EVENT REPORT

ダイアグラム思考――分類と系統の世界観 2/2 三中信宏――World IA Day 2017 Japan(Tokyo)

【スピーカー】三中信宏

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ダイアグラム思考――分類と系統の世界観 2/2 三中信宏――World IA Day 2017 Japan(Tokyo)

【スピーカー】三中信宏

2017年2月18日(土)、amu にて World IA Day 2017 Tokyoが開催されました。日本のローカルテーマとして、「あふれる情報に我々はどう向き合うべきか。いま、あらためて分類を問う」として、このフロー型の情報があふれる現在にどう向き合うのかが議論されました。系統学思考などの著書でも知られる三中信宏氏の基調講演「ダイアグラム思考 — 分類と系統の世界観」の後半をお届けします。
※このセミナーは2017年2月に行われたもののため、文中の数字やサービス構造等に関しては、最新ではない可能性がございます。

OVERVIEW

2017.02.18(土)

スピーカー:
三中信宏(国立研究開発法人農研機構・農業環境変動研究センター ユニット長/東京大学大学院農学生命科学研究科教授)

INDEX

  1. さまざまな系統樹
  2. 増え続ける情報の中でグラフに求められること
  3. 分類と系統の違いとは
  4. 分類についての東アジアの特徴
  5. 情報とアート、技

さまざまな系統樹

(この記事は1/2の続きです。)

5年ほど前に『系統樹曼荼羅―チェイン・ツリー・ネットワーク』(エヌ・ティ・ティ出版 2012)という本を出しました。過去を遡るとそれこそ1千年以上前から、われわれは分類や系統をいろんなダイアグラムをつかって可視化をしてきました。
一つ重要な点は、われわれが可視化のために使ってきたダイアグラムには色々な特徴があるということです。チェイン、ツリー、ネットワークがあります。slide22みてわかりますように、チェインは一本線で単純な構造、ツリーになると根元から分かれながら、分岐して多様度があがっていきます。さらにネットワークは、一旦別れた枝がもう一回くっつくということです。1745年、スイスの博物学者シャルル・ボネ(Charles Bonnet)は、自然界の万物は一本差でもって表せることをハシゴのような「自然物の階梯の観念 (ideé d ’une échelle des êtres naturels)」というグラフィックで表現しました。一番てっぺんが人間で、一番下が微細物質です。すべての存在は一直線上に並べられるという「存在の連鎖(chain of being)」といわれる、観念史の世界では非常に有名な概念に基づいています。一本のチェインでもって、多様性を表すというのはこのくらいの時代までありました。
ツリーによって多様性をあらわすということは、なにもダーウィン、ヘッケルの19世紀くらいからはじまったわけではありません。すくなくとも11世紀にはキリスト教の技術として、「エッサイの木(the tree of Jesse)」という旧約聖書の家系図をツリーのようにあらわした図がありました。12世紀には、フィオーレのヨアキム(Gioacchino da Fiore)が旧約聖書の家系図をツリーのようにあらわしたものや、14世紀には『デカメロン』の作者のボッカチオ(Giovanni Boccaccio)が、ギリシャ神話の神々の系譜を蔦がのびていく様子であらわしています。また、アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher)が書いたオカルト的な系統図もあります。左の方が時間の木で、右の方がなんというかもやもやとして妖しいですね。複雑な知識、体系をツリーによって表して、わかりやすくするということはこういう時代ではよくありました。
『街角のオジギビト』(筑摩書房 2007)は10年前くらいに書かれた本です。街の工事現場におじぎをした人の看板がありますね。発祥は1950年代に大成建設がつくったものですが、現在日本全国にいろんな種類があり、どの方向をみて、なにを持っているのか、行動的形質でもって体系化しています。
あるいは、「ポケットモンスターの系統分類学」ですね。それぞれのポケモンの行動的形質に基づいて進化学的なソフトウェアを使って推定されています。
ほかにも、1958年につくられたチキンラーメンの、「チキンラーメンの系統樹」があります。商品というのは淘汰圧がすごいですから、売れないとすぐになくなり、売れるやつはどんどんバリエーションが広がっていきます。でも、1971年にカップヌードルが出て、それまで必要だった鍋が不要になりました。カップのものがすごく売れて増えていきましたが、袋入りのものも残存しているということは商品的には非常におもしろいわけです。
さらに、デザインそのものも系統をもっていることを示した「JR九州車両デザイン系統樹」があります。

