EVENT REPORT

若林恵とドミニク・チェン、読んでいない本について語る 2/3

【ゲスト】若林恵、ドミニク・チェン

【聞き手】千々和淳

EVENT REPORT

若林恵とドミニク・チェン、読んでいない本について語る 2/3

【ゲスト】若林恵、ドミニク・チェン

【聞き手】千々和淳

2016年7月に開催した「恵比寿 BOOK CAMP」。期間中のイベントとして、『WIRED』日本版編集長の若林恵さんと、起業家・情報学研究者として活躍されているドミニク・チェンさんをお招きし、読みたいけれどまだ読んでいない本への期待や読みたい理由を語るーーという、「未ブリオバトル」を行いました。当日の様子を、3回に分けてお送りします。
※このイベントは2016年7月に行われたものです。

OVERVIEW

2016.07.29(金)

ゲスト:
若林恵(『WIRED』日本版 編集長)、ドミニク・チェン(株式会社ディヴィデュアル共同創業取締役)
聞き手:
千々和淳(amuコンテンツディレクター)

INDEX

  1. 歴史はコネでできている 村松貞次郎『日本建築家山脈』
  2. 物ごとを経緯の結果としてとらえる立場
  3. 悪と抑圧されるものの眼差し ジャン・ジュネ『恋する虜―パレスチナへの旅』
  4. 恐怖の対象ではなく、つながりでみる ミシェル・ウェルベック『服従』

歴史はコネでできている 村松貞次郎『日本建築家山脈』

(この記事は1/3のつづきです)

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若林:俺が次に挙げる本は、これまでの話とつながっているのかもしれないけど、『日本建築家山脈』。村松貞次郎という東大の建築史家のえらい先生が書いた本です。この人は藤森照信の師匠筋にあたる人です。聞いた話だと、要は日本の建築史を完全に人脈図で読み解いている本だそうで、なにがおもしろいんだというと、これまでの建築史というのは、基本的にはスタイルと様式の変遷とされてきた。でも、この本では、結局建築史は全部人脈でつながってきたという話をしているんじゃないかと想像している。そうすると、「歴史とはある種の人のコネでできている」みたいな話になるかもしれない。それは、ダサい話なんだけど実際は真理かもしれなくて、少なくとも日本の建築という話でいうと、おそらく師匠弟子の関係でほぼほぼ語れてしまうようなことがある気はする。
要するに、丹下健三*1 に至るラインを語れてしまうんじゃないか。読んでないから知らないけれど、おそらく丹下の旧帝大の学生時代の知り合いが官僚になって丹下に発注したわけじゃないですか。だから俺の勘だと日本の建築史は東大の工学部がつくったという本のはずで、それはある種の真実じゃないかと。で、その流れは磯崎新さん、青木淳さんとつながっている。わずか5世代くらいの話じゃない。それでほぼ日本の近代以降の建築史が、俯瞰できちゃうのはすげぇ話だなと思うわけ。スタイルという観点では、だれかがどこかからなにかのスタイルの影響を受けたけど、結局それを教わった人はそれをそのまま受け入れたということできていたりしているので、そこにある種の取捨選択があるわけではなくて……

ドミニク:経路依存性みたいな。

若林:そうそう。「人脈」は、ある種の歴史をみるときに必要な視点かもしれないという気はします。話は変わるけど、俺は『WIRED』で原発について記事をつくったことがあるんだけど、まったく読まれなかった。わざわざテネシー州まで行って、原発がそもそもどうやって生まれたのかということを調べたんだよ。テネシーの国立研究所は広島に落とされたウランをつくって、ノーベル賞を取ったような化学や物理学の人たちが世界ではじめて原子炉をつくったところでもある。で、俺が記事をつくって知ったのは、そこの研究所ではものすごくいろんな種類の原発がトライアウトされ、議論されてきたけれど、商用原発がはじめてつくられるときには増殖炉などではなく、なぜか安全性という観点で優れているわけではない軽水炉が採用された。その経緯としては、核物理学者のアルビン・ワインバーグ(Alvin M. Weinberg)が原子力潜水艦のために一番ふさわしい原発として軽水炉を提案したのがきっかけで、ハイマン・ジョージ・リッコーヴァー大佐(Hyman George Rickover)が世界初の原子力潜水艦ノーチラス号に採用した。その後ノーチラス号の実績ができてしまって、くわえてリッコーヴァーが、性格が悪くて声のでかいやつだったから海軍が原発開発に影響力を持つようになり、商用原発でもそのまま軽水炉が転用された。軽水炉は原子力潜水艦に適した形であるというだけで、安全性という観点では適していない。科学者ははじめから商用原発で軽水炉はまったくふさわしくないと指摘していたのに、それが通ってしまった。俺は改めて、歴史は一番いいものが選ばれるわけじゃないし、どっちかというと恣意性、人的な……

