EVENT REPORT

シビックエコノミーがつくる社会―自分たちでつくり、循環させる経済 1/2

【ゲスト】紫牟田伸子

【聞き手】千々和淳

EVENT REPORT

シビックエコノミーがつくる社会―自分たちでつくり、循環させる経済 1/2

【ゲスト】紫牟田伸子

【聞き手】千々和淳

今、国や行政ではなく、私たち「市民」が主体となった活動が世界各地で展開しています。それらをシビックエコノミーという言葉によって「市民による新しい経済活動」と唱える紫牟田伸子さんに、そうした活動が生まれた背景やこれからのことを聞きました。全2回のうちの前半をお届けいたします。

OVERVIEW

2016.05.30(月)

ゲスト:
紫牟田伸子
聞き手:
千々和淳

INDEX

  1. 連環の思想
  2. モノよりも循環という運動が重要
  3. シビックエコノミーが求められる社会背景
  4. シビック=市民の役割
  5. 分断された社会に「グラデーション」を

連環の思想

千々和:みなさんこんばんは。「身近なことからはじめられる「シビックエコノミー——恵比寿で生まれる新しい経済(恵比寿じもと食堂)」をはじめます。2016年2月に『日本のシビックエコノミー 私たちが小さな経済を生み出す方法』という本が amu のグループ会社フィルムアート社から出版されました。今回のお話は、事例紹介が主なこの本とはまた違った観点で、もうすこしつっこんだところの話をうかがったり、あるいはイベントなので、実際に第二部のように今現在、進行形の活動についての話などを聞きたいと思って企画したイベントです。さっそく、紫牟田さんから、まだなじみの薄い「シビックエコノミー」についてお聞きしたいと思います。

紫牟田:よろしくお願いします。以前、『シビックエコノミー—世界に学ぶ小さな経済のつくり方』という翻訳本をフィルムアート社から出しました。これは、イギリスを中心とした海外の新しい事例、市民活動、コミュニティスペース、シェアエコノミー、それからシェアをしながら自分たちの集合住宅をつくったりなど、さまざまな事例が出てきます。この本を読んだとき、というか正確には、本を「見たとき」、直感的にエコノミーという言葉がいいなと思いました。

「ソーシャルビジネス」という言葉が一般的になりつつあります。社会の課題をビジネスの方法で解決する。私はそれにどうも引っかかるところがあったんです。確かに、社会の課題をビジネスの手法で解決することはすごく大事だと思います。つまり、社会の課題が自立的な活動として解決され続けていくことは、サービスとしても大事だと思っていたんですけれど、「ビジネス」という言葉に対する固定観念があって、すごくドライな感じがしたんです。

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でも「エコノミー」という言葉で言われた瞬間に、「あ、なるほど循環のことか」と思ったんですね。エコノミーというのは、いってみればものをつくるとか、それからそれを運ぶとか、それを食べるとか、享受するまでの一連の流れのことを指しています。

そこにはもちろん、お金が発生することもあります。一つの循環をつくることによって、それぞれの人たちがつながっていく、お金もつながっていく。「あ、そうかエコノミーであってビジネスというなにか特定の主体があっての話、一つのビジネスをつくらなきゃいないという話ではないんだ。ビジネスが連環していくことがすごい大事なんだ」って気づいたんです。そうした連環の思想みたいなものを「エコノミー」という言葉から直感的に感じ取ったんですよね。

しかも「シビック」エコノミーです。「市民経済」って最近日本でもいわれてるけれども、なんだかよくわからない。この本の中の事例をみてみると、「シビック」と指していることが本当に多岐に渡るんですが、「ああ、これは」と得心したんですよね。つまり「経済」についての私たちの固定概念を、一回取り払ってシビックエコノミーというのを考えなくちゃいけないんだなと、気づいたんです。それで私は、シビックエコノミーを一言でいうと、「共生の知恵である」といいたいなと思いました。共生の知恵ということが、シビックエコノミーの言葉の後ろに隠されてるんじゃないかな、と思っています。

モノよりも循環という運動が重要

千々和:なるほど。じゃあこの言葉自体は、外来語であるけれど、それと似たソーシャルビジネスではなくて「エコノミー」というところに紫牟田さんは引っかかったと。では、エコノミーに近しい、「循環」についてはどうでしょう。一般的な経済という言葉はビジネスと親和性が高く、エコノミーといったらむしろお金のことが思いつくと思いますが、お金ではなくて「シビックエコノミー」で循環するものはなんでしょうか。なんの経済という風に考えたらいいんですかね。

