EVENT REPORT

ピーナッツバターメイカーに聞いた、"車輪の再発明" の仕方ーー稀人アカデミア vol.4 レポート

【スピーカー】杉山孝尚

【モデレーター】川内イオ

【レポート著者】千々和淳

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ピーナッツバターメイカーに聞いた、"車輪の再発明" の仕方ーー稀人アカデミア vol.4 レポート

【スピーカー】杉山孝尚

【モデレーター】川内イオ

【レポート著者】千々和淳

有名・無名問わず、世の中にはこれまでにない自分の仕事を作った人たちがいる。そんな人たちは仕事の姿勢や考え方が「規格外」。今回の「稀人アカデミア」に登壇した杉山さんも、乗り心地の良い電車に乗って最終駅を目指すよりも、線路を敷くところから最終駅を目指すような人だった。

OVERVIEW

2018.02.22(木)

スピーカー:
杉山孝尚(杉山ナッツ代表)
モデレーター:
川内イオ(稀人ハンター)
レポート著者:
千々和淳(株式会社コンセント / amuディレクター)

INDEX

  1. はじめに、車輪の再発明と生産性
  2. ダンサーを目指して会計士へ
  3. ウォール・ストリートの会計士と遠州落花生
  4. 圧縮よりも蓄積の生産性

はじめに、車輪の再発明と生産性

「車輪の再発明」という言葉がある。元々はエンジニアリングの世界などで使われ、今ではビジネスの世界などでもすっかり定着した言葉だ。すでに開発されたものを知らずにその開発に着手する時間とコストの無駄を表している。2017年12月にamuで行ったインタヴューで、ドミニク・チェン氏は、この「車輪の再発明」こそがもしかすると今目の前にある状況や選択肢が「one of them」に過ぎないと人が気づき、個々人が自ら社会に働きかける契機になるのかもしれないと語っていた(いま、「グラデーション」でものごとをつなぐ意味 後半――早稲田合同作品展示「Grayscale」によせて)。
そして幸運にも、年が明けての2月にまさにこの意味での「車輪の再発明」を地で行くような人に出会うことができた。それが杉山孝尚さんだ。ダンサーを目指してNYへ渡り、世界の四大会計事務所のKPMGを退職してピーナッツバターメイカーとなったという経緯の話はもちろん面白かったが、オーディエンスの多くが興味を持ったのは杉山さんの「姿勢」の方だったかもしれない。既にあるものを利用したり、人に頼めば直ちに済むようなことも杉山さんはどんなことでもゼロから自分でやる。そんな車輪の再発明といった姿勢でわずか2年で海外進出まで果たしたピーナッツバターメイカーの杉山さんの話は、私たちの生活やビジネスにとって大切な視点を示唆してくれた。

ダンサーを目指して会計士へ

OLYMPUS DIGITAL CAMERA今から2年前に「杉山ナッツ」というどこか懐かしい響きのピーナッツバターメイカーを立ち上げる。今では地元の中学生にも「ナッツさん」と呼ばれている杉山さんは、今年35歳になり、落花生のように双子の子供がいるお父さんでもある。

高校卒業後にヒップホップのダンサーを目指して頼るあてもなくNYへ渡り、ストリートやクラブでのダンスバトルで腕を磨き、遂にはCMやオフ・ブロードウェイに出演するまでになった。とはいえ、日々の生活のためにはダンスの他にも仕事が必要だったので、とあるNYのレコードショップで働いていた。ある日、人手不足の本社から著作権管理などの仕事を手伝って欲しいと依頼があって異動。任されたのはアーティストや作品の著作権管理などの業務だった。本人談では「あまりにも周りが適当すぎて」そこでメキメキと頭角を現す。数字に強かったと思うところだが、

「自分の才能というほどのものではなくて、高校しか出ていなかった自分を当時の周囲が『お前は博士か』と言ってくるレベルだったんです(笑)。でも、そこでお金、特に人やモノとのお金の関係、お金がそれらの間を循環する仕組みなんかに触れることができて、興味を持ったんです。周囲に勧められなければ学校にも行くことはなかったでしょうし、専攻を会計に選択しなかったと思います。」

