりも聞けたので、仕事観の部分をもっと掘り下げていこうと思っています。それに関連して、先日(2015年11月21日)ヒカリエでイベントに登壇されていましたよね。

武田:はい、東京ワークデザインウィーク2015(以下、TWDW)ですね。勤労感謝の日周辺の1週間を使った、新しい働き方をデザインしてきましょう、みたいなイベントに呼んでいただきました。

ぼくが話したテーマが「働くのシンギュラリティを越えて。」だったんです。シンギュラリティ(技術的特異点)、2045年問題というのがありますが。要は、超簡単にいうと人工知能が人間を越えていく、人工知能が自分たちで自己修復、アップデートしていくときに働き方って変わるんじゃないか、というテーマのセッションでした。

『ニッポンのジレンマ』でもご一緒した佐々木さんと、フォロワー22万人ぐらいのTwitterアカウント「サザエBot」の「中の人」であるなかのひとよさんという人と、3人でお話をしてきました。話はおもしろかったですよ。

でも、みんなが今の働き方とか、急速な情報化社会の中で不安を持っている人たちが勉強しにくるみたいな感覚があって。正しいやり方、あるいはよりよい形を自発的には出せなくて受動的に探している、それが今の時代の空気なんだろうなと思って。それはけっこう幸せな状態とは言いがたいなと感じました。

自分の持っている与えられた能力とか環境の差異を一旦置いて、ある時代の寵児みたいなものに触れることに救いや可能性を見出したい、というのがたぶん今の時代の空気で。それは危ういなとすごく思うんですよね。

土屋:相対化したがっているような印象はありますよね。

武田:承認欲求ってあってしかるべきだし、いいと思うんです。全部がソーシャルメディアのせいではないし、ぼくもソーシャルメディアの恩恵をとても得ているわけなので。

要は承認、ファボやいいねみたいなものが可視化されてしまうことへの感度がすごくあると思っていて。別に承認ってそもそも、自分がやったことを家族とか恋人とか、身の回りの人がいいねって言ってくれることで十分絶対的なものだったはずなんですよ。

でも、たとえばぼくがやったことに対して目の前の人が「いいね」と言ってくれて、承認欲求が満たされたはずなのに、土屋さんがやったことの方が「いいね」の数が多いというとき、「この差はなんだろう」と思っちゃうんでしょうね。ポイントは「いいね」の数は可視化されるんですが、1つの「いいね」あたりの濃度や純度は決して可視化されない点です。純度や親密さにおける観点が存在しないことは、なんだか不幸に感じます。

ぼくがWebメディアをやっているときに、すごく不都合だなと感じたことともつながっている。結局質の高いものも低いものも、ある種暴力的に同じレイヤーで測られちゃうというところが、すごく悲しいなと思いましたね。同じレイヤーである以上、そこでの戦い方は一元化されてしまう。戦えないコンテンツ=弱いもの、無価値なのもという図式が成り立ってしまうんです。

土屋:自分の座標を知りたいし、周りの座標も知りたいみたいな。データで出てきちゃうっていうのがあるかとは思うんですけど、そこに対する不安っていうのは、はっきりしてきましたよね。

武田:なんなんでしょうね。水木しげるさんが「どうせ人生なんて死ぬまでのまわり道だから」的なことを言っていて、ぼくも「それでよくない?」って思うんです。今、綿密に将来設計していくことってすごく無意味だなと思っていて。かつてよりも、3年後のことなんて分からない時代なわけですよ。すごく情報が流れてくるのが速いし、テクノロジーが進化していくのも速い。実際、2011年と2015年の状態って全然違うし。長期的なビジョンを持つということがすごくしにくいし、逆にしなくてもいいんじゃないかなと思っています。

本質的なものをちゃんと見たいんですよ。今、ビジネスにおけるイノベーションってこの3、4年の話ばかりになっちゃっていて、ぐっとくるものが特に最近少ないなと思っているんです。逆にぼくが日々取材で出会っているアーティストやクリエイターの方がもっと先を感じている。彼らはそれを口当たりのいい言葉では決して話さないので、バズってないだけです。文化が持ちえる1番の力は、表現に質量があるからこそ無為に広がりすぎないことなのかもしれません。