ドミニク:コネですね。

若林:そう、コネがつくっていくんだと思った。だから系譜図は意外と重要だよね。

ドミニク: 実際いまも、社会のいたるところにそういう側面はありますね。僕も「よく知らないけどドミニクこういうの得意ならつくってよ」とか言われる。結構いい加減に物事って決まってしまうんだなあ、と(笑)

若林:そうそう。それが上位レイヤーにいけばいくほど大きいことかもしれない。だからちゃんと知るのは意味があるのかなと思う。俺の知り合いが万博とオリンピックという本を書いていて、それは、鈴木俊一という都知事がもともと総務省の官僚で、丹下と一緒に東京オリンピックの代々木競技場をつくるのを主導する。その後その成果を受けて都市博をやることにつながっていくという話。すごくおもしろい観点だなと思った。鈴木俊一の目線が全部とは言わないけど、オリンピック、万博、実現しない都市博がつながっていたということは属人的に世界は動くということで、そこは大事な視点だよなと思う。そういったことが『日本建築家山脈』ではおそらく書かれているんじゃないか。俺は好きなわけ。誰々がどこにいて、この人とこの人が実はつながっていて……というような話に本質があるのかもなとときどき思う。

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ドミニク:すごくクールな視点…。今の話を聞いていて、みなもと太郎先生の『風雲児たち』という非常にすばらしい歴史漫画を思い出しました。各界で絶賛されている本で僕も全巻持っています。個人が日本の歴史上のシーンをピンポイントで動かした話で、たとえば、ロシアからさらに領土を奪われるのを一人で防いだ江戸幕府の官僚や、『ターへル・アナトミア』(解体新書)を辞書もないのに全部訳した杉田玄白たちが取り上げられている。この作品を読んでいてつくづく思うのが、歴史の特異点というのは多くの場合、個人だったんだということです。先ほどまでの話が「個人の力についての諦念」だとすると、個人についてもっとポジティブに語れることがある。最近の大学生と話していると、達観しているなと感じます。彼らは個人が頑張ってもしょうがないでしょ、いかにシステムをつくるかが肝でしょという発想なんですね。おっしゃる通りで、僕もそっち派なんですが、とはいっても、0から 1 を生み出す部分、そこで血反吐を吐くような、個人の血と汗と涙みたいなものも、どんなに成功しているスタートアップの中にも併存しているんじゃないかというのが僕のリアリティです。そういう意味でいうと、社会のなかで属人的なネットワーク構造で決まっちゃっている一見動かしがたい部分があるとしても、逆に人間であるがゆえにハックできるんじゃないかな、という希望をちょっと今思ったんですよね。

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*1 丹下健三
(1913年9月4日 – 2005年3月22日)建築家。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけ、多くの国家プロジェクトを手がけた。代表的なものとして、国立代々木屋内総合競技場(1964)、東京都庁舎第一本庁舎 (1991)など。大阪万博では設計のみならず、総合プロデューサーも務めた。
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物ごとを経緯の結果としてとらえる立場