ダンサーを目指してNYに来ていたはずが、レコードショップからビジネスや経済、流通などを勉強しに現地で大学に行くという杉山さんの特異な経歴はこの時点で始まった。こうして入学した大学の3年次に、会計学を専攻に選ぶ。しかし、会計学を学校で勉強するよりも、社会の中で実地で学びたいと思い、インターンで世界四大会計事務所のKPMGに働き、そのまま入社。そう言ってしまうとスムーズなようだが、実際は入社するのに成績が不足していた杉山さんは、なんとしてもここで働きたいという強い思いをひたすらにぶつけ(「なんでもするから入れてくれ」と真正面からひたすら食い下がったらしい)、最初の面接では断られながらも三次面接の頃にはすでにフルタイムで働くことを認められたという。

ウォール・ストリートの会計士と遠州落花生

KPMG に入社後の6年間は経営戦略や企業買収などの仕事に従事、というよりも激しくのめり込み、週末も出社する毎日で、繁忙期は会社に寝泊まりしていた。その猛烈な働きぶりによって、「出世するか辞めるか」という過酷なビジネスの世界で20代にしてマネージャーになった。しかし、いつものように出社したある日曜日の朝、その後の人生を変えることになる新聞記事に出会うことになる。

ビジコン資料

その新聞記事は、1904年のセントルイス万国博覧会にて、静岡の遠州落花生が金賞を受賞した記事だった。この記事を目にした時、「これは自分がやるべきことじゃないか」と思ったという。世界的企業の管理職として年収1000万を超えたような生活にあって、約100年も前の話の新聞記事を読んで自分の「やるべきこと」と思ったというその時の状況や杉山さんの頭の中を想像するのは難しい。

「会計士になったのも、お金の流れというのを勉強したかったから。そもそも最終目標ではなかったし、自分にとって、会計士というのは一生の仕事ではないと思っていたので、次を考えていた時期ではありました。漠然とながらも、これまでの知識や経験を生かして製造業に携わりたいと思っていました。」

そう決断しても、転職するのとは訳が違う。ピーナッツバターを作ると言っても、作り方や機材を揃えたり、そもそも100年前の落花生を見つけるところから始めなければならない。

「いや、もう KPMG を辞めちゃってたので見つけるしかなかったんですよね(笑)。何が何でも見つけてやろうと。でも文献やらを調べていくうちに、『必ず見つかる』という割と解像度の高いイメージができていたんです。もし見つからなかったらこうしようという発想は全くなくて、見つかってその先のイメージがどんどん膨らんではっきりしていたんですよね。」

「もしも…」という不安が頭をよぎる隙もないほどにはっきりとしたイメージに溢れていたのは、きっと「勉強したり調べたりすることが嫌いじゃない」という杉山さんの特徴にもよるところだろう。100年前の静岡の在来種である遠州落花生の生産農家は既になく、落花生そのものを見つけることは想像以上に困難だったようだが、ひたすら当時の文献を漁り、当時、万国博覧会に出品した日本人を探し当てる過程は探偵のようで楽しかったとさえ語る。そうして漸く当時の出品者の子孫を見つけ、庭に放置されたまま自生した落花生と奇跡的でありながらも、必然的でもあるような出会いをはたす。
しかしようやく落花生を見つけたその後も、思ったようには進まなかった。農業どころか土もいじったことのないような素人に畑を貸し出してくれるところもなく、畑の調達に四苦八苦。それでも KPMG 入社時のような直球勝負でひたすら真正面から「あの畑を貸してもらえませんか」と訪ね歩いて、なんとか一つの畑が手に入った。いよいよ本格的にピーナッツバターを作ろうと、使われていなかった祖母の家を自分で工場に改築。栽培や収穫、加工のための機材なども最初は揃えずに全て手作業で行ったという。
ここに至るまで、杉山さんはよく言えば真正面から、悪く言えば場当たり的だったり、戦略性や効率性が低いやり方をしているように思えるが、実はがむしゃらに働いた KPMG での経験から得た最も効果のあるアプローチ方法だった。

