EVENT REPORT

ダイアグラム思考――分類と系統の世界観 1/2 三中信宏 ―― World IA Day 2017 Japan(Tokyo)

【スピーカー】三中信宏

EVENT REPORT

ダイアグラム思考――分類と系統の世界観 1/2 三中信宏 ―― World IA Day 2017 Japan(Tokyo)

【スピーカー】三中信宏

2017年2月18 日(土)、amu にて World IA Day 2017 Tokyo が開催されました。日本のローカルテーマとして、「あふれる情報に我々はどう向き合うべきか。いま、あらためて分類を問う」として、このフロー型の情報があふれる現在にどう向き合うのかが議論されました。レポート第1弾は、系統学思考などの著書でも知られる三中信宏氏の基調講演「ダイアグラム思考 — 分類と系統の世界観」の前半をお届けします。
※このセミナーは2017年2月に行われたもののため、文中の数字やサービス構造等に関しては、最新ではない可能性がございます。

OVERVIEW

2017.02.18(土)

スピーカー:
三中信宏(国立研究開発法人農研機構・農業環境変動研究センター ユニット長)

INDEX

  1. どんなものでも分類できる
  2. 分類を巡る2つの立場
  3. 系統について―「体系化」と「可視化」
  4. オブジェクトに違いはない

どんなものでも分類できる

三中:皆さんこんにちは。今日は、実は私のオモテの仕事ではなくウラの仕事について話そうと思います(笑)。オモテでは生物統計学をやっています。
本日のテーマの「分類」といったときに、まず問題になるのが、対象物を体系化するときに一体なにを意識すればいいのかということです。分類学の世界では、カール・フォン・リンネ(Carl von Linné)*1 以降自然な分類とは何かということが考えられてきました。われわれ人間にとって「自然な分類」はあると思います。ただそれは任意に自由に決められません。これは私たちが生き物だからです。まず、こういったことを中心にお話をしていきたいと思います。われわれが様々な分類をおこなうときにどんな風に自然界あるいは人間社会の物事を分類してきたのでしょうか。slide3いまお見せしているのは、18世紀のジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン(Georges-Louis Leclerc Comte de Buffon)という非常に有名な博物学者がさまざまな生物を分類した図版です。必ずしも、分類の対象は生物だけに限りません。ときどき変なものを分類している人がいます。たとえば私の大学院時代からの知り合いの昆虫分類学者は醤油鯛を分類し、タイプ標本として保管しています。おそらく若い方だといまはビニール袋になってしまっているので、弁当に醤油の入った鯛型のボトルをご存知ない方が多いかもしれません。いまの世の中、「役に立つ」か「立たない」かがものすごく問われますが、醤油鯛の分類なんて全然役に立ちませんね。でも分ければ分けるほどいろいろなタイプがいます。オブジェクト(対象物)をきっちり調べようと思えば、口のところのネジの切り方やヒレの形状、鱗の形など、調べられるんです。ほかにも、全国津々浦々に駅弁があって、その分だけ醤油鯛もたくさんいます。ちゃんと変異があって、検索表もあるんですよ。醤油鯛の分類からすごいなと思うのは、われわれは分けようと思えばどんなものでも分けることができるということです。
もう1つは、スーパーやコンビニで買える食パンなどについてるクリップです。私は勝手にパン袋クリップと呼んでいますが、正式には「バッグ・クロージャー(bag closure)」という製品名で呼ばれています。実はこのパン袋クリップには “ Occulpanid ” というラテン語の名前があって国際学会まであるんです。ホームページもあって、英語の査読論文もあります。これも全然役に立たないのですが、調べようと思えばちゃんと調べることができる。世界的には、形の変異がとても大きいんですね。日本では埼玉県にただ一つしかメーカーがないので、そんなに多様性はありません。アメリカがパテントをもっていたと思います。そういう意味で言うと、全世界的に分布しています。すごいのは、ちゃんとパーツの形状に名前が付いているんですね。生物の場合の解剖とまったく一緒です。この2つの例から、私たちは、全然役に立たないにもかかわらず、つい分けたくなって分けてしまって名前をつけ、分類し、検索表をつくり、系統樹が描けてしまうということがわかります。