若林:そうね。出来事の全部がある種の相関で読み解けるかもしれないけれど、別にそれが読み解けたからといって必然性が生まれてくるわけでもないので、それがどうしたということはもちろんある。でも物ごとには経緯があるという認識の仕方はとても大事なことだと思う。なぜそれがそういう風になったのか、たとえば地味な総務官僚がなにかを判断したのかもしれないけれど、いいことでも悪いことでも「だれかがそうなるように決めたからだ」という認識をして、ちゃんと評価されなければならない。日本はそれが評価されないしくみになっているんじゃないかとも思う。だからそもそも特異点があるのではなくて、社会がそれを特異点として認めて評価しなければ、なかったことになってしまう。日本人はわりと結果だけをみるけれど、結果うまくいったから評価されるという話になると、じゃあうまくいかなければ評価されないわけ? という話になるじゃない。
でも、うまくいかなくてもそこにはある種の決断や英断があるとか、人がそこで勇気をふるったということはちゃんと評価されなくちゃならないと思う。そのために、ちゃんと物事の経緯を突き止めることは、おそらく重要なことだろうなという気はするんだよね。

ドミニク:物ごとの経緯を認識することを妨げる要因として人間の認知限界が背景にあると思います。結局、世の中ってよく名前を目にしたり、テレビでよく目にしたりするこの人なら問題がないんじゃないかみたいな、意外とそんなノリで決まるじゃないですか。
でも現実のシーンはもっと複雑で、多種多様な才能がいるということを認知できる能力が人間に備わっていたら、違うでしょうね。歴史上には人材フェチの人がいるじゃないですか。たとえば三国志の時代、後漢の最後の時代に出てきた曹操は異常なまでに人材に投資をして、自分をめちゃくちゃディスりまくった敵軍の達筆な文章家の陳琳という人を引っ捕らえた後に、自分の専属のスピーチライターにした。彼の才能を認知する能力はすばらしいけれど、それはある種の異常な執着心のようなものの裏支えがあるからだと思うんです。
そういうこととは別に、AI を思い出すんですよ。東大の池上高志さんが、AI はインテリジェンスアンプリファイア(Intelligence Amplifier)としてのアーティフィシャルライフ(人工生命)だとおっしゃるんですね。アーティフィシャルインテリジェンス(人工知能)が目的なんじゃなくて、人間のインテリジェンスをアンプリファイ(増幅)するということが目的なんだという思想です。先ほど若林さんがおっしゃったように、物ごとには経緯がある。でも経緯は、まさに密教の曼荼羅のように複雑怪奇ですべてトレースできないので、たとえばそこにはビットコインの分散台帳みたいな、すべて歴史が記録されるようなシステムがあって、ある人が勇気を奮ったというのが自動的に計算でき評価できるのかもしれない、そういうことを見越して技術を使わないといけないと思いました。

若林:話がとぶけど、この間、『WIRED』の特集でベスタクス株式会社の創業者・椎野秀聰さんの記事をつくった。椎野さんは日本初で、ワールドクラスでトップクラスのエレキギターをつくった方で、彼が世界最高のギターをつくるには、世界に数人しかいないいくつかの技術要素を持った人が必要で、そいつらと会えれば世界最高のギターはつくれるって言うんだよね。俺は、そういう風に世界をみる見方があるんだと気がついた。これをやれるやつは、どうせ世界に2人しかいなくて、1人を俺が知ってるんだから世界一だろ、という話ができるのはすごいなと思う。俺らはそういう風に世界をみてないじゃん。よくてセカンドベストとかサードベストくらいで、日本で今わりといい感じじゃんという人となんとなく仕事してるような感じ。世界の70億という人から選んでいるわけではない。でも椎野さんは70億の中に1人しかいないから、それでいいんだよという話をしていて、実際それでできているわけよ。それは、さっきの話と逆かもしれないけど、わりとラディカルな世界像だと思う。それはこの『日本建築家山脈』と関係があるかなという気はする。

千々和:歴史、人脈、文脈というコンテクストの話から、もしかすると今後「個人とシステム」というとらえ方自体が変わっていくのかなと思いました。若林さん、ありがとうございました。

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悪と抑圧されるものの眼差し ジャン・ジュネ『恋する虜―パレスチナへの旅』

千々和:後半をはじめたいと思います。後半では会場からもチャレンジャーに参戦していただき、ずっと読みたかった本を紹介してもらおうと思います。まずは若林さん、お願いします。

