EVENT REPORT

本当に肩書きがなくなりました
――「肩書きはまだない vol.3」レポート1/2

【ゲスト】武田俊

【聞き手】土屋綾子、神谷衣香

EVENT REPORT

本当に肩書きがなくなりました
――「肩書きはまだない vol.3」レポート1/2

【ゲスト】武田俊

【聞き手】土屋綾子、神谷衣香

ここ数年で、さまざまな仕事の価値観に出会うようになりました。このイベントでは、肩書きという枠を超えて幅広く活動する人たちをゲストに迎え、仕事に対する考え方や、その原動力などに迫ります。シリーズ第3弾のゲストは、武田俊さん。イベント当日には衝撃の最新情報も飛び出し、肩書きや仕事への思いが詰まった濃厚な2時間となりました。レポート前半では、大学時代の『界遊』創刊、会社設立に至った経緯や、『TOmagazine』にジョインし『TOweb』の立ち上げまでに考えていたことなどをうかがいました。

OVERVIEW

2015.12.02(水)

ゲスト:
武田俊(メディアプロデューサー、編集者、文筆家)
聞き手:
土屋綾子(株式会社コンセント)、神谷衣香(amu)

最近、肩書きがなくなった

【プログラム】
19:30-20:20 ゲストトーク前半
20:20-20:30 休憩
20:30-21:10 ゲストトーク後半
21:10-21:30 質疑応答、ゲスト・参加者の交流

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土屋:まず、武田さんの自己紹介をお願いします。

武田:こんにちは、武田と申します。

(画面にスライドが映る)

ぼくの肩書きは、編集者みたいな人です。といっても、今、編集者の肩書きを名乗るのは非常にむずかしい。こういう形でイベントに呼んでいただくこともあるし、もっと大きな会場で講演するときもあります。でも、どうしても「本をつくる人」というイメージが強くあるようで、本をつくる以外のことはできないのではという感覚に陥る人も多い。もちろん、本や雑誌をつくったりはしていますが。

今回のイベントの告知ページでは「メディアプロデューサー、編集者、文筆家」となっていますが、この自己紹介のスライドとも違う(笑)。ちなみに、スライドの「クリエイティブディレクター」というのは、たとえば広告代理店の方と一緒に仕事をするときに、提案書に入れるプロフィールが必要になるということで使っています。

肩書きは自分にとって、相手のフィールドに合わせて伝えやすくコーディネートしてあげるカードの1つだと思っています。でも、自分として一番誇りを持ってやっている仕事は、編集者としての仕事かなと思います。

ぼくは1986年生まれで今29歳なんですけど、元々は大学時代に仲間内で『界遊』という雑誌をつくっていました。文学部日本文学科で、いわゆる文学青年、カルチャー好きの青年だったんですけど、既存の文芸誌みたいなものがイケてないなと思っていて。ぼくらの世代としては、ゲームだったり、音楽だったり映画だったりが並列としてあるのに、文学部で勉強していると、もう学問でしかない。結局純文学みたいなものに惹かれてはいるんですけど、売れる商品ではないことに対して、「いやいやこれは文化だから、ちゃんと守るべき学問なんですよ」というレトリックを、研究者でもない自分たちのような人間が行使するのはダサいなと思ったんです。だから、自分たちで文芸誌みたいなものを更新できないか、新しいカルチャー誌をつくれないかと思ってつくったのが、『界遊』です。

これはサークルという形ではなく、大学内の気が合う仲間と一緒にやっていました。そして、その仲間たちと会社をつくりました。同人誌をつくりたいわけではなく、商業誌として流通させたかったという単純な理由です。どうしたらいいのか考えて取次まわりの勉強などもしてみると、なかなか新規参入しづらいだろうというのもあって。一番シンプルに考えて、法人格を取得すれば一応商業誌になる、ということで、会社を設立しました。当初はクリエイティブスタジオのような感じで、自社の媒体(後にWebに移行)を運営しながら、エンジニアとデザイナーも入れていろいろな制作案件をやっていました。当初はぼくが代表という形で経営をしてきましたが、それを引き継ぎ、3年経ったときに離れ、『TOmagazine』という雑誌の編集部にジョインしました。東京23区を毎回1つのテーマとして、編集長が実際そこに住んでつくるという、街とカルチャーの雑誌です。そこで『TOweb』というWeb媒体を、編集長として立ち上げました。

ここで最新情報です。「肩書きはまだない」というイベントを企画者の2人からご依頼いただいたときが10月末ぐらいだったので、よしこれで年末にトークイベントも増えてきたし、『TOweb』がんばっていきましょうと思ってたのですが。いろいろなことが重なり、11月末で会社を離れまして……。これは本日最新情報なのですが、本当に肩書きがなくなりました。

土屋:イベントタイトルが現実に!

