EVENT REPORT

読みたいのに未だ読んでいない本について堀潤さんが思っている2、3のこと in 恵比寿文化祭2016 2/2

【ゲスト】堀潤

【聞き手】千々和淳

EVENT REPORT

読みたいのに未だ読んでいない本について堀潤さんが思っている2、3のこと in 恵比寿文化祭2016 2/2

【ゲスト】堀潤

【聞き手】千々和淳

読みたいと思ったまま、ずっと放置している本はありませんか? 読みたいのに未だ読んでいない本について考えたとき、気づいていなかった自分の思いに出会えるかもしれません。後半は、インターネット時代の大衆操作へと話が深まっていきました。

OVERVIEW

2016.10.09(日)

ゲスト:
堀潤(ジャーナリスト)
聞き手:
千々和淳(amuコンテンツディレクター)

世論を操作する手法の昔と今

(この記事は1/2のつづきです)

堀:テレビや新聞といったメディアがメインストリームの時代は、情報を押さえ込んだり、メディアを使って特定の情報のみを発信したりするのはものすごく大変だったと思うんです。テレビ局を傘下に収めたり、新聞に特定のことを書かせるとか、新聞が書こうと思っていることを止めさせたりするはものすごいリスクがあることで、何故ならだれがそうしたのかたどれば容易にわかってしまうからです。あっという間に政治スキャンダルになってしまう。ところがネットは、どこでだれがどういう発信でその内容を世の中に出しているのか中々みえにくいので、非常にプロパガンダをしやすいんです。だから、僕はあの時代よりも今のほうがよっぽど大衆を操作しやすいと思う。

千々和:シラーが亡くなったのは2000年でした。シラーがもしも生きていたら、更に周囲の情報に動かされやすいという状況が加速しているといったんじゃないかなと思います。今は、特定のだれかがだれかを操作するという単純な話ではなく、たとえば2ちゃんねるの書き込みや炎上のようになにかの「うねり」のようなものができてしまって、ある方向に向かってしまう。それであの人は悪い人だというレッテルが貼られると、なにをやろうが悪意のあることなんだと思われてしまう。だれかにとってメリットになるとか、特定の権力者がいるわけではない状況も生まれています。

堀:いま、炎上の話があって、すごく大事なポイントだなと思いました。人の心の操作には段階があるんです。まず、一対一の印象操作は容易にできます。相手にあたかもそうであるかのように伝え続けることで、まあそうなのかなと思わせることは比較的やりやすい。で、次に3人いるとどうなるか。3人グループを操作していこうとすると、今度は互いに情報を検証し合うようなステップをいかに押さえ込むかということがポイントになってくる。グループが「ある目的意識」をもつように情報を操作していくんです。では、大衆に向けての操作というのはどのような方法があるのか。まさにナチスは非常に巧みだった。彼らのプロパガンダの手法は、そのまま NHK に移植されました。当時の日本放送文化研究所が、ナチ政権がメディアを使ってどのような大衆操作をやっているのか研究しレポートにまとめ国に上げていきました。ナチスドイツは同盟国でもありますから絶えず新しいプロパガンダ手法が輸入されていました。当時の放送は完全に国の施策ですから、放送が国家の宣伝戦略機関として任務を遂行することに繋がったわけです。
ナチスは、地方のラジオ放送局を段階的に手中に収めていった。まず人事に介入して、放送局の局長をクビにして、宣伝担当大臣のヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)の息のかかった局長を配置していく。そして次に、番組の編集権を取り上げて放送する番組はすべてベルリンで制作した。こうやってじわじわ段階を経てやっていくんです。日本もすべてそれに倣っていきました。ベルリン制作のプロパガンダ映画や放送発信の内容をみて、怖いなと思ったのは、勇ましい扇動的な言葉じゃなくて、当時まだ珍しかった空撮で撮られた、ドイツのすごく豊かな古い町並みを音楽に乗せた映像なんです。これをみた人は、「ああ俺たちのドイツがつくってきた文化は誇らしいな、美しいこの景色を私たちの手で守らなくてはいけないな」と思ったのでしょうね。こんな風にナチスはまず、自分たちのアイデンティティはこれだよなという方向に話を展開していくんです。それがまさか最終的に「ドイツ国民こそ優秀な民族で、そのほかの民族、特にユダヤ人についてはうんぬん」という文脈に行き着くなんてプロパガンダ初期はだれも気づかない。そういうことを考えていくと、自分が放送業界にいるからかもしれないけれども、今でもプロパガンダの手法は結構みんなが気がつかないような随所にいかされていると思う。過剰なストーリー展開だったり、音楽の効果だったり、テロップを含む視覚の効果だったりです。僕はそういったしかけを多くの人が知っておく必要があるんじゃないかなと思います。それがわかって、じゃあインターネット社会における宣伝操作はどういうものなのかということを考えられるのだと思う。