若林:ジャン・ジュネ(Jean Genet)の『恋する虜―パレスチナへの旅』という本です。これは俺が大学のころに新刊で出て、おもしろそうだなと思った。ジャン・ジュネは、フランス文学史においては燦然と輝くある種の特異点みたいな人でして、『花のノートルダム』でデビューして、代表作『泥棒日記』を書いたわけですが、ゲイで犯罪者なんですよ。獄中での体験を書いてデビューした。ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire)やジョルジュ・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille)など「悪」を、人間の根源的な力とする系譜があるんですが、それをまさに実地で生きてきたような存在です。ジュネについては、サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartreが『聖ジュネ』(新潮文庫)という本を書いていて、それもいずれ読んでみたい本の一つです。
ちなみに以前からバタイユの本にあるように「文学と悪」というテーマはずっとあって、フランス文学史で個人名としては最初の近代詩人といわれているフランソワ・ヴィヨン(François Villon)も殺人者で泥棒なんです。この本が気になる理由は、ジュネは86年に死んでいるんだけど、何故70年代と80年代にパレスチナに行ったのか、なにをしに行ったんだという興味があるからで、俺の想像だと……むずかしいな、読んだことないから。
おそらくジュネのテーマとして「抑圧する人間と抑圧される人間の関係が転倒する」というのがあるだろうと思います。自身がゲイで、非常に抑圧される側にいて、倒錯した視点を持っている作家が、パレスチナに行ってなにをみるのかというのはとても興味深い話だと思う。ちなみに、60年代に『Esquire』という雑誌のUS版でジャン・ジュネ、ウィリアム・バロウズ(William Seward Burroughs、ジョン・サック(John Sack)、テリー・サザーン(Terry Southern)の4人の作家がシカゴの党大会に行ってレポートを書いた。ジュネは警官のお尻がよかったという話を延々とするらしい。
だから、この本もパレスチナに行って、男のケツの話ばっかりしているんじゃないかという恐怖とともに手を出せずにいるんだけど(笑)。パレスチナは錯綜したテーマを持っているし、ヨーロッパとイスラムの絡みからいえばシャルリー・エブド以降のヨーロッパに対してこの本はおもしろい投げかけ、重要な視点を授けてくれるんじゃないかと思う。これね、本としては厚いんだよ。

千々和:この本の値段をみたときに、おいそれと買えるものではありませんでした……。

ドミニク:いま Amazon では残り1点ですね(笑)。

若林:どうするかな、学生のころから買わなきゃなと思って、買えなかった。文庫にするやつがいればいいのにね。たぶん重要な本だと思うんだけどな。

ドミニク:先ほどの「文学と悪」という話に戻りますが、マルキド・サド(Marquis de Sade)などフランスは犯罪者というレッテルを貼らずに、そいつの表現の強度を、それはそれとして評価する気風がありますよね。ポストモダンの思想家で、銀行強盗をやって5年くらい刑務所にいたベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler)は、大学の教授になっています。日本じゃ考えられないですよね。『週刊文春』に載った瞬間に全キャリアがふっとぶ。

若林:やっぱり、ヒューマニティー、人間性に根ざすものとして「悪」があって、それをいかにみつめられるかが、フランスのユマニテ(humanité)というか、一つの重要な気風なんだろうな。

ドミニク:その原点はどこかというと、たとえば19世紀のフロベール(Gustave Flaubert)やバルザック(Honoré de Balzac)などロマン主義以降の近代小説の芽生えとつながっている気がします。特に僕が好きなフローベールは神の視点を極めた人としてすごく有名なんですね。彼の『Trois Contes』、日本語だと……

若林:『三つの物語』だね。

ドミニク:そうそう。その本の最初の、『Un cœur simple』という、日本語だと『純な心』と訳されている話がありまして、ある女性が失恋をして家政婦の仕事に就いて、その家でずっと奉公する人生の最後に、飼っていたオウムの幻をみながら死んでいくんです。こうやって話すと他愛もない話のようですが、描写がものすごく温かいんですよね。三人称視点で書かれているのに、対象に寄り添うように書くということができるのかと驚かされました。先ほどの「経緯」のように、どうしてそういった感情を抱いているのかをすごく執拗に描写する。これはある種の「優しさ」なんです。フランスという国は、犯罪をしたから抹殺すべしというロジックを忌避する、まさにユマニテの価値を持っていると信じています。最近はいろいろあってそうじゃない勢力がフランスでも強くなってきていますけど。そしてまさに僕が次に挙げる本につながっていくという。なんて美しい流れ(笑)。