武田:もうお2人のせいじゃないかと思っているんですけど(笑)。本当に今、肩書きがないです。なので今日は宣伝トークを一切する必要がないので、過去を振り返りつつ本質的な話だけをしたいと思っています。

学生時代は自分たちの雑誌以外にも勝手に本をつくったり、商業誌のライターなどもしていました。なので版元に所属したことはないんですが、編集やライティングという仕事には歳の割には数も触れてきたと思います。「編集」という言葉はマジックワードになっていますが、ぼくらが仕事をしていくうえで、紙媒体をつくることだけが編集じゃないということは、ずっと思っています。特に新規参入が非常にむずかしいということもあったので、編集を拡大していくという気持ちで、展示などもやりました。

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世界と遊ぶ!展 紹介(武田さんのスライドより)

これはpixiv zingaroという、イラスト系のサービス、pixivさんと村上隆さんのカイカイキキさんと共同で運営している、中野ブロードウェイの中のギャラリーです。そこがオープンしたときに、ぼくらがキュレーションして『世界と遊ぶ』展というのをやりました。これは、インターネットまわりのクリエイター、デジタルクリエイターとフィジカルの、ファインアートの人など混ざって、1週間ライブペインティングしながら踊りまくる、という展示でした。

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天狗 A Night!! 紹介(武田さんのスライドより)

これは2012年にWOMBという渋谷のクラブで、インターネットまわりのDJとクラブで活動するDJと一緒に開催したイベントです。このようなリアルの場を使った活動も、いろいろやってきました。

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KAI-YOU.net

そして、これがKAI-YOUという会社が運用している、日本のポップカルチャー全域を横断的に紹介するポータルメデイアです。噂によると、ぼくが辞めた後から非常にマネタイズに成功したようです。

そんなこんなをしていたらですね、NHKさんからお声がけいただいて、2014年2月に放送されたものですが、『ニッポンのジレンマ』という討論番組でコルクの佐渡島庸平さんと当時は東洋経済オンラインの編集長で今『Newspicks』編集長の佐々木紀彦さんと、PHPの丹所千佳さんと一緒にお話をしました。「新しい編集とは」みたいな話をしたんですけど、これは難しかったですね。

土屋:どんなところが難しかったですか?

武田:ぼくは一番若くて、特に事例を持っていなかったんです。今は出版業界がこういう状態になっている中、新しいメディア展開がありうるんじゃないか、とアグレッシブに発言したんですけど、エビデンスがないのでカットされてしまった部分も多かった。「若者は既存システムに反発してナンボでしょ!」と息巻いていたのですけどね……。ロケ弁を食って泣きながら帰りました(笑)。

イベント出たりもそうですし、紙の本つくったりもそうですし、もちろん自分の媒体を回していく、そのマネタイズや広告の提案とかもしています。一方で、オウンドメディアの相談を受けて、代理店さんと一緒に企画提案と運営をぼくのほうでチームをつくって回していくということもしています。なので、「肩書き、むずかしいですよね」っていう自己紹介でした。

土屋:肩書きがない……なくなりましたね(笑)。

武田:肩書きがなくなりました。

肩書き欄が「  」の名刺

土屋:これまでいろいろな肩書きを持っていたというところで、肩書きをどういう風に捉えていたのかなっていう話をお聞きしたいです。

武田:人生ではじめて肩書きを持ったのは、大学のころです。自分で自分に与えて名刺をつくっていました。自分で雑誌をつくっているということで、たぶん「編集者」、あるいは会社になる前だったから法人格はないですが「KAI-YOU代表」みたいな一番すんなりくるものを入れていました。でも大学生の時に、やっぱり本に対する異様な偏愛と、いわゆる紙の本、特に人文書の編集者への異常なリスペクトがあるので、「編集者」「ライター」と名乗るのにためらいがあったんです。そのころライターの仕事もさせてもらっていて、お世話になっていた先輩に「そんなの名乗ったもん勝ちなんだから」と言われて名乗るようになったのを覚えています。