———————–
*1 カール・フォン・リンネ(Carl von Linné )
1700年代に活躍したスウェーデンの博物学者、生物学者、植物学者。植物相と動物相を識別・記録する方法を発展させ、その分類体系に基づき約7,700種の植物と4,400種の動物を命名した。「分類学の父」と呼ばれている。
———————–

分類を巡る2つの立場

2_IMG_0882

問題なのは、こうやってわれわれ人間は、分類する側として一段上から見下ろして、自然界、人間社会などのさまざまなオブジェクトを分けようとしていることです。ただわれわれは神様ではありませんので、中立的に分類することができるかといえば NO です。分類にはそれぞれ特徴があり、それがどんなものかということは考えておく必要があります。生身の人間のわれわれは、自然界あるいは人間社会を見るときにある特定の視点で分けようとします。これが重要なテーマです。
分類の特徴や視点には、対極的な2つの立場があります。1つは、3年前に出た『実在論と知識の自然化:自然種の一般理論とその応用』勁草書房 2013)が示す立場です。これは人間がどのように分類をしているのかを徹底的に論じた本なんです。この著者の立場は非常に明確で、人間が分類をするのは、自然の中に客観性が存在しているからだということです。

「われわれが世界を一定の秩序において捉えることができるのは、世界そのものがおおむねまさしくそのような構造を有しているからにほかならない。いいかえれば、実在の側のあり方と、それについてわれわれが現にもちうる認識側のあり方とは、ほとんど合致するのである」(『実在論と知識の自然化:自然種の一般理論とその応用』p.4)

この方の立場は、人間が分類をするのは分類される構造がちゃんとそこに実在するからだといういわゆる実在論的立場ですね。

「もちろん部分的には、最初にわれわれがもっていた素朴な認識を大幅に改訂しなければならなくなる局面も生じうる。しかしその場合でも、認識が実在のあり方に合致する領域は改訂を通じて増大していく」(『実在論と知識の自然化:自然種の一般理論とその応用』 p.4)

「分けるのは分けられるべきものがそこにあるから」というすごくわかりやすい実在論です。しかし、本当にそうなのかという疑問があります。
先ほども言ったように、われわれは生身の生き物ですから、自然界をみるときのものの見方は人間が日々進化してきた過程で淘汰されているんです。そういったことを考えると、それほど中立的、ニュートラルにものをみていないのではないでしょうか。これは文化人類学では民族分類という分野で半世紀以上の蓄積があります。
ブレント・バーリン(Brent Berlin)は民族分類学が専門の文化人類学者です。彼は、世界の様々な部族は自分の生きている身の回りの動植物を分類していて、そこに共通した3つの特徴があることに気づきました。1つ目は「すべてのものは、ネットワーク分類はありえず、階層的な分類をする」。2つ目は「階層が深くなりすぎると見つけにくいので、階層を浅く」、3つ目は「分けた各カテゴリーはできるだけ同じ大きさにする」。
「自然な分類」があるとしたならば、おそらくこのあたりが落とし所になると思います。この3つのような、分類する際の「通文化的特徴」と呼べるものから外れれば外れるほど、自然ではない分類といえるのではないでしょうか。
以上のように分類するものとされるものという関係のとらえ方には2つの立場があります。先ほどの植原さんのように、自然界や人間社会にある秩序をわれわれはみつけるのだという考え方と、分類するわれわれの頭の中にある先入観や観念を自然界に押しつけているんだという考え方です。一体どちらなんだろうかという問題は常に出てきます。私は、おそらくこの両極端の考えの真ん中あたりに落とすべきところがあるのではないかという気がして仕方がないです。