千々和:では、このままドミニクさんお願いします。

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恐怖の対象ではなく、つながりでみる ミシェル・ウェルベック『服従』

ドミニク:僕と若林さんは半年以上話していないけど、挙げる本のテーマが偶然つながりましたね。僕は、ミシェル・ウェルベック(Michel Houellebecq)の『服従』(河出書房新社)です。英語にするとプロレス技にもあるサブミッション。これを読まれた方はいますか?

若林:あ、一人いるね。

ドミニク:一人いらっしゃるということは、僕は読んでないので馬鹿にされる…。

若林:馬鹿にしていいですから(笑)

ドミニク:まずこれをどうして読まなかったのかという話をします。あらすじだけは耳に入っていて、イスラム政権が2020年くらいにフランスの政権をとるという話だと思うんですが、先にいうと僕は、親イスラムと名乗るほどイスラムに対してなにかをしているわけじゃないですが、今起きているドナルド・トランプ(Donald John Trump)的な反イスラムの気風には断固反対します。子供の頃からムスリムの友だちもいて、今の状況に対して歯がゆい思いをしているので、またイスラムを恐怖の対象にするような小説なんだろうなと思って、放置しました。
けれど、現実はどんどん上書きされていて、11月にパリで起きたテロで奥さんを亡くしたアントワーヌ・レリス(Antoine Leiris)さんが、その数日後に Facebook でテロリストに対する手紙を公開しました。『あなたたちは私の憎しみを得ることはできない』というタイトルに彼の思いが込められています。あなたたちは私たちを攻撃することによって、憎まれることでこのテロの連鎖を増幅することが目的なんだろうけど、僕は今、まだ1才にも満たない息子に君たちが植え付けようとしている恐怖や憎悪は絶対に与えない、という非常にパワフルな文章です。僕はものすごく感動してこういうフランス人がいるんだということをすごく伝えたくなって、勝手に翻訳してツイートをしたらたくさんの反響がありました(ドミニク・チェンさんが翻訳・公開したテキストはこちら)。先日『ぼくは君たちを憎まないことにした』(ポプラ社)というタイトルで日本でも出版されたそうです。普通だったら、僕も含めて、自分の家族があんな目にあったらこんな手紙を書けないだろうと思います。そこにフランス人としての誇り、気概みたいなものを……いや、そんな陳腐な言葉じゃなくて「フランスの価値観」みたいなものを再確認できて、希望を持ったんです。だけどその直後の地方選挙で、国民戦線というフランスの極右の政党が瞬間風速的に全国1位になりました。その後ちゃんと負けてくれたので安心しましたが、極右政党が今度の大統領選のファイナルラウンドに残る可能性があるという状況で、ウェルベックのいう極右対イスラム勢力の構図が現実になっていると気がついたんです。それが、この作家は読んでおかないといけないと思ったきっかけです。そのときまで、ミシェル・ウェルベックのほかの本についても知らなかったので、いろいろ調べてみると、この人は変な人なんですよね。今ちょうどパリにあるパレ・ド・トーキョーという美術館で、rester vivant、stay alive” 「生き続ける」をテーマに個展を開いていて、自分の犬の写真をデカくプリントして、自分が一番愛したのは人間じゃなくて、犬なんだみたいなことを表現している。インタビュー映像をみていると、思っていたような反イスラムが強固な人じゃない。もう一人、フランスにエリック・ゼムール(Éric Zemmour)という超極右のテレビタレントがいて、この人は本当に恐怖をまき散らしている人なんですが、ウェルベックはどうやらそういう人ではない。イスラムをただ恐怖の対象としてみつめるんではなくて、時代的必然を、ウェルベックなりになにか解き明かそうとしてくれてたらいいな…という勝手な期待がこれを改めて読みたいと思った理由です。