紫牟田:「共生の知恵」の循環だと思います。当然、そこには自分だけが儲かればいいんじゃなくて、みんなでともに幸せになろうという、やや社会主義的な考えがすこし潜んでる気がします。なにを循環させるかというものが大事なんじゃなくて、循環するということ自体が重要。循環する「もの」を中心にして考えてしまうと、そこには新しい意味はないんじゃないかと思うんです。

千々和:なるほど。一般的に商売として考えると、なにを売ろうか、循環させようかと考えます。けれど、紫牟田さんがおっしゃった、「ビジネスとは違う観点で」というところは、循環させるそのこと自体を中心にしているのであって、なにが循環するかは特に問わない、限定しないっていうことですよね。

先ほど「シェア」など、いくつかキーワードが出たと思いますが、シビックエコノミーの活動の特徴とはなんでしょうか。

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紫牟田:シビックエコノミーという観点から世の中の活動をみてみると、いくつかの視点があるなと思います。1つはコミュニティの視点です。共生の知恵であると先ほど申し上げましたが、コミュニティというものが今やはり再考されなければいけない時代に来ています。まさにこの後お話してくださる恵比寿じもと食堂さんもそうですが、その共助のあり方が特徴になります。自助、公助、共助といいますが、自助とは、自分でできることをやるということ、公助とは、公にやってもらうということ、コミュニティというのは基本的には共助の母体です。今はそれがやはり弱くなっているといわれています。そうすると、その共助の母体というものをどうやってつくり、持続させていくのか、どのような手法で行っていくのか。これがまずそのシビックエコノミーのひとつの主要な観点になってくると思います。

もう1つが「シェア」という考え方です。これも共助という考え方の一つですけれど、特にインターネットの中で、今まで個別にサービスを受けていたことがシェアサービスとして、サービスの受け方というのが新しくなってきている。これは非常に現代的で、人中心のしくみです。これまでの一対一でものの売買が行われてきたこととすこし違う地平にある。これはシェアリングエコノミーともいわれますが、このあり方というのは非常に大きい気がします。

3つ目ですが、行政のできることを民間でやるということです。行政ができるかもしれないけれども、実は民間でやったほうがよかったのだということ。これは、共助、つまり1つ目のコミュニティの共助ともすごく似ています。でも実際にはやっぱりまだまだ行政にサービスを任せている現状があります。ところが、民間の方がもっと自由に動きたくなっているはずなんですよ。私たちのニーズも多様だし、もっと自由にと思ったとき、行政がそれに対応するサービスを実現するのを待つ時間など私たちにはありません。だから、むしろ自分たちで……。実は私が『日本のシビックエコノミー』の「はじめに」のところに自衛の手段と書いた意図はそのことです。私たちが「行政が何もやってくれない」と言うけれど、私たちが言ってはじめて行政がやってくれたりするわけです。

行政に対する市民の声を集めるのはすごく大変なので、じゃあそれなら民間でやってしまおうという話です。だから、共助のしくみもそういうのと非常に強くつながる。そうしたことは、実は私たちの「自衛手段」と言えるんじゃないかと。それは民間でどうやって存続させるのかという、そういう問いかけがこのシビックエコノミーの中にはあるんじゃないかと思います。

シビックエコノミーが求められる社会背景

千々和:なるほど。公的なものとそういったパブリックといわれるものとの関係について、「自衛」という言葉が出てきましたが、そこには社会状況の変化なども背景としてはあるのかなと思います。今のような発想が出てきた背景、前提としては、ともに助けるというところが薄くなっている、あるいは自治体などの公的なサービスがカバーできなくなってしまっている、あるいは時代の変化というところに対応できなくなってきてしまっていることが想定できるのかなと思います。

では、紫牟田さんからみて、今の社会状況の特徴はどういう風にみえますか?