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情報の消費がインフラを形成する

千々和:テレビに関しては今堀さんがおっしゃった通りだと思いますが、インターネットだと実は同じワードを検索しても一人ひとり検索結果が違うというのはみなさんご存知でしょうか。ほかにも Facebook で、僕と堀さんが同じ5つの団体や人を「いいね!」していたとしても、僕と堀さんとは違う情報がタイムラインに流れてきます。何故かといえば、今まで堀さんと僕がみていたコンテンツの履歴が異なるので、それに最適化された情報だけがフィルタリングされてタイムラインに表示されるんです。自分の知っている情報に近しい情報や、既に知っている情報を補強するような情報が出やすい状況です。たとえばオバマ大統領は実は親イスラムなんだという情報が一番上に出てくると、「ああやっぱり俺が思ってた通りだ」と思う人もいるでしょう。でも、それはその人が以前にそういう記事をみていたからなんです。別の人がみたら同じ検索ワードを入れていても一番上に出てくる情報は変わってくる。Google Facebook が、そういったアルゴリズムを持っていて、個人にパーソナライズするというところで情報が操作されているんです。それに本人が気づいていないのがすごく深刻な問題じゃないかとここ最近いわれています。

堀:みなさん、Google Gmail を使われている方がほとんどだと思うのですが、あれがタダなのは、私たちが打ち込んでる文言一つひとつがさまざまなものに活用されているからなんです。無償である代わりに、自分の情報を提供しているんですよね。最近、Google フォトといってサーバーに撮った写真を自動的に保存してくれるサービスが無料で提供されています。なんのために Google がみなさんの写真を預かるかといえば、人工知能の訓練のためなんです。みなさんが写真をあげていくと、人工知能が画像や動画を読み取って、さまざまなバリエーションの背景や人物を認識して、どんどんどんどん賢くなっていくんです。Google はそのためにサービスをタダで提供するから、情報をくださいといっている。
最近話題になったアメリカの機密情報を WikiLeaks に公開した亡命中のエドワード・スノーデン(Edward Snowden)はアメリカの情報局の中で、Gmail 上でやり取りされているような内容に関しても、「あ、彼はこんな写真を送ってるよ」といって全部共有してみていたということを証言しています。僕らの知らないところで僕らの情報は解析されて、それが次のインフラにいかされていっている。その辺に対しての警戒感は、持っておく必要があるんじゃないかなと思います。だからシラーが指摘した、個人の意思や判断にかかわらず情報が消費されることによってインフラが形成され広がっていくということは、非常に怖いことなんじゃないかと思います。

インターネット時代のジャーナリズムはアクションへ

千々和:この本は1979年の本ですが今の時代にとても有用というか、必要な観点を提供してくれるんじゃないかと思います。先ほどのインターネットの問題点をふまえて、堀さんにうかがいたいのは、ジャーナリズムという分野で最前線でつくられている記事が、 Google のアルゴリズムによって届く、届かないコンテンツが選別されてしまっているような状況がある。一生懸命記事をつくってみんなに伝えようとしても、 Google Facebook などのプラットフォーム側がそれを扱わなければ、インターネット上では結局届かない。テレビや新聞とは違った問題があります。一部のプラットフォーム側のアルゴリズムによって支配されているインターネット上でのジャーナリズムの可能性についてどう考えますか。