とはいえ、今あまりにもみんながこの短期的な、数年内での成功とか、それまでのサバイブの仕方っていうノウハウ頼みになっちゃっている。レールに沿った勝ちパターンというものが、あらゆるジャンルで崩壊しつつあるからでしょう。それと同時に進化の速度に畏れを感じているから、情報収集に余念がない。なんせ検索さえすれば、自分の価値観を強化してくれたり、手軽に他者と相対化ができるような情報にたちまち出会うことができますから。でもそれは結果的に、短時間しか耐久性を持てない情報に殺されかけているとも言える。長期的なもの、普遍的なものへの視座みたいなのが持ちにくいし、あまりにみんな忙しくて、暇になれない。暇って、たぶんすごく重要だと思うんですよ。

土屋:忙しい理由がよく分からなくなっている。

武田:そうですね。ぼくは自分たちで会社をやっていたので、そこは仕方ないと割り切ることもできました。でも、なにかこう、どこかに属してやるっていうときの無軌道な忙しさっていうのがきっとすごくストレスなので、そういうのを回避してきた人生なのかなと思うんですよね。ちゃんと経験したことがないので、わからないんですけれど(笑)。

プロダクトアウトできるものをつくりたいというところに立ち返っている

土屋:だれかから時間をコントロールされて働くっていうのは向いていないと感じていますか?

武田:向いてないですね。ゆとりとかワークライフバランスとかいろんな言い方ありますけど、そういうことじゃなくて。特にクリエイティブな仕事してると、暇が大事だなとすごく思います。ひたすら忙しくして提案書つくっていると、もう出涸らしみたいになるじゃないですか。ぼくの場合は自分の媒体をやりながら、ほかの媒体の裏編集をいくつか平行しながらやっていたりもしていたので、絶対的にインプットが足りなくなっちゃうんです。で、もう少しインプットを能動的にできる状態をつくっておかないといいものができないから、じゃあどうつくるかっていうところも重要です。その辺にヒントというか、重要なポイントがあるような気がするんです。

土屋:特にメディアとかだと、先ほど、『TOweb』を2人で回して毎日のように取材に出てたって言ってましたけど、まさしく忙しい中の忙しい状態だと。

武田:でも、自分たちの媒体なので苦痛じゃないんですよ。責任もありますし、意思決定が自分たちなので、おもしろくするのもダサくするのも自分たちじゃないですか。ダサいものつくるぐらいならやりたくない、というときにはパワーが出るんですけど。それをどう運営してくかというところで、インターネットはむずかしいって最近思いますね。使い方もそうですし。ソーシャルメディアもそうだけど、すごく段階的な限界がきている気がします。

土屋:それはメディアをやる中で感じる部分ですか?

武田:そうですね。なにか画期的な変化は、既存のWebベースのメディアにはもう起こらない気がします。でも、組み合わせ次第では、新しいことは可能だと思っています。

土屋:私も前職で音楽系のWebメディアを、立ち上げからやったんですね。媒体名をまずつくって、ドメインを取って。どういうサイト構造にしようかとか、記事はニュースと連載と特集とみたいな。で、広告枠も必要だからこの形だなってやっていって。これじゃなきゃいけなかったんだっけ? みたいな気持ちになってしまったんですね。これって雑誌とか本とか、いわゆる実体のものをつくるのと、ほぼ同じプロセスを踏んでいて、でもインターネットの仕組みや枠組みってそんなにはっきりしていない世界じゃないですか。その中にメディアが入ったときにどういう形になるんだろうっていうときに、今の形が果たして正しいのかと。すごく根本的な疑問だと思って、自分でちょっと混乱したんですけど。

武田:ぼくも『TOweb』立ち上げたときに、KPIをなにに設定するか非常に考えていて。PVではないなというのは考えてたんですけど、結局PVに依存しない、PVベースの広告モデルに依存しないWebの運営がどうできるかっていったときに、ぼくらはそんなに潤沢な環境というわけではないですし、社内にすごいエンジニアがいるわけでもないので、画期的な機能を設けるのもむずかしい。となると、あらゆるジャンルの無料の娯楽全部と戦わなきゃいけなくなってくるわけですよ。であれば、ぼくはどちらかといえば、最終的に「本」のような形でプロダクトアウトできるもののほうがつくりたいなっていう、すごく原初的なものに立ち返っている感じがしていて。