紫牟田:格差社会だとよくいわれますよね。実は目にみえない格差というものが広がっていると思います。あとは、この後の恵比寿じもと食堂さんのお話のキーポイントの一つでもありますが、核家族化が進んだことによる孤立化が特徴だと思います。

共助が必要なんじゃないか、共生の知恵だ、と申し上げた背景には、やはり人間が本当に一人で生きていけるものなのかという問いかけがあります。それは、本当に家族だけで生きていけるものなのかということもあります。なにか交流があったらいいねと皆さんがいっているのは、自衛本能だと思います。だから、とにかくこのままじゃ独りになってしまう、このままじゃ人と話もしない老後になってしまうなどの不安もあるのではないでしょうか。でも、そういうつながり、つながり、つながりといってばかりではある意味では息苦しくはなりますが、でも実はつながりよりも、共生するというしくみが必要なんだと思います。

千々和:つながりと共生するということはすこし違いますよね。

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紫牟田:違いますよね。共生というのは、自分がなにか強いつながりを持っていなくても、弱いつながりでもいいわけです。なにかアクションを起こさなくても、そこになにか参加しているということなんだと思います。そういう、なにかだれかが、いいことをしなきゃいけないという話ではありません。

今は、なにかこう不安みたいなものを抱えている社会だと思うんです。みんなこの先どうなるんだろうって思いながら生きているんだと思います。私もそうです。この先、20年30年なにをやって生きていこうかなと考えてしまいます。コミュニティデザイナーであり本の帯文も書いていただいた山崎亮さんが指摘していましたが、たとえば、社会人になって20歳や22歳から働きはじめて60歳まで働くじゃないですか。その後20年、30年あるよね。じゃあ働いている時間は、1日10時間働いたとしてもあとの14時間は自分の時間じゃないですか。圧倒的に働いてる時間、つまりお金を得ようとして働いている時間以上の時間っていうものが人生の中にあるわけです。みんながなんとなく不安になったり考えるのはそういう時間のことです。コミュニティデザイン、ソーシャルデザインという風にいっているものが、人に対してなにかを与えたりデザインしてあげたりっていうことじゃなくて、自分たちで自分たちの生活をすごくよくしたいんだ、っていう気持ちを持ってもらう、あるいはそれをもとにして生活していくっていうことだと思います。

千々和:なるほど。

紫牟田:そういうことを多くの人が無意識に持っているような気がします。意識的な人も多いと思いますが。ニュースで知る社会情勢は、マスコミのせいもあって偏っています。いいことが本当に埋もれてしまいます。そうするとしょっちゅう殺人事件が起こっているような気がする。しょっちゅう殺人が起こっているのは事実だと思いますが、でもそういうことだけをことさらニュースにするべきなのだろうか。

もう一つはインターネットで、だれかの悪口雑言があたかも自分の胸に刺さるようなものとして流通する状況があります。私たちはもしかすると悪意の中にいるんじゃないかと錯覚してしまいます。シビックエコノミーというのは善意のエコノミーです。だから私たちが持っている善意のようなものをどうやって育んでいくかという動きが、起こっている気がします。

すこし感情的な言い方をしてしまったかもしれないですが、一つには今の社会状勢というのが非常にバラバラになっている感じがするということです。それから、社会不安、なにかをすればよくなるという感覚が全然ないこと。それから、格差が実は広がっているということ。それから、本当に実は私たちの生活自体が貧しくなっているということ、そんな時代じゃないでしょうか。

千々和:その辺の話はみなさんもすごく実感できるところなのではないでしょうか。

紫牟田:私がことさらいうまでもないような。本当ごめんなさい(笑)。

千々和:社会の変化ということで言えば、この前ネットの記事で『クレヨンしんちゃん』に出てくるしんちゃんのお父さんの野原ひろしは今の経済状況でいえば勝ち組だ、なんていう話がありました。すごい情けないダメなオヤジとして出ているにもかかわらず、郊外に一軒家を持って霞が関の会社の係長をやっている設定がアニメのはじまった当初はなんでもなかったけれど、今みたらどうみても少数のいわゆる勝ち組といわれる部類にしかみえない。それぐらい経済状況、社会環境などぼくらの周りの環境が変わってきたという話でした。今のお話をうかがって、そんな変化が、シビックエコノミーの背景なのかなって思うんです。

シビック=市民の役割

千々和:では、今度はシビックという言葉にスポットあててみます。それは、住民だけのことを指すわけではないのはわかるんですけれど、どんな人たちを指すと考えたらいいんでしょうか。