千々和:ありがとうございます。この本はシャルリー・エブドの事件が起きた日に出たんですよね。

ドミニク:そうですね。そういう偶然性のバイアスがあると思うんですけど。

千々和:世界的にもそれで話題になって、広告を出すのを控えるという話も出てましたよね。

ドミニク:補足すると「服従」という言葉を我々はネガティブなものに感じますが、イスラムでは独特な意味を持っているんです。10年以上前に NTT インターコミュニケーション・センターで働いていたときに、ムスリムのキュレーターであるグナラン・ナダラヤンが展示に寄稿してくれた文章を思い出します(『オープン・ネイチャー―情報としての自然が開くもの』NTT 出版)。「服従」とは、実は「自然性に対して身を委ねる」という意味で、人間の恣意性を排することで自然と調和するというポジティブな意味を持っている概念なんだそうです。もしかしたらウェルベックの『服従』も、違っているだろうけれど、その言葉を逆手にとって逆転させることができるんじゃないかと思っています。

千々和:若林さん、どうですか?

若林:俺もウェルベックは、若さん読んでないの? とよくいわれて買ったんだけど、読んでないんですよね。

ドミニク:読んでないんだ(笑)

若林:そうなんだよね。とりあえず、いきなり『服従』を読むのは癪だなと思って、『地理と領土』(ちくま文庫)を買って、それも読んでないんだけど。だから、当然期待はあるんだけど、そこになにを期待するのかというのは自分の中であまり明確じゃないな。

千々和:お二人の挙げた本は、奇しくもフランス文学、政治的なところを背景とした作品という共通点のある本でした。

ドミニク:「物ごとには経緯がある」という若林さんの重い一言はそこにもかかって来る。今のイスラムとヨーロッパの関係って結局経緯をひも解けていないことに機縁していると思うんです。政治史的にみても、イギリスやフランスはサイクス・ピコ協定などで今のイスラエルだけでなく、アラブ世界全体に三股をかけて騙していたわけです。その後も、いろいろと複雑な情勢が続いていきました。イスラムのルサンチマンを、テロリズムを容認するかしないか、あるいは、ジャン・ジュネの犯罪そのものを容認するかしないか……というレベルとは切り離して考えなくてはいけない。だからテロリズムで犯罪を犯しているから罰して根絶すればいいだろうというパラダイムじゃないものを時代が必要としているならば、ジュネがどのように社会の中で再起して、ブラックパンサー*2 やパレスチナに行ってなにを伝えようとしたのか。早く本を読みたいですね。知らないままこんなことを言っても…

若林:そうだね。

ドミニク:早く読まねば(笑)。

観客:今のことに関して私が感じたことをいいですか? 『服従』を私も読んだことはないのですが解説が、佐藤優さんだったので間違いなく反イスラムを煽るような内容ではないと思います。勝手な憶測ですが、「信仰」に慣れてない日本人が陥りがちな間違いを補足してくれるような解説だと思います。

ドミニク:おお、ありがとうございます。

千々和:ありがとうございます。

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*2 ブラックパンサー
1960年代後半から1970年代にかけてアメリカで黒人解放運動を展開していた急進的な政治組織。ジュネはこの活動に参加し、このときの体験が『恋する虜―パレスチナへの旅』に書かれている。
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(2016年7月29日@amu)
続きは3/3
1/3

また、今回のレポートvol.2に登場した本の一覧です。ぜひ参考にしてみてください。

『日本建築家山脈』 村松 貞次郎(2005年)
『風雲児たち』 みなもと太郎1979年
『恋する虜―パレスチナへの旅』 ジャン・ジュネ(1994年)
『花のノートルダム』 ジャン・ジュネ(1943年)
『泥棒日記』 ジャン・ジュネ(1949年
『聖ジュネ』 ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(1952年)
『三つの物語』 ギュスターヴ・フローベール(1877年)
『服従』 ミシェル・ウェルベック(2015年)
『ぼくは君たちを憎まないことにした』 著/アントワーヌ・レリス、訳/土居佳代子(2016年)
『オープン・ネイチャー―情報としての自然が開くもの』 (2005年)

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