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唯一大事にやってきたことは、つくり手と同じ位置にいつづけること

武田:さっき編集者の一番の強みは取材だっていうことと、クリエイターのほうがもっと先を見ているって話をしたんですけど。ぼくもインターネットの現状を考えるときに、アーティストの取材とかいろいろやっていて、すごく感動したことが2つあるんです。

1つはROTH BART BARONというミュージシャン。三船さんと中原さんの2人組のフォークロックバンドなんですけど、後ろに金管楽器とか、いろんな楽器が入って音隊も入って、いっぱいいるんです。先日カナダのモントリオールでレコーディングをしてきて、彼らの『ATOM』というアルバムがリリースされたんですけど、そのコンセプトが素晴らしくて。それは「NEXUS」で柴那典さんがインタビューしていたので、気になる方は見ていただければと思うんですけど。

2人とはちょうど同世代なんですけど、ディストピアみたいなものに惹かれるって話があって。元々インディーズでだれかがお金出しているわけでじゃなくて、自分たちのお金でモントリオールに行って、向こうの音楽シーンの中で人とかかわりを持ちながらレコーディングしてきたんだけど。それをやりたいのはなぜかというと、ロックミュージックは舶来品だから、胸張って自分たちの音楽をやっていることが日本でやっている段階では言えないと。それよりもやっぱり向こうの空気に触れたいっていうのが1つ。

質感とか質量をすごく大事に考えていて、全部元々日本のライブハウスでの文化、ノルマ制とか彼らは好きじゃないから、自分たちの家とかで録ってたんです。でも全部PCでピアノの音もなんでもできるんだけど、象牙の鍵盤の重さを分からないときに音のよさを語れないと言っている。アルバムのコンセプトについて話を聞いたときも、今テクノロジーに希望が仮託されすぎているって話をしていて。いま現在語られている技術的な革新によって解決できる問題って、実は暫定的な問題で、人間の普遍的な問題にはまったくかかわりがないのではないか、と感じました。それこそシンギュラリティでも起こらない限り。

土屋:そうですね。

武田:もう1組。範疇遊泳という、これもかかわりのある劇団です。彼らは『うまれてないからまだしねない』という作品で岸田國士戯曲賞にノミネートされたんですけど、その新作が『われらの血がしょうたい』という公演です。インターネットがテーマの舞台で今週金曜(2015年12月4日-14日)からはじまるんですけど、この主宰の山本卓卓くん文章がぼくはとてもいいなと思ったんです。

「かつてインターネットは匿名の場所だと思っていた。けれどもほんとうはたぶん違う。ここでは無人島で寝転んで陽を浴びるような、そんな孤立した時間はたぶん流れていない。僕たちはそんな情景を”のどか”だと思うことすらなくなった。匿名じゃない。みんな有名になった。忙しくなったし忘れっぽくなった。」(http://hanchuyuei.com/top.html

ぼくらはもっと覚えていたと思うんですよね、いろんなことを。でもアクセスできる情報量が増えたこと、そしてそれを外部に保存できることで、いろんなものを失っている気がする。技術が進歩するほど、人間のフィジカルとしての力が弱くなっている気がしていて。このステートメントはぼくはとても素敵だなと思って気になったので、じゃあ一体それがどういうお話になるかなっていうのをとても楽しみにしているんです。

自分が彼らみたいな考えを持ち続けるにはどうしたらいいんだろうか、といつも思います。編集者というのは言うなれば、つくり手に「仕事」として作品を作り続けられる環境を構築し提供する者の名前です。彼らみたいなことを同じように考えながら、それをどう広げていくのかっていうのが、ぼくの次のフェーズの命題の1つになっていくのかな、と思います。

土屋:そうですね。クリエイターをメディアとして取り上げるというか、取り扱うというか、そんな表現だと偉そうな言い方かもしれないけど、そういうときにこちら側がどれだけ真摯にいられるかっていうのが、今だからこそ試されてるような気がしますね。

武田:ぼくが唯一大事にやってきたことがあるとしたら、つくり手と同じ位置にいつづけるっていうことなんです。いいなと思ったらすぐ仲よくなるし、現場に行く。たとえばそれがミュージシャンだったら、ぼくがメディア側なので、「ゲストでいれときますよ」って言ってくれるんですけど、断ってちゃんと前売り買って入るとか。「でも全然いいから」って言われてゲストで入った場合は、そのドア代分ぐらいは飲んで、ハコに返す。人前で話すようなことじゃないし泥臭いけど、気をつけていることです。