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堀:むずかしい質問だと思います。でもやっぱりインターネットはテレビや新聞に比べると、一人の取材者が世の中に「これを聞いてくれー!」と出すハードルは非常に低いんです。既存のマスメディアは、スタンプラリーみたいに、この人はいっていいよといった、次の人もいっていいよ、で、最終的にこの人の決済が得られたから出る、という構図です。特に番組は、いろんな人たちのチェックを通って出てくるので、制約を受けやすい。インターネットは個人がストンとポストすれば出せる。ところが今解説していただいたように、インターネットは自由なようでいて、最終的にはインターネット事業者側がこれとこれとこれは出せないと決めたものは絶対世の中に出せないようになっている。それに対して僕らはまだそういった局面に日常生活で直面している自覚がないので、危機を感じていない。
僕はこの問題に対して、ジャーナリズムという言葉が、ある特定の職業の人たちのものではないんだということを、みんなで共有するしかないんじゃないかなと思っているんです。今はだれでも発信できる時代です。だから特定の人たちが「こうなんです」といったものがブロックされたとしても、今までは受け手とされていたみなさんの方からもどんどん「いやこれはそうなんだ、これは違うんだ」というのがあがってくることによって、対抗ができると思うんです。もう一つ、音楽の聞き方も大分変わったと思います。今、CD が中々売れない時代で、YouTube に溢れたものを無料で聴く人が多い。では、どこで回収していくかといえばライブやフェスだったりする。実際に人々を動員していくような場をつくることが、最終的にリアルで音楽を聞いてもらうビジネスモデルを成立させる大きな要因になっていて、みなさんも結構それを求めてる。ただ情報を自分だけで受け取るだけじゃなくて、共有したい。「ニュース」もそういうふうに変えていかなきゃいけないと思う。「みなさんこうなんですけど、もっと喋る機会が必要ですよね」といってディスカッションができる場をつくるのがこれからの鍵だと思う。先ほど話した「私が思っていることは、私が判断をして選択したことじゃないかもしれない」という気づきはだれかと情報を共有・交換することでしか得られないと思うんです。「それ、私が聞いていたのとちょっと違う」、「俺がみていたものとちょっと違う、どうなってるの?」という各コミュニティごとの非常に小さなコミュニケーションの和みたいなものをどんどんつくっていくメディア発信が必要なのかなと思います。今はその段階的なところにいて、クラウドファンディングやチェンジ・ドット・オーグのような電子署名がでてきている。「ニュース」と次の「アクション」がセットになってきているんです。たとえばシリアに難民がたくさんいて、支援している NGO がいるというニュースが流れる。で、そのニュースの後に今資金を集めているので、クラウドファンディングにアクセスしてみてくださいというテロップが出る。みた人はそこをクリックして、彼らに資金を送る。今ここまで来ているんですよね。ここから次のステージとしては、メディアの発信がもうすこし実際にみんなが体験できるような、集まれるような場をつくる方にシフトしていくことなんじゃないか。「ニュース」と「アクション」がセットになってくると、ようやく情報の中で個人を取り戻すということになる。
先ほど言ったように、グーテンベルクからはじまったメディア発信は個人レベルまで降りてきた。でも個人が手にしたと思った矢先に、その発信の力がもっと大きなものに回収されていきそうな、得体のしれない情報発信源にどんどん吸い上げられていっているような気がする。だからもう一回仕切り直したほうがいいなと思います。

「個」の発信で世の中は変わる

千々和:今までの新聞やテレビというマスメディアで考えてしまうと、発信者と受け手というふうに考えてしまうんですが、インターネットの場合は、受け手でもあるが発信者にもなり得る。それを最大限いかして、自分がどういう情報を受けているのかということを発信する、自分を意識化、言語化することによって相対化できるのではないかなと思います。

堀:僕らはどうしても「いいね!」とかリツイートの数によって自分の輪郭を確かめたくなってしまう欲求がありませんか? ついつい嬉しい。それはまあ否定されるものではないけれど、外からの評価でしかいいのか悪いのかというのが判断ができなくなったりもする。それは、世論操作・大衆操作をしてみたい側からしたら、「いいね!」を形づくるようなしかけをいろいろつくることによって、その人に「本当はそう思ってなかったけどそれでよかったんだ」と思わせることができちゃうわけです。だから、僕はいつかこの本を読んで、ネット社会と照らし合わせながら、世論や大衆を操作する基本のしかけはいったい何なのか考えたいと思います。
どうしても、今、個人の幸せよりも社会の幸せを意識してしまう場面が増えてきたような気がするんです。

千々和:たとえばどういうところですか?

堀:たとえば、SNS で炎上をしかけられやすい空気があるということです。本当は個人がどんなことをやろうと、個人の責任で、悪いことをやったらダメで終わりでいい、いいことも自由にやればいいと思うんです。でも個人がなにかをやったものに対して、社会正義みたいな風潮で、その人をどんどん追い込んでいくような、そういった空気がとってもいやだなと思う。「お前それ人としてダメだろ、社会ではダメなんだよ」というふうにいいますね。本当は個人としていいのか悪いのかの問題で、僕はやらない、私は違うって留まればいいんだけど、どうしてもうちのコミュニティではダメだからというレッテルを貼りやすいなと思う。そういうことは、あっという間に全体主義に合流していくんじゃないかなという危機感があります。

千々和:そうですね。 SNS の社会は監視社会だとよく言われます。この前 NHK Eテレで偶然みたのですが、キラキラ女子とかキラキラ OL といわれる、実際はウソであるのにしょっちゅう海外に行っているような、セレブリティのような生活をしている写真を Instagram にあげる人がいる。彼女に話を聞くと、その内容が正しいかどうかや意味があるかなどは一番調べやすいネット上にもかかわらず、インターネットでは「いったことの正しさ」よりも、「だれがいったか」の方が重要なんだそうです。そして、自分がいうことは正しいというポジションを常に取るには、 身分に箔をつけ、Instagram などでそういう写真を上げることだと言っていました。

