ARTICLE

「これが私の真実だ」と感じれば、演劇になるのです。 アメリカと日本の映画演劇事情に精通するシカさん。
お芝居に挑む人の「心がけの基本」を語っていただきました。

【インタビューゲスト】シカ・マッケンジー

ARTICLE

「これが私の真実だ」と感じれば、演劇になるのです。 アメリカと日本の映画演劇事情に精通するシカさん。
お芝居に挑む人の「心がけの基本」を語っていただきました。

【インタビューゲスト】シカ・マッケンジー

アメリカで人気のオープンマイクとは?

アメリカで今、人気のオープンマイクとはどういうものですか?

「誰でもが飛び入りで、参加できる発表の場」がオープンマイクです。日本だと、自分の曲を演奏したいミュージシャンの人たちによく知られている場ですが、アメリカでは、役者たちがやっています。ニューヨークでは、舞台役者が多く、L.A.には、ハリウッドがあるから映画の役者が集まります。このL.A.の役者というのは、非常にキャリアのある人でも、オーディションに行っては落ちつづけます。需要に対して、供給が多すぎるのです。来場する俳優が自由に演技を披露できる、この「オープンマイク」が大成功しています。
結構キャパが大きいGreenway Court Theatreという場では、月に1回、平日の夜に主催者が場を借りて、司会者が楽しく盛り上げながら、7分持ち時間を演技のために与えてもらえる。7分近くなってきたら、音楽がジャジャジャン!と鳴って、途中であったとしても入れ替える。内容は、詩の朗読や、自分が練習しているシーン、またはオリジナルで、コメディの脚本の発表とかいろいろ。隠し芸や素人のど自慢大会みたいではなくて、本当に演技を、シリアスにやっているのをお客さんに見てもらって、自分の演技はこれでよかったのか、お客さんのあたりを見て肌で感じるという場です。またL.A.でやっているオープンマイクには、審査員もいないんです。批評、コメントをする人は誰もいないから、自分でウケたウケなかったというのを感じ取って、糧にしていくのです。

「ドラマの原理」を皆が共有すること。

ロサンジェルスのそういった文化をいつも地肌で感じていらっしゃるシカさんから見れば、逆に日本はどう見えますか?

voice5_2日本では、どう活動したらいいのか皆さんわからないんじゃないかと思うんです。L.A.では、サミュエル・フレンチ(Samuel French)という映画・演劇だけしか扱わないという専門の書店が、ハリウッドとスタジオ・シティにあります。この書店が、情報ソースになっている。アリストテレスに始まって、シェイクスピア、スタニスラフスキー、そして最新のオーディション情報誌まで全部あって、役者になりたい、でも何していいかわからない人は、とりあえずそこにさえいけば、一通りの情報が入るようになっています。本以外にも、 そこは脚本の版権エージェントも兼ねていて、これ上演したいんだけど、と言うと、上演権売買の仲介もやってくれる。私の知る限りは、日本はまずそういう専門書店の情報がないですね。
それから、アメリカがやりやすいなと思うのは、体系的に考え方の交通整備がされているということ。演出家さんも、映画監督さんも、脚本家さんも、俳優さんも、編集さんも、全部が「ドラマの原理」という共通の考えを知っていて、どの科目に足をつっこんでも、結局同じことを言っているというのが、私にとってはすごく安心感があります。例えば彼らは、アリストテレスまで遡るんです。「僕がじゃなくて、アリストテレスが言ってんだ」という話が出てくるんですね。ドラマとは、異なる考えを持つ2者が対立をする、その葛藤を、対立をする様を見せることが「ドラマの原理」なのです。それが頭に入っていれば、どんなジャンルにいっても、たとえ前衛をやるにしても、それは基本を押さえてわかっておきながら、崩していけるわけなのでまったく怖くない。

日本の場合、ほかに何か足りない点がありますか?

日本は、伝統芸能の影響を引きずっているせいか、例えば、客席全部を感動させる意気込みでやりなさい、という先生がいるという話を聞きます。でも全員が感動するというのはあり得ないじゃないですか。賛否両論でいいと思うんです。例えば、イプセンの『人形の家』だって初演時は、喝采した人と、大反対した人と、パカーンと半分に分かれたっていいます。だからこそ、「一石を投じる」というか、重要な問いを投げ掛けた。当時の社会に大きく影響を与えたんです。
もしかしてこれは誰にも分かってもらえないかもしれないけれども、私にとってはどうしても真実なので、言うしかない。そういう「自分なりの真実」にコネクトできるか。またその劇のトレーニングや教育が必要ですね。それこそが人の心にタッチして、ああ真実だっていう感動を与えると思います。今期(2011.3−6)のamuのテーマは、「野生のデザインをつくろう」ですが、お客さんというのは、すごい野生の目を持っている筈なんですよね。形だけの整えた演技を見た時に、これどうも嘘なんじゃないの? と心に感じてしまって、演劇はさして好きじゃない、見たくもない、となってしまうのではないでしょうか。

ウタ・ハーゲン エクササイズとは?

日本では、「キャラを演じる」といいます。キャラの存在が元々あって、キャラの方が、本当の存在より優先しやすい。日常の中でもあると思うんですけれども。

そうなんです。キャラがたってもいいと思うんですけど、そこにあなたの真実はあるんですか?っていう問いかけをしてしまいます。逆に誰も分かってくれなくても、これがほんとの私だ、と言えれば怖いものがないと思うんですよ。真実というのはすごい小ちゃいことで、素のあなたでいいんです。そこでウタ・ハーゲン(アメリカで最も尊敬される演技教師)の2分間エクササイズが、ものすごい助けをしてくれます。素のあなたが、生活で2分間何をしていたかを、目の前でやってみてください、そうお題を出すと嘘をつけない。「私こんなでいいですか?」と思いながら演技している人とか、「見せよう」といういやらしい気持ちを持ってしまうとか、噓つく人っていうのは、2分間走り回っても、逆に面白くないんです。だからそのエクササイズを、発表までもっていくためには、まず自分が、家で2分間なにをしてるだろう?というのを、感覚で捉えないといけない訳です。私いまマウスをこっちの手でこうやってクリックしたわ、とかね。

そうするとそれは、想像力や記憶力もいりますね。わざとらしさを取るにはどうすればいいのでしょうか?

わざとらしいことすれば、見ている人は一発で見抜くと思うんです。逆に真実がポロっと出たときに、みんながわっと笑うんですね。現実が、パッと出た瞬間に。それはもう何にも代え難い、私にとっては一枚のチケットを買って