土屋:そこ、すごく大事ですよね。

武田:そこの信頼関係がなかったら終わるじゃないですか。自分がいいなって思うやり方をやるしかないですよね。それが世の中にどういう影響するとかじゃなくて、こういう風にやっている自分が好きということをやらないと、魂が濁ってきますよね。

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15年後の価値を見据えてアウトプット

土屋:ちょっと1個。今そのメディアをやる、メディアをやりたい、やろうとしている人たちって自分がなにかを伝えたいっていうところで気にするポイントに違いがあるかなと思っていて。「伝えたい情報がある」なのか、「情報を伝えたい」なのか。それってすごく大きな違いだなと思っていて、なんでもいいから情報を発信しているスタイルを取りたいっていうのは、けっこうそれが無責任なメディアを生んでるんじゃないかなみたいな。

武田:非常に分かります。メディア構造の問題でもあると思いますよ。逆にWeb上で跳ねなくても、ものすごいものっていっぱいあるし、ぼくはそっちの側に戻りたいなという気がします。

土屋:そうですね。なにか勝負をかけるとか、そういうものになっちゃってますよね。

武田:そうなんですよ。だってそもそも、インターネットに実体なんてないんですから。よさがあるのはそこなんですよ。いつ消えるか分からないものの中で、いろんなものがうごめいていて、そのときに一瞬、光り輝くなにかに出会うとか、志をともにできる人間と実際に出会えたとか、インターネットは儚いからきらめきがあるんですけど、今は逆にそういうものが起こりにくくなっているというか。受動的な情報が垂れ流されてくる1つの受け皿になってしまっている。それは、西海岸のみなさんががんばってつくってきたインターネットが見た夢とは、全然違う形なんじゃないかなっていうのは感じます。

土屋:そうですね。検索エンジンがなくなればいいのに、とかね。

武田:フィルターバブルをどう超えるかですよね。つまり、アルゴリズムで最適化された情報が自分に届く、Amazonでサジェストされる商品の中で消費をしていくときに、未知のものとは結局Web上では出会えない、みたいな危機感をいかに超えるかっていうことを、ぼくはインターネットでやりたいと思って。……やっていたのですが、なかなかむずかしいんですよ。たぶん、無料っていうのが1つむずかしいところだなと思うんです。

人間の趣味趣向に対して最適化すると、誤差がなくなっちゃうし、未知のものに会えないし、それは本来の自由じゃない気がするんですよね。価値観の多様性も同様です。安易に多様性の重要さについて語るということは、下手をすると差異に対して寛容になるのではなく、無関心に陥ることを意味します。人間って実はすごく矛盾を孕んだ無軌道な生きものだから、そこに人為的に、ある種強制的に介入して、こういう価値があるっていうことを見せていかないと、あまりおもしろい方に行かないと思っていて。であれば、編集というものが生き残っていく、ある種普遍的なスキルとしての介入の余地が、まだあるなっていう気はしますね。自動化するより、たぶん人間のほうがおもしろいんですよ。人間の方がヘンだから。

土屋:我々はちょっとインターネットを見すぎてたんですね。

武田:うまく使えていないインターネットを、見すぎてたんじゃないですかね。だからここからもっと使い方はあるんじゃないですか?

情報量はどんどん増えるはずなんですけど、やっぱりぼくはもう少し情報の量が減ってほしい。だから編集という言葉が、今声高にけっこう巷で話されているのって、ぼくはすごく嫌だなと思っていて。

そこでの「編集」は限りなく情報収集術や情報整理術の意味で使われているんです。整理しない限り、ぼくらはもう良質な情報に出会えなくなってしまっているので、もうそこは母数を減らしたい。でも、それは無理だと。

じゃあ自分が触れる情報を選ぶのではなく、遮断することのほうが重要だと思っていて。本当に自分が求めるものをもう1回考え直す時間がないと取りに行けない。さまざまなメディア環境における課題についても同様で、最適な課題解決策を探すよりも、課題解釈が重要なフェーズだと思うんです。つまり「それは果たして解決すべき課題なのか。どういう点で課題だと考えられているのか」を考えるべきなんじゃないかと。情報へのアクセス環境が整備されたことで、視野に入る課題が増えてきた。そして解決できる手段もある、となるとぼくらはなんとかしたくなりますが、それって本当に必要なことなのか、と考える手間を逆に惜しんでしまっている。結果、本来必要としている価値観が見えなくなってしまう。