土屋:先ほど(イベント開始前に)、肩書きがなくなったというときに、名刺の肩書き欄をカギ括弧に、という話をされていましたが。

武田:そうそう。KAI-YOUを辞めた去年の夏に、名刺でもつくっておくか、と思ったんですね。そこで公私とも仲良くしてもらっているアートディレクターの重冨健一郎さんに名刺をつくってもらおうとして、「肩書きどうしようか」って話してたんですけど、自分でも分からなかったんです。よくいえばいろんな仕事ができる、悪くいえば器用貧乏になりかねないと考えると、定め方がむずかしいなと思っていて。「もう肩書きなしでいいんじゃないか」とも思ったんですが、それだとできない仕事もあると思ったのでに、カギ括弧で中を空欄にするのがいいと2人で話したんです。それは「ぼくは肩書きで仕事をするのではなくて、ぼくとしてあなたたちのプロジェクトに入っていく価値が提案できますよ」というアピールになる。ちょっと青臭いですけど、肩書きのみで仕事をすることへのアンチテーゼにもなるし、単純に、もし必要であればそこになにか書き込んで使うこともできる。でも、その後すぐに『TOmagazine』にジョインしたので、その名刺は結局つくらなかったんですけど。今あらためて、それをつくる必要があるんじゃないかなと思っているところです。

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すべての転機となった、高橋源一郎さんの小説

土屋:これまでの、先ほどのプロフィールだったりとか、このイベントの告知ページだったりとかで書いていたものたちが肩書きにくっついてきたっていう部分を、ちょっと振り返ってみましょうか。かなりの文学少年だったということを言っていました。

武田:子どものころはすごく虚弱児で、超重い小児ぜん息だったんですよ。だから幼稚園のときとか、鬼ごっこすると永久に鬼なんですよ……鬼ごっこが楽しかった記憶がない。というときに、本が好きになっていって、本ばっかり読んでましたね。でもその時から、習い事が全部運動系だったんですよ。

土屋:それは体力つけなきゃということで?

武田:そうです。スイミング、体操、空手、剣道など、いろいろやらされたせいで、奇跡的に体調が一般人並みか、プラスαぐらいになりました。中高はずっと野球部はだったんですよ。でも野球部で本が好きな人ってなかなかいなくて、うまく仲よくなれなかったんですよね。だから大学に入ったら、ぼくは「ザ・文化系男子」になろうと。実は最初はロースクールに行きたくて、法学部に行こうと思ってたんですけど。

でも、これがすべての転機だったんですけど……中学校3年生ぐらいのとき、図書館で作家順に「あ」から読んでいったんです。「え」の江國香織さんで「恋ってこういうこと?」みたいなドキドキがあったり、たまに飛ばして先に「む」にいって村上春樹さん、村上龍さんを読んで、「うわ、すげー」と思ってたり。それで「た」のゾーンで高橋源一郎さんの『さようならギャングたち』という小説を偶然読んだとき、はっとしたんです。大島弓子さんの漫画が引用されてたりして、これは果たして小説なのか、現代詩なのか、なんなんだろう、と思って。ちょっととんでもないなっていうぐらい、衝撃を受けました。

「これが文学であるなら、ぼくは文学を勉強したい」と思って、文学部に行くことを決めたんです。高橋さんがすべてのキーポイントで、異様にその人が気になったので全作品を読み、彼の書評に登場する本も知り得るかぎりすべて読み、彼がかかわっている雑誌に寄稿したものも手繰り寄せて読みました。そこから、本にかかわることをやっていきたいというのを、すごく思いました。

大学ではいろいろやっていましたけどね。音楽やったり映画を撮ったり。そんな中で最終的に大学3年生になって休学したあたりで、ちょっと自分たちで本つくりたいなと思ってはじめたのが『界遊』という本でした。

文芸ジャンルを横断させたいという気持ちが強烈にあった

土屋:『界遊』は先ほど文芸誌という紹介をされていましたが、いわゆる、みんながイメージするところの文芸誌のスタイルですか?

武田:スタイルは意外とそうですね。つくった経緯としては、ぼくはそれまでずっと映画サークルにいて、映画を撮っていたり、自主映画の界隈で上映配給の手伝いをやったりしていました。園子温監督がOBのサークルだったんですけど、そんな伝統はもう廃れてしまっていたので、復活させようとがんばっていたんです。そこで友だちがつくっていた、当時の自主映画関連の今のシーンをまとめたインタビュー集みたいなリトルプレスを手伝った結果、本、文学にまつわることをやりたいと思って『界遊』をつくったという経緯ですね。

土屋:執筆者がまたすごいですね。

武田:ばらばらですよね。インターネット界隈の人もいるし、古川日出男さんや円城塔さんなどにもご依頼しました。小林レントさん、最果タヒさん、などの詩人もいます。ぼくが10代のころから現代短歌をやっていたのもあって、すべての文芸・カルチャーのジャンルを横断させたいという気持ちがすごく強烈にあったんですよね。

アニメに詳しい人はアニメの企画を、アイドル文化に詳しい人がアイドル文化の企画を立てる。日本の文学シーンというのをコアバリューとして片足はそこに置きながらも、それぞれの得意ジャンルでやっていくというスタイルでしたね。

土屋:『界遊』はどういう風に展開されていったんですか?