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「まず最初に遠回りのようにも見える大変なやり方でやっておくと後でいくらでも省略したり楽にしようとできるんです。その逆ってできないんですよね。そういうことって『初めて』という素人のうちだからこそ出来ることなんです。」

杉山さんの視力は、目の前にある課題や問題の細部だけでなく、時間も捉えているようだ。普通なら「落花生を見つける」「畑を手に入れる」「落花生を作る」「ピーナッツバターを作る」という目的が達成されたらリニアに次へと進む、つまりその問題は「クリアーされた」「解消された」と考えるところを、杉山さんの場合はサイクルの中にあってそうした問題や課題と再びいつか出会うことを前提にした考え方のように思える。

「人に任せればすぐに解決するようなこともあるとは思います。でも、それだと目の前の課題や問題を解決するために、お金を消費することになる。逆にそれを自分でやれば、いつかそこで得たスキルや知識、経験を活かすことができるかもしれないという『投資』になります。それを消費にするか投資にするかって自分のスタンスの話だと思いますから。」

圧縮よりも蓄積の生産性

今では年間1万7000個を生産し、地元浜松だけでの販売にもかかわらずあっという間に売り切れるほど人気の「杉山ナッツ」のピーナッツバターは、ニューヨークの品評会などにも出品したり、アメリカでの生活の時にお世話になったお店でも取り扱いが始まった。ピーター・ルーガーなどアメリカの有名店では料理にも使われ、今後は醤油のように料理にも使える「日本のピーナッツバター」として世界への進出を目指す。わずか2年で海外へ進出というのは、土も触ったことのなかった青年が落花生を探すところからスタートを切って、2年で海外進出というのは驚くべき速さではないだろうか。

IMG_0664_2そうした販路だけでなく、地元静岡では事業の存在意義も広げつつある。仕事が潤沢ではない地方では、子育て中の母親たちは社会からの孤立した感覚に陥りやすく、それは母子関係や家庭全体に影響する。それを肌身を持って知った杉山さんは、地元の若い母親たちが子供を連れて出勤できるようにシフトの仕組みや環境を作ったという。今は日毎に交代で一人の母親が他のお母さんたちが連れてきた子供達の面倒を見たり、従業員みんなのお昼を作ったりと大家族のように経営する職場になった。今後の会社のあり方については、地域の人たちの暮らしを支えられる会社になりたいと杉山さんは語る。この話を聞いていてすぐに思い出されるのは郡是製絲株式會社(現 グンゼ株式会社)が社名に込めたその創業精神だった。「群」=地域の産業によってあらゆるステークホルダーの生活を支え、共存共栄をはかるというその精神は、工場のある敷地内に女学校を設立するなど生活だけでなく教育にも務めた(余談だが、郡是製絲株式會社は杉山さんの人生を変えた1904年のセントルイス万国博覧会で遠州落花生と共に生糸で最高賞牌を受賞していた)。杉山さんにこのグンゼ株式会社の話をしたところ、「まさに俺も同じこと考えてるっス」とダンサー時代を彷彿とさせる口調で目を輝かせていた。

スタートアップや起業などにおいて時間の圧縮が至上命題のようにされることもあるが、実はそれは生産性とは関係がないことは誰でもすぐに気がつく。杉山さんの姿勢は、時間を短縮したり手間を省くよりも、中長期的にはかけた時間を「蓄積」=「投資」にすることが最も効果的に生産性が高いのだということを示しているように思う。そしてその視点は、地域の雇用や景観をも視野に入れた杉山ナッツという会社の存在意義においても一貫している。 こうした視点を持った事業者が増えることで、ビジネスの業界だけでなく私たちの生活や地域も短絡的な合理性から蓄積型に変わるのかもしれない。

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杉山ナッツ:http://www.sugiyamanuts.com/

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