この仕事をやっていると、見たかったり見ておくべきだと思っている作品や展示がいっぱいあるんですけど、紛れちゃって全部忘れていたりするんですよね。このイベントがあるから記事を書かなきゃ、このイベントまとめておかなきゃ、あれは仕込んでおかなきゃ……ってやった結果、絶対行くべきというものを全部逃していくのは、すごく残念だなと思って。その辺をシンプルにしてもいいんじゃないかと、ぼくは思います。

土屋:そういうものが揃わなくなってきているなというところですよね。それがこの先どうなっていくか、考えるのは楽しいですよね。これからどうなっていけば楽しいかな、みたいに。今みたいなものじゃないとしたら、どれぐらいなものなのかっていう。

武田:繰り返しになりますが、数年後の環境って全然予測できないゾーンにもう入っていますよね。だからみんな焦っている。ならば、だからこそ数年後も確実に価値を持つもの、時間が経つほどに価値が増すと感じてしまうものに携わっていきたいです。その価値の確からしさを分かった上でアウトプットすること。というと古臭いと思われるかもしれませんが、ノスタルジーを引き剥がして普遍的なことに昇華していきたい。そこに根ざしている1人でいたいなっていうのは思います。

土屋:それが、人間がやっているということですよね。深い話になっちゃいましたね(笑)。

武田:そうですね。意識は、高くするんじゃなくて深くしなくちゃだめだと思うんですよ。高低じゃないですからね。仲間内では、意識深い系であるべきだ、と話しています。

知識ではなく、想いを語る人が残っていく

神谷:だいぶ時間も迫ってきているので、1度会場のみなさまからもご質問をいただこうと思います。いかがでしょうか?

参加者:2点聞きたいことがあります。1つ目は、以前「DOTPLACE」のコンテンツを見ていたときに、「50年後に残る、メディアは残らなくていい、50年後に残るコンテンツをつくりたい」ってお話をされていたと思うんですけど。

武田:しましたね。

参加者:それがたぶん2年前くらいだったかな。今日お話を聞くと、もはやもう、そういう段階を超えているような気がしました。武田さんにとって、コンテンツも通過していくものとしてあるっていう風にとらえているのかなと思ったんですけど、どうでしょうか?

武田:別に詩的な話をしたいわけではないんですが……瞬間と永遠ってそんなに差がないって考え方が好きなんです。そもそもぼくらが有限である以上、永遠って認識できない概念ですよね。コンテンツがある種通過していくもの、消えゆくものだというフェーズに入っているのではという意見について、ぼくはそう思わなくて。ぼく自身は消えゆくけれど、ものは残ってほしい派なんです。たとえば、特に美術作品ってなにかこう、現代美術でもファインアート、絵画でもいいんですけど、今ここまでで得たこと、感じたことに対してのピンを置く行為だと思っていて。今の自分を通して出てきたものとしてのピンが、リアルでフィジカルなものとしてリレーされたときに、それは自分の生命の、この期間を超えていくものとして、祈りや呪いが込められていると思うんです。

たとえば演劇は逆だと思っています。強烈な一回性があるもので、喜びというよりはこの瞬間にもうなくなってしまうものに対しての慈しみみたいなものが、演劇表現でぼくが好きなところなんです。同じ演目でも初日と最終日では全然違うでしょうし、実際舞台上で行われている瞬間、その刹那刹那にもう失われていってしまうもののほうに、ぼくは感動がある。でもそれは演目としては残っていくし、再演することもできるし、ほかの役者が演じることもできる。でもそれは、ひょっとしたらピンを置いて、ピンだけが違う形に風化しながら、未来の人間が「あのとき、××年に置かれたピンだ」って言って見ていくものですよね。

ぼくは人より、ものが残ってほしいです。宿命的に人はもう残れないので。1人の人間はせいぜい今のところ、数十年単位のものを見聞きして語ることしかできないので、それをなにか作品に仮託するっていう営為の中で動いていたい、という感じです。

参加者:ありがとうございます。2つ目が、編集のお話をずっとされてきましたが、武田さんの場合は今「肩書きがもうない」。先ほど武田さんがおっしゃったように、そういう肩書きを全部脱ぎ捨てた段階にあるのは、完成する一個人じゃないですか。もちろん、ずっと歩んできたバックボーンもありますけど。そういう1人の人と人とで見たときに、武田さんは、どういう未来を見ている人に残ってほしい、伝わってほしい、広がってほしいと思っていますか?