紫牟田:そうですね。市民性というのはすごくむずかしい。市民というのはあるコミュニティに属しながら自立性を持っている、そこに参加する人っていうことです。社会参加というよりも、コミュニティに参加していく、というマインドのある人であって、住民だけではなく、むしろそのエリア以外の人もその中に入りうる。今はそのコミュニティを自分の思う方向にもっていきたいということよりも、そこに属しながらよくしていきたいという感覚、という風に『シビックプライド—都市のコミュニケーションをデザインする』(宣伝会議)でもとらえていて、だから住民も勤めている人も遊びに来る人も、そこのコミュニティに属して、そこに自負を持ちたいという人をシビックと呼んでいくというか、シチズンと呼んでいくというか。そんなような解釈でやっています。

千々和:なるほど。シビックや市民という言葉の中には、ビジネスの人も公共サービスを担う人たちもいたりする。

もともとは公共のサービスが担っていたり賄えていたことが、別の人たちが担い手となってやるという話ですが、それは社会の機能や役割についての話ですよね。以前に紫牟田さんから聞いた話で、今後は1人の人や1つの社会組織が二重、あるいはいくつかの役割や機能を持つようになる。1つの存在が、多面的な機能や役割を果たすようになるんじゃないかという話がすごいおもしろいなと思いました。そういう事例、実例など具体的にはどういうものがありますか。本の中には保育園が老人ホームになる事例などがありましたが。

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紫牟田:この間、シブヤ大学で開かれた都市想像会議「図書館×都市」というシンポジウムがありました。そこで、未来の図書館を考えようという話をしていくと、図書館はもう図書館という単機能じゃなくていいんじゃないかという話になってくるんですよ。

図書館にあるものはいったいなんなんだろうという話です。図書館というのは本の収蔵館であるのか、それともなにか自分が得たい情報を得るところなのか、実をいうと問いかけが変わると、もうすでに機能が変わっちゃうんですよね。

千々和:観点が違うわけですよね。たとえば立場が変われば、本の収蔵庫であったり、あるいは知識を得るところ、またあるいは人との出会いの場所にもなるっていうことですね。

紫牟田:そうですね。今ちょうど揺らいでるところだと思うんですね。だから、たとえば武蔵野プレイス*1 は、図書館だけれども、どっちかというとコミュニティプレイス、サードプレイスなんですね。本をメディアにしながら人がつながるところであるという考え方の場所になっています。そう考えていくと、児童館には児童書があっていいんじゃないか、船の科学館には船関係の本が全部あればいい、あるいはまちの図書館っていうマイクロライブラリーみたいなのもある。たとえば「谷中・根津・千駄木」、いわゆる「谷根千」というのがあって、その谷根千についての本を出されている森まゆみさんたちがとにかく膨大な資料を集めています。そうすると、谷根千について知りたいなと思ったら、森さんたちの「谷根千工房」に行けばいい。

そうすると、公共の図書館=公立の図書館だと思っていたけれど、実は「谷根千工房」を公共的なものという認識をしたほうがいいんじゃないか。公共と公立は実は全然イコールじゃなかったと考えられるわけです。だから、実際の公立かどうかということよりも、パブリックマインドっていうのが、このシビックエコノミーには非常に重要な概念になるんです。

パブリックマインドについては、2 つの観点があります。先ほどの多重な機能というお話にも関係しますが、それは多機能時計でいう多機能ではなくて、自分の関心によっていろんなところに所属できるということです。だから、たとえば本に関心があったら、本を媒介にしてコミュニティに参加でき、そこで自分がある程度役に立つ。自分の周囲の多様な世界に参加できれば、非常に豊かな社会性があるんじゃないかというのがまず1つあるんです。もう1つは、個人の経済的な観点で、ある総研で働いていた会社員の方が、信州の方に移住したので、しばらくぶりにお会いして「今、なにしてるんですか」って尋ねると、「いや、なんでもやってますよ」と答えるんです。コミュニティにおいては一つの専門家よりも、むしろあれもやるこれもやる、というのが生活の糧を安定させられるんです。それぞれの稼ぎはすごく少ないけど、でもいろいろやっていくと塵も積もっていく。自分でできる範囲ですが、なにかのスペシャリストになる人もいれば、そうやって図書館に週3回勤めていくらとか多様です。 NPO は資金調達が難しいとかいわれますが、注力しなくちゃいけない活動はもちろんありつつ、もうすこし多層な糧の得方も一方ではあるんじゃないかなっていう。その両方が必要だと思うんですね。