系統について―「体系化」と「可視化」

さて、「分類」が、多様なオブジェクトを分けるという非常に重要なポイントであるとすれば、もう1つのキーワード、「系統」があります。系統という言葉から、皆さんいろんなものを念頭におかれると思います。たとえばわれわれ生物だったら、系統といえば祖先から子孫にわかれての系統発生をしているといえます。ところが、たいていの場合祖先は絶滅していて、その子孫がわれわれの目の前に、動いている生き物としてあります。私たちが系統という言葉に暗黙のうちに考えているのは、いま私たちが目の前にみている子孫に関する情報です。たとえば、生物であるならば骨の形、ヒレの形など形態的な特徴もあります。
では、どうすれば現在のDNAの遺伝子情報などから過去にさかのぼって、昔いたはずの祖先を復元することができるのかという問題があります。たとえばチャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin)は『種の起源』(1859)で分岐的なダイアグラムを用いました。一番下の根元の祖先から、一番てっぺんのところまで分岐していくものです。
ダーウィンは、絵が下手でしたが、同時代のドイツにはエルンスト・ヘッケル(Ernst Haeckel)という、絵の上手い生物学者がいました。画家になるか生物学者になるかで生物学者になった人なので、デザイン的にも有名な絵を残しています。最近は建築など生物以外の分野で影響を与えています。彼は自然の生物の多様性に着目し、海産無脊椎動物、放散虫類という、非常に小さな単細胞の生物をたくさん描きました。さらにそれだけでなく、生物の進化、系統発生を樹木として描いた絵をたくさん残しています。
たとえば、人間の進化に関して、中近東で人間が発生して、どういう風に世界中に広がっていったのかを可視化した図があります。
slide19
この図では世界地図の上に、系統発生を枝葉が広がるように描いています。時間的、空間的な広がりまでみせるようにしている。時間的・空間的経過ともに、現在にいたるまでの生物がきわめて多様であるということを可視化することは非常に重要なことです。生物分類学、あるいは系統学をひっくるめて、生物体系学という言い方をしますが、この体系化が可視化とひっくるめて非常に重要なことになっています。ヘッケルは、『自然の芸術的形態』(1899-1904)で、自然界の動植物はいろんな形をしているが、全部を統括するような生命の樹のどこかに位置しているのだということを示そうとしました。

———————–
*2 エルンスト・ヘッケル(Ernst Haeckel)
1834年生まれ、ドイツの生物学者・哲学者。ドイツでダーウィンの進化論を広めた。『生物の驚異的な形』など美しい生物図解を描き、現在でも高く評価されている。新種の発見、命名者としても知られている。その数は3,000種を越えるといわれる。
———————–

オブジェクトに違いはない

多様なものをいかに可視化するかという問題は生物学では非常に重要なことになってきたわけです。でもそれは生物学に限りません。たとえば、考古学の例を出しましょう。
バシュフォード・ディーン(Bashford Dean)はアメリカの自然史博物館の魚類の分類学のキュレーターで、同時にメトロポリタン美術館の考古学部門を立ち上げた人です。生物の分類学者であり、考古学者でもあった。彼の考古学的関心は人間の武具・武器の時代的な変遷です。たとえば、西洋の戦争で使われた鎧が時間・時代的にどのように全形がかわっていったのかを描きました。全体だけではなく、胸当てや剣の部分を取り上げて、何年頃にはどういう形状のものがあってという部分の系統樹もあります。それはちょうど生物の場合の足の形態がどうだ、ヒゲの形態がどうだとまったく同じことで、部分の系統樹を描けます。つまり全体だけ考えずに、もっと個別な、それぞれの鏃の形態と特徴がわかったのならば、それにもとづいて近さ遠さを系統樹であらわすことができるということです。
系統樹だけをみせられれば、やっていることは生物学だろうと、考古学であろうと変わりません。オブジェクトが違うだけです。私たちは分類とか系統を考えるときに、オブジェクトの違いではなくて共通の方法論があると考える必要があります。
言語の分野でも、言語進化というものがあります。たとえば、オーストロネシアという日本の南側の島々の言語の系統を論じた論文があります。基本語に対してどういう読み方をするのか、どういう風に音韻が違うのかということを調べて言語の系統をつくりました。さらに、島ごとの政治体制の変遷を言語系統樹の上にのせて、言語の発展の経緯から、島々のコミュニティの特徴を復元するということをしました。文化的・政治的な特徴を系統的に考えたわけです。