武田:ぼくは「本当はおもしろいはずなのに」って感じるものや人がいると、「もっと熱くなろうぜ!」と思うんです。松岡修造さんが大好きなんですね。なので、残ってほしいのは、もっと熱くなれよって思わなくていい人。逆に初見から腹の中を見せ合えるような人とは、すごく仲良くなれます。暑苦しい、って言われたら、もうそれは仕方がない……(笑)。

参加者:歴史とかそういうものを丸ごと全部出していく、体温感覚が一緒ということですよね。

武田:そう、知識ではなく、想いを語ることですね。そういう人に残ってほしいし、たぶん残ると思います。

神谷:ありがとうございます。もうひと方、おうかがいします。

参加者:編集者としてのリアルなお話を聞きたいのですが。編集者の強みが「会いたい人に会える」というお話がありましたよね。会いたい人はたくさんいると思いますが、「この人に取材したい」と思ったときに、どういう行動をするのか、どう会いに行くのか?

武田:これは2つあります。まず、取材の前には絶対現場に足を運ぶことです。作家であればトークイベントに行ったり、ミュージシャンであれば、直近のイベントに行く。(取材相手が自分と)関係値がない人だと、常に直近の本人の稼働している場に行くということは、なるべくします。

もう1個は学生のときに読んで重要な本だと思ったものの中に、永江朗さんの『インタビュー術!』(講談社現代新書)という本があるのですが、その中で今でも愚直にやっていること。できないときもありますが、取材場所に30分前に行く。周りをうろうろしてから取材場所に行くんです。時間がなくても、たとえば本を書く人であれば、少なくともデビュー作、代表作、最新作には目を通すということはやるようにしてます。

特に前者の「現場に足を運ぶ」というのはできる限りやっています。さらにそのときにも話しかけておくのは大事だと思います。「今度取材行くので、オファーさせてください」と伝えておいて、その後依頼状で「何月何日のライブでご挨拶させていただきました、あのときはこの曲がよくて、こうこうこういうところがよくて、お話聞きたいんですよ」という話をします。場合によってはお手紙です。これも、先輩方に教えてもらったことです。

神谷:まだまだ聞き足りないところもありますが、時間がきてしまったので、イベントは締めさせていただきます。この後しばらく武田さんもいらっしゃるので、ぜひお話ください。本日はありがとうございました。

(2015年12月2日@amu)

イベントを終えて

イベントの中でも随所に仕事との向き合い方があらわれていましたが、イベント後、あらためて仕事とは、働くとはなんだろうという点を武田さんにうかがいました。最後に、そのお話の内容をご紹介させていただきます。

――どこからどこまでが仕事、という境界線のようなものはありますか?

仕事とプライベートの間に境界線をつくるのは、たぶんぼくには不向きな発想です。これは単純で、おもしろいことをしている人に会う→仲良くなる→そういう人と仕事をする、といったループがぼくを育ててくれたと感じるからでしょう。

――仕事が楽しいと思える瞬間は、どんなときですか?

・自分の想像したようなアウトプットができたとき

・複数人でのチームワークにより、自分だけでは想像できなかったようなアウトプットができたとき

・好意的/批判的双方の反響を得たとき(忘れがちですがWeb上での反響はとても大切で、その意味でのPVやUUといった指標は今でも重要に思っています)

――仕事を断ったことがないというシリーズ第1回ゲストのヌケメさんより、「これからのゲストに聞いてみたい」という質問です。仕事を断る基準はありますか?

自分自身がおもしろがれなかったとき、でしょうか。ギャランティの高低やスケジュールって、ある程度のレベルまでなら、おもしろさ、重要さと差し引きして考えることができると思う。なので、自分がかかわる意味、みたいなものが主観的にも客観的にも考えられなかったら、それは受けられないですよね。

 

amu

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