武田:これは完全に直販で、書店にお願いに行って置いてもらう形でした。5号までつくったんですけど、最終的には全国100店弱ぐらいの書店さんに置いていただいて、最後は4,000部ぐらい刷りました。今は閉店していますが、ジュンク堂新宿店が一番プッシュしてくれて、毎号リリースされるたびに、店内でイベントをやらせていただきました。かつ、その対談をぼくらが雑誌に載せということもやっていました。ジュンク堂さんのおかげで目玉コンテンツをつくれているみたいなこともありました。

土屋:雑誌をやるということの健全なサイクルに感じますね。これ5号出て、その後Webに移行したんですか?

武田:そうです。3年以内に法人化できなかったら、この関係とか組織は全部解体しようと決めていて。ちょうど大学在学中の2008年に雑誌をつくりはじめたので、3年目の2011年にいろいろ準備して、会社をつくりました。そこからは雑誌ではなく、Webに移行しました。

法人化は目的ではなく、風穴を開けたいという気持ちの結果

土屋:法人化が先ですか?

武田:そうです。ずっと法人化して自社媒体やりたかったんですけど、ぼくたちは経営学とか勉強してないわけですよ。だからもうすべて手探りでした。一応仕事はいただいていたんですけど、出版業界だと慣習的に取引条件として翌々月末払いが習慣ですし、逆に翌々々月末というところもあって大変だったんですけど。

土屋:(参加者の中で)頷いている方いますね……。

武田:そうそう。ぼくはそこで資金繰りという言葉をはじめて覚えまして、ひたすら資金繰りをしていました。なので、最初は自転車操業ならぬ三輪車操業みたいな状態で、自分たちの媒体をつくる体力がとてもなくて。資本金もどんどんなくなっていきますし、ひたすら死なないための工夫をしていましたね。今になんとかするぞといって1年ぐらい走って、ようやくWebで自社媒体ができたという感じです。

土屋:それでも会社を自分でやろうと思ったのは、どういう気持ちからですか?

武田:同人誌じゃなくするには法人化しないといけないという気持ちです。同人誌としてつくるつもりはないし、イケてる人たちがつくっているリトルプレスですっていう雑誌でもないし。そういうライフスタイルにコミットしたような媒体は全然やりたくなくて。これで風穴開けるぞみたいな気持ちでしかなかったので、もう勢いで行ったという感じです。だからこそ融資など含めて、けっこう綿密に事業計画したんですよ。

神谷:特に最初は大変だったと思いますが、会社の立ち上げも3人だったんですか?

武田:最初に立ち上げたときは5人かな。一瞬で2人抜けて、いきなり(米村さん、新見さんとの)3人になりました。

神谷:少数精鋭ですね。そこから会社の成長とともに増やしていったんですか?

武田:その後エンジニアとデザイナーを加えて5人になり、さらに7人になり。で、自社媒体をはじめるためにインターンを入れたりしながらやっていて、ぼくがいなくなった後、更に増えているようです。

土屋:最初は「出版社」をつくろうと思ってたってことなんですかね?

武田:そうなんです。出版社をつくろうって思っていて、取次にアタックしようと思ってまず業界最大手に行ったんですけどダメで。もう少し中規模のところに行ったら、けっこう好意的にやり取りを進めていただいたところが1社あったんですが、支払いサイトがやばすぎて、やっぱり資金繰りが……。最初は数ヵ月先が分からないような状態で回していたので「そのときもう会社ないかも」と思って正直に伝えたら、じゃあ厳しいね、となってしまい。