堀:だれがどういう情報を発信しているのかということは、情報の受け手としては、非常に大事なんです。たとえば YouTube は今規制させられる側、潰される側にまわりがちなんですね。何故かといえば既存の大手映像会社さんは、YouTube によって自分たちの影響力が相対的に落ち込んでしまうと考えるからです。だから、ああやって自由にそれぞれが発信していくことを規制したがっているんです。アメリカでは Google をはじめインターネット事業者が署名運動までして、自分たちの映像発信の媒体を規制しないでくれということをやってきたわけです。でも、僕らは、巨大資本の映像会社の発信に対しては無防備というか、あの人たちがいっているんだから間違いないだろ、みたいなところがある。もうちょっと変わっていきたいなと思います。

千々和:そうですね。

堀:第二次世界大戦で、対ナチスドイツ戦のアメリカのプロパガンダとして活躍したのは、ディズニーです。ドナルドダックを登場させてナチランドという町で過酷な労働をさせて、ヒトラーは非常におかしな男なんだということを印象づける風刺アニメをつくりました。そういう構図は変わらないまま来てるんじゃないかということも含めて、僕らはやっぱり警戒しなくちゃいけない。本当に注意深い情報の見方をしなくちゃいけないんじゃないかなと強く思います。

千々和:そうですね。そろそろお時間になってしまったんですが、シラーの『世論操作』という本、絶版になってしまっていますがみなさんもぜひ、運よく手にとることがあったら、読んでいただければなと思います。今日は、情報の影響力、メディアごとの影響力といった話を聞けました。堀さん、COMMON EBISU で今日のことに関連したような講座をやってらっしゃるんですね。

堀:毎月一回、COMMON EBISU というパブリックスペースで、「伝える人になろう講座」というのを無料でやっています。だいたい50人くらいの方が集まって、先ほどいったような映像の発信スキルの話やメディアリテラシーの話、みんなで実際に撮影をしてみようとか。あとはメディア関係者をゲスト講師として呼んで、話をしています。恵比寿新聞の編集長の高橋さんとモデレーター役でやってますんで、ぜひ参加していただければなと思います。お願いします。
そんな活動もやっていて、何故今日もそういう話を選んだかというと、世の中を良くするのも悪くするのもメディアじゃないんです。その情報を受け取った側の一人ひとりの個人だと思うんです。なんでもかんでもメディアが悪い、政治が悪い、といっていても世の中は変わらない。「僕やってみようかな」とか「じゃあ私がこうしてみたい」という、一人ひとりのアクションが、連鎖することではじめて世の中はいい方向にも悪い方向にも変わると思う。いずれにしても、個の力ってすごく大事だと思う。なので、ぜひそういう仲間が増えればいいなと思っています。

千々和:ぜひ皆さんご参加ください。Facebook で恵比寿新聞さんや COMMON EBISU をフォローしてもらえればと思います。

堀:最後に一冊だけ本を紹介してもいいですか。『戦争と平和:〈報道写真〉が伝えたかった日本』(平凡社)という本がものすごくおもしろいんです。

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千々和:これは堀さんの本ではないんですか。

堀:僕の本じゃないんです。いつの時代の話をしてるかといえば、1940年前後の戦前の話なんです。1940年は、幻の東京オリンピックの年です。
東京オリンピックの誘致には成功していたけれど、その数年前に日本が国際連盟を脱退したので、オリンピックはたち消えたんです。日本は国連を脱退してから、1940年を迎える間に、なにをやっていたかというと、とにかく日本の印象をよくしたいということで、当時生まれたばかりの報道写真家たちを動員した。今でいうクールジャパン政策をやって、アジア・欧米に向けて日本のよさ、素晴らしさを写真やポスターにして、展示会が開かれました。この写真11枚が、デザイン性に富んでいてすっごくかっこいいんです。当時報道写真家たちが、国の幸せがあってこそ国民の幸せがあるということを、さっきいったような全体の幸せが個人の幸せなんだということを信じて疑わなかった。彼らは日本の宣伝のために、今こそ我々の力が必要だといって戦時体制に協力していった。その結果があの戦争ですから、僕は報道写真も怖いもんだなと思いましたね。さっきの本と合わせて手に取る意味があるんじゃないかなと思います。

千々和:というところで、本日はありがとうございました。

(2016年10月9日@恵比寿文化祭)

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