増え続ける情報の中でグラフに求められること

クリストファー・アレグザンダー(Christopher Alexander)の『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』(鹿島出版会 2013)という本で「パタン・ランゲージ」というワードが出ました。アレグザンダーは建築家ですが、思想的にも影響力をもった人です。階層的に分けられたパタンのツリーに対して、彼は、ツリーではないネットワーク、セミラチス(semi-lattice)を提唱しました。セミラチスは非階層で要素と要素の間にツリー的ではない、むしろネットワーク的なつながりがあるといいます。彼の説明を引用します。slide24「ツリー構造の単純さと比較したとき、セミラチス構造のもつ夥しい多様性こそこの構造の複雑さを如実に物語っている」(『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』p.223)

「人工の都市を組み立てているユニットはいずれもツリー構造となるようにつくられている」(『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』p.228)

「現実の都市はセミラチスであり、セミラチスとしなければならない 」(『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』p.229)

要するに、階層的なツリーと非階層的なセミラチスを対置させるのですね。ところが、早稲田の建築の先生である中谷礼二さんが『セヴェラルネス:事物連鎖と人間』(鹿島出版会 2005)という本の中で、ツリーとセミラチスはそんなに対立させなければならない概念なのかと述べています。

「その後のツリー/セミラチスをめぐる建築界の議論は、アレグザンダーの簡潔な説明とは反対に、必要以上に両者を対立モデルとして扱ってきた節がある。人間の計画はツリー的プロセスによらざるをえないのであれば、セミラチスな都市を計画することはきわめて困難となる。それゆえセミラチスは到達不能な単なる理想都市として批判されてもいるのた」(『セヴェラルネス:事物連鎖と人間』p.182)

私もツリーとセミラチスは相反しないと考えます。ツリー的であるもの、ネットワーク的であるものは複雑さが違うだけで、相反するものではない。今から5年位前にも、中谷さんは次のように書いていました。ある祖先から子孫への建築様式の系譜があった場合に、その所々で分かれてはまた繋がる、という形がでてくる。基本的には分岐していても場合によってはもう1回元に戻ってつながった結果、グラフィック上はネットワークになると。そう考えると、ツリー的な単純な階層的なものと、ネットワーク的な非階層なものは本質的には違いがないかもしれない。両方とも、あるグラフ理論的な概念だろうということを考えなければならない。
今ちょうど私が書いている本(『思考の体系学:分類と系統のダイアグラム論』春秋社,2017年4月刊行予定)の中の一つの図なのですが、われわれがダイアグラムをみたときにどういう風に体系化すればいいのかということは完全に離散数学などのデータのグラフ理論の話なんですね。そういう意味で言うと、グラフ理論うんぬんというのは過度に哲学的に考えるのではなくて、もっと数学的なロジックでとらえてよいのではないかと思います。
私が訳したマニュエル・リマ(Manuel Lima)の『THE BOOK OF TREES —系統樹大全:知の世界を可視化 するインフォグラフィクス』(2015年,ビー・エヌ・エヌ新社)は、樹、ツリーをキーワードにして、過去一千年にわたるさまざまな図を紹介しています。われわれが現在当たり前のように使っているツリーというダイアグラムですが、歴史上何度も、ある意味で再発明されて使われてきました。
その中でも特に重要なのは現在で、いまやわれわれは大量の情報を分類・体系化によって俯瞰しようとしています。しかし、情報の大量化というトレンドが加速し、20年前は数十種の生物の系統樹が、末端の指数がどんどん増えていき、いまでは30万種の生物系統樹が書かれています。しかし、なにが書いてあるのかわかりません。
可視化という目的は達成されていても、ちゃんと読めるのかというと、難しい。つまり、可視化と可読にはギャップがあります。だから、たしかに目にみえることは重要なんだけど、単にみえればいいわけではなく、読めるように可視化するということが実は重要ではないでしょうか。

分類と系統の違いとは

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今日のキーワードは分類と系統でしたが互いに全然違うものです。たとえば10個ほど対象があるとして、分類的な考え方では、その中の近いもの同士をグルーピングすることによってカテゴライズをします。
ところが同じ対象でも系統というと違うことを考えます。つまり、いまみえている黒丸の点はすべて、子孫である。すると、祖先をおきながらつなぐ系統樹をたてることができるだろうと考える。つまり、分類は似ているか似ていないかでカテゴライズするのだけど、系統は同じオブジェクトに対してダイアグラムを復元することによって、全部をつなごうとする。だから、つなげる=分類ということと、つなぐ=系統ということは同じ対象であったとしてもやっていることが違います。これが重要なんです。
さらにいいますと、似ているもの=近縁であれば楽ですが、場合によっては見てくれは似ていても遠縁であるということがありえます。
分類と系統、私たちはどちらを信じればよいのでしょうか。この本の中では分類をするということと、系統だてをするということの2つは整合的に話をすることができないかもしれないということ述べています。