土屋:それで、Web化したと。

武田:そうですね。すごく楽しくやっていたし、今もどんどん大きくなっていて、とってもいいことだなと思っています。

すべてが可視化されていくので、アクセスしている人の情報もそうですけど、PVなどの情報が全部出てくるときに、やっぱり人間、見えてしまうものに対してどうにかしようと思いますよね。そうなってくると、あとは広告モデルで運営していたので、PVやユニークユーザー数は非常に重要なんですけど、やっぱりそこばかりに目がいてしまうと……無料の情報に対して人間ってこんなにも脊髄反射で反応するんだなっていうことが、すごくよく分かりました。これはどのweb媒体にも共通して言えることですが、基本的にPV高いのって、わりと下世話なネタが多いんですよね。それはそれで人間らしいし、ぼくはいいと思うんです。ただ、本当に心血注いで見てもらいたいと思っている記事が、いろいろな措置を取ってもあまり数字が出ないとなると悲しい気持ちになりますね。

土屋:そうですね。その記事を見てもらうために、記事以外のことに注意をしすぎるのもすごくよくないですよね。そこにはジレンマを感じますよね。

武田:ぼくがこうしたイベントで話すのが好きなのは、自分たちがやるのも自分で出るのも、そこでやっぱり人の顔をちゃんと見て、顔を合わせて話すことのほうが好きなので。そういう機会をとても大切にしていました。現場の編集、空間の編集みたいなことをがんばろうとしていた感じですね。

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編集者の一番の強みは、取材

土屋:ここの時点で、武田さんのなかで編集というものがけっこう広くなっていってる感じですよね。

武田:そうですね。編集者の仕事の一番の強みって、逆になんだと思いますか? ぼくは1つ明確にあるんですよ。

土屋:ミーハーなこと、ですかね?

武田:それもあります。ざっくばらんに情報をいろいろ見ていくっていうのもあると思うんですけど、ぼくは取材だと思ってるんです。だって取材と称したら、基本的に誰にでも会えるんですよ。媒体名や規模に依存することはありますけど。

ぼくは就職したことがないから分からないですが、普通の働き方って、新卒でいろいろレクチャー受けたり、OJTでちょっとずつ慣れて、3年目ぐらいで自分1人で任されるプロジェクトに入り、その後ちょっと後輩の面倒をみたりして、中間管理職になっていく、という感じのキャリアの踏み方らしいじゃないですか。

だけど、編集とか取材って、もう自分のキャリアとはまったく見合わない、圧倒的な雲の上の存在みたいな人たちに会いまくれるんですよ。そうしていくと、もう階段を順番に登るっていうより、どういう風に何段飛ばしていくかみたいな思考があって。それはちょっと胡散臭さもつきまとうと思いますが、こういう話し方がいいんだとか、こういう思考の仕方があるんだっていうことを全部見ていって、それをひたすらトレースしていくみたいなことをよくやっていましたし。

特に編集者って版元の人は多いですけど、横のつながりがめちゃくちゃ広いですよね。あそこの飲み屋に行ったら○○社の誰だれさん担当の何々さんがいて。あそこの飲み屋行ったらあの週刊○○の誰だれさんがいて、みたいなところで肩つき合わせて飲んでいると、全然編集っていう言い方が媒体によって違うし。それぞれのロマンみたいなものを先輩方が語ってくれるときのおもしろさがとても刺激的で。じゃあいかに短い時間で追いつくかっていうことを、考えていた気がします。なんかこう、普通の仕事ではないなと思ってます。

土屋:すごく段飛ばして会いに行ったなという人は、だれかいますか?

武田:うーん……学生の時に、外のジャンルの人とかかわったり、そこに届き得る強度を持った小説家ってだれだろうと考えて、古川日出男さんにインタビューしたんです。当時古川さんは自作の朗読はもちろんですけど、いろんなミュージシャンとライブハウスでイベントをやったりもしていて。「どうしてそういうことをしているんですか」と聞いたたら「古川日出男の作品を届けるためには、古川日出男自体がよいコンテンツにならなければならない。それは宿命的なものだ」というような話をされていて、すごくかっこいいと思ったのが1個ありました。

あと仕事としてやったときに嬉しかったのは、松岡正剛さんとお話できたときですね。そのときはチームラボの猪子さんとの対談をセッティングしたのですが、お2人がめちゃくちゃ波長が合ったんですよね。ぼくらの意図としては、現在の日本国内のインターネットにおそらく一番近い人、松岡正剛さんと猪子さんを組み合わせたらどうなるのか。見事、ハマったのは嬉しかったですね。後から知ったのは、元々けっこう仲がよかったらしいんですけど、そういうことをできたのはよかったなと、すごく思います。

土屋:松岡さんへの取材は、大学時代だったんでしょうか?