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*1 武蔵野プレイス:武蔵野市立『ひと・まち・情報 創造館武蔵野プレイス』
図書館をはじめとして生涯学習支援や市民活動支援、青少年活動支援等の機能を併せ持った複合機能施設。 豊富な蔵書を抱えた図書スペースだけでなく、市民活動向けのワークスペースやカフェ、サウンドスタジオまであり、子どもから大人までさまざまな人が利用できる場所となっている。なお、いわゆる一般的な図書館は「中央図書館」として別途存在する。

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分断された社会に「グラデーション」を

千々和:そうですね。就職、働き方、企業といった社会経済の話においても、副業への考え方は大きく変わってきています。1人が1つの会社に勤めるのが当たり前じゃなくなってくるのかもしれませんね。今や企業が正社員を雇うことは体力的に負担が大きくて、その負担を分散できるのであれば企業にとっても非常に助かる。図書館や保育所というハードの面だけでなく、人の面でもいろんな多重多層な役割を持つようになるのかなと思いました。

紫牟田:何か1つのことで稼ごうとするとすごく大変なんですよね、企業もね。また事業部をつくんなきゃいけなくって、その事業部に人とお金をつぎ込むわけですけれども。

千々和:とにかく失敗したときが怖いですよね。

紫牟田:そうですね。失敗しないようにするっていうのが、今までの経済のあり方だったと思うんですけれども。でもやっぱり足りないときには人の助けを借りるっていうことは、私たち個人個人の特徴じゃないですか。企業だってそうあっていいと思うんです。だから企業の社員のためだけの保育所だけじゃなくいいんじゃないか。パブリックマインドといったときに、私は私だけのとか、自分たちは自分たちだけのではないという観点はすごく大事じゃないかなと思っています。

個人商店が実はパブリック性を今まであまり持ってなかったんじゃないかって思っています。だけど、イギリスの『シビックエコノミー—世界に学ぶ小さな経済のつくり方』のなかでもすごくおもしろかったのが、個人の商店の中で子供たちが奥の方で塾やってるとか、軒先でなにかやっている事例です。プライベートだプライベートだっていって囲い込んで行ったのがこれまでの20世紀的な経済だとすれば、自分たちの有り様っていうものを、すこしずつ開きながら生きていくのが新しい一つの方向なんじゃないか。その観点でいうと、さきほどの多重性と関連するかもしれませんが、『日本のシビックエコノミー』で取り上げた「まちの保育園」は、私たちが今まで保育園を「子供だから守って」とつくり上げてきたとすれば、そうじゃなくて街の人も子供と一緒にと開かれたかたちでつくられたものです。じゃあそのために子どもたちと住民との間の接点になりうるような施設をつくりましょうとなり、それはカフェであったり、パン屋であったりと考えるわけですね。

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「まちの保育園」photo:Shigeta Satoshi (Nacasa&Partners)

「西圓寺」*2 も同じように、ご老人がいる庭に子どもたちが遊んでいると「それは危ないよ!」っていったり、ご老人に役割が出てくる。その役割が出てくることが生きる糧になったり、楽しみになったりする。多重な場所っていうことは、エリアを多層に持つというより、エリアとエリアがゆるやかにつながるような場所のことかもしれません。そういうところも、この『日本のシビックエコノミー』の中では非常にたくさんみられました。共生の知恵というのは、専門性という名前の下に、細分化されてしまったものの間と間をすこしずつグラデーション(段階的変化)にしていくような作業なのかなと思います。

千々和:合理性の名のもとでは分割あるいは統一という枠組みで考えられますが、今おっしゃられた「グラデーション」はそれとは異なる枠組みで、それこそが共生の知恵の特徴ということですね。

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*2 西圓寺:三草二木西圓寺
石川県小松市。1473年に浄土真宗の寺院として創建され、のちに社会福祉法人佛子園が譲り受けて地域の福祉施設として再生された。高齢者、障害者に働く場を提供し、子どもを含む地域の人々には温泉施設や遊び場として開放され、さまざまな交流を生み出す場となっている。

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