分類についての東アジアの特徴

個物はその情報を記載しなければ、それに基づいての分類体系や原理をつくることができません。どういうオブジェクトがあって、どんな情報があるのかというローカルな知識体系をまとめあげることと、それらをどう体系化するのか、その原理はどうするのかということ、この2つの対置をしたとするならば、日本を含む東アジア文化圏の分類学者は前者のローカルな知識体系をまとめあげることは大好きなんです。どこにどういうものがあって、どういう風なコレクションがあるといったことが大好きです。ところが一般論はあまり口にしない。
日本を含む東アジア文化圏には分類に関してある文化的特徴があるのではないかといわれています。たとえば、西村三郎さんは『文明のなかの博物学:西欧と日本』(紀伊國屋書店 1999) の中で非常におもしろい指摘をしています。

「個々の事物に対する強い関心・好奇心とはうらはらに、事物全体を見通してそれを総括し、 ある理論なり体系なりをみずから構築しようとする意識の低さないし欠如」(『文明のなかの博物学:西欧と日本』1999, p.457)

一般論が嫌いというわけではなく、天から超越論的思弁として降ってくるというような類の一般論は好きなんです。たとえば江戸時代の三浦梅園だったら、陰陽思想に基づいて、アリストテレス的な分類をします。また、有名なものでは密教が背景となった南方熊楠の南方曼荼羅というのがあります。ほかにも、帝国大学の理学部の早田文蔵が「遺伝子ネットワーク」という図をつくりました。slide46彼は台湾総督府の依頼で台湾の植物を知らべてモノグラフを10巻書きました。植物ですから絵が書いてあるのは当然ですが、そこに突然高次元ネットワークが出てくるのです。彼の論文にこう書いてあります。「この比喩的な図は天台宗華厳経の寓意図 である〈インドラの網(Indra-nets)〉に ヒントを得たものである」(臺灣總督府民政部殖産局編『臺灣植物圖譜・臺灣植物誌料(第拾巻)』1921, p.84, 脚注, 引用文の訳は三中信宏) 。宗教的啓示に基づいてどういう風に動物を体系化すればいいのかと分類学を考えたのはすごいですよね。

情報とアート、技

私たちが多様な情報を考えるときに必要なことは、情報の伝達はある意味でアートだということです。アートとサイエンスはあるとき2つに分かれまして、サイエンス側はもっと実験や観察に基づいて客観的にやるのだという壁ができはじめました。にもかかわらず、染み出してくるものがあって、サイエンスだけではどうしようもなくてアート的なものを考えなければならなくて、そこで「技」という言葉が出てきます。つまり、科学で湧き出る様々な情報をどうやって可視化するのかということを考えると、それに対応する「技」をどういう風に決めていくのかということに至ります。「技」はおそらくサイエンスとアートのちょうど中間あたりに出てくるんではないかというのが私の考えです。

今日の話をまとめると、3つの点に集約できます。
1点目は、分類と体系というのは生き物としてのわれわれが元々持っている物事の考え方であるということです。2点目は、可視化ということです。私たちは歴史的に1千年前から、チェインネットワークというものをグラフィックツールとしていまだに使い続けています。おそらくわれわれにとってなじみのいいツールなんだと思います。3点目は、可視化に関するインフォグラフィックスの話では、体系化、可視化には非常にさまざまなものがあり、そういうものは常に私たちの目の前にあって、いつでも使えるようになっていなければならない。人間とは基本的に分類体系化のグローバルな認知特性を持っているのですが、東アジア文化圏の地域ごとのローカルな制約というのも考えなければならないと思います。ということで、今日は分類と系統といういろいろな分野にわたる可視化の問題、体系化の問題についてお話をさせていただきました。

(2017年2月18日@amu)

前半は1/2

こちらの講演は以下のサイトからスライドと動画をご覧いただけます。
Slideshare “World IA Day 2017 Tokyo Nobuhiro Minaka” 
Youtube 発表動画 ダイアグラム思考—分類と系統の世界観—:三中信宏氏

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