武田:会社をはじめてから仕事としてやりました。松岡正剛さんがつくっていた『遊』という雑誌がぼくは元々すごく好きで。全然世代ではないんですけど、バックナンバーを買い集めたりしていました。『界遊』の「遊」も少し意識したんです。白川静さんが「遊ぶっていう漢字が一番好き」みたいなことを言っていたのもあります。けっこう影響は受けていると思います。

土屋:私KAI-YOUの「POP is Here!」というスローガンが熱いなと思って、見てます。

武田:これはSkypeでみんなでスローガン考えていて出てきた感じでしたね。「もう自分たちで旗たてるしかないっしょ。おれたち1個も既得権益持ってないんだし」ということでつけました。彼らは今、このフレーズを使ってブランドもつくってますね。

閉じたコミュニティの壁をぶち破るようなメディアをつくりたい

土屋:その部分では、最初からこのイメージがしっかりあったような印象がありますね。

武田:ありましたね。この辺は全然ぼくはまったくタッチしてないですけど。細かな話ですが、一番今でも自分の中で通底したテーマになっているなと思っていることがあります。

ぼく法政大学出身なんですけど、学生会館があった時代のすごく濃密な全共闘時代から連綿とつらなる文化史のアーカイブを見る機会があったんですね。24時間ロックフェスをやってたり、日本国内に2、3本しかない貴重な監督のフィルムが残っているのを見ていくと同時に、学生運動の歴史にも触れていくわけで。さまざまな批判がその後されてきましたが、単純にぼくの中では、いわゆる大きな物語というものがなくなった世代として、ある種の憧れがあるんですよ。

つまり、価値観が今ほど多様化していなくて、みんなで1つの風景を見たり、1つの価値観について議論を濃密にできる対象みたいなものが、かつての時代にはどうやらあったらしい。安保に関してみんながどう思うかで、議論が進むし、そのとき同時代カルチャーみたいなものが入り混じっていくというのは、豊穣とした時間だと思っているんですが、ぼくの学生時代にはそれがまったくなかった。

ソーシャルメディアの一般化によって、だれでもインターネットで情報発信できることで、コミュニティの乱立がさらに激しさを増しました。多様な価値観はもちろん尊ぶべきなんですが、外のものに触れずに閉じたコミュニティを島宇宙だ、というようなことを言ったりもしますよね。ぼくは、その壁をぶち破るような、みんなが出入りできる新しいサードプレイスみたいな感じで、メディアがつくれたらいいなという態度ではじめていて。そこは今でも同じ気持ちです。少し変わってはきましたけど。

土屋:なるほど。振り返りが、やっとKAI-YOUのWebの話までいった感じなんですけど、その後が『TOmagazine』と『TOweb』ですね。

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武田:先ほどもちらりとお話しましたが、街とカルチャーの雑誌として毎回東京23区のうち1つの区を特集するというスタイルでやっているんですけど、Webに関してはその23区の縛りを取って、東京都全域の街とカルチャーの情報を扱っています。

ここで大事にしたかったのは、せっかく雑なバイラルメディアが出揃ったような時期に立ち上げるのだから、アクセスをひたすら稼ぎにいく雑なテキストの集合体や、適当な笑いをとってアクセスを稼ぐようなものには、なりたくないな、ということでした。早期のマネタイズや無意味な規模拡大よりも、雑誌と同じような読み物のレベルを維持してできないかな、というのを試すのが、ぼくの個人的な狙いではありました。なので取材ものの割合をすごく増やしていますし、そこはちゃんとコストをかけてつくっていく。写真1枚にしても全部カメラマンや写真家にアサインしてつくっています。記事数もミニマムですが、1日3本出してるんですよ。

土屋:これは何人ぐらいでやってるんですか?

武田:ぼくを含めて2.5人。かつ、外注費をそんなに使っていなかったので、実際毎日のように取材に行ってました。

土屋:けっこうタフですね。

武田:タフでしたね。常時3、4本は取材済みのものを持ちながら、さらに取材に行っていました。

土屋:これを2人でやっているとは思っていませんでした。

武田:これはしっかりつづいていくので、ぜひ見ていただければ。ぼくも外からかかわることになると思います。

土屋:それで、『TOmagazine』『TOweb』を離れて、これからどうするおつもりで?

武田:いや本当に青天の霹靂なので……自分から辞めたんですけどね(笑)。どうしようかなというのは思っています。なので「明日からぼくどうする?」ということを下敷きに、もっと広い、みなさんが関心ある働き方の話に結びつけていきましょうか。

(2015年12月2日@amu)

レポート後半につづく。

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