3_IMG_0922

考古学的なものを生物学的なものと同列に扱うことへの批判もあります。しかし、オブジェクトの違いよりもむしろ重要なのは、時代的・空間的な移り変わりを同じような仕方で辿ることができるということです。方法論的・理論的な共通性の方がはるかに重要です。思わぬところで同じような方法が使われている事例は多々ありますが、ミトコンドリアの塩基配列と『カンタベリー物語』(1387-95)がまさにそれで、同じ方法で時間的・空間的な移り変わりを辿ることができます。
まず、霊長類のミトコンドリア DNA の配列の表では、塩基配列が何千とズラーッと並んでいます。種間でどのくらい違いがあるのかは AGCT の4つの塩基配列で比較すれば近縁遠縁の系統樹を書くことができます。こういった系統的な考え方は、分子進化的な研究分野に限らず、文学という全然違う分野でも起きています。
そして、『カンタベリー物語』という非常に有名なイギリスの中世の物語がありますが、このころはまだ印刷技術が進んでいませんので、すべて手書きで写本がつくられていました。そうすると、思わぬところで綴りの間違いや脱字、重複なども起こります。4つの写本間で、固有名詞の綴り方、あるいは前置詞の訳し方、代名詞、his も i だったり y だったり違いがあります。先ほどの塩基配列と同じです。時間的に塩基が置き換わるのと同じように写本でも写されている過程で文字が置き換わる。一方では、分子進化学、もう一方では写本の系図学という全然違う話なのですが、にもかかわらず私たちはまったく同じ方法論で系統推定ができます。要するに、AGCT 四文字ではなくアルファベット26文字に置き換えて同じ方法論を使った。もともとの分野は全然関係がないにもかかわらず、現在の情報から過去を復元するという点に関しては、まったく同一の方法論が使えるわけですね。だからオブジェクトの違いは実は大したことがなくて、何をやりたいのということを考えれば、こんなところまで話を進めることができます。
そういう類でおもしろい例があります。「棒の手紙」です。かつて日本で「不幸の手紙」という、ある人から届いた不幸の手紙を手書きの同じ文面で何十人かに出さないと不幸が訪れますよという社会病理がありました。そこにこんな手紙をみつけました。
「28人の棒をお返しします。あなたのところで止めると、必ず棒が訪れます」
「棒」は「不幸」のことなんですね。不と幸がくっついて、棒になってしまった。これの重要な点は、原文と同じものを書かないと棒がくるんです。怖いですね。書いてる方はきっとおかしい、おかしいと思っているにもかかわらず、棒と書かなくてはいけない。ある字の下手な人が、棒と書いたら、それが子々孫々つながっていく。これを棒の手紙の系譜といいます。ここではどこの誰が棒と書いたのか突き止めています。
生物学とも考古学とも言語とも関係がない、こんな例は考え出すときりがないんです。

(2017年2月18日@amu)

続きは2/2

<こちらの講演は以下のサイトからスライドと動画をご覧いただけます>
Slideshare “World IA Day 2017 Tokyo Nobuhiro Minaka” 
Youtube 発表動画 ダイアグラム思考—分類と系統の世界観—:三中信宏氏 

 

amu

未来を編む

「デザイン 」「学び 」 関連の記事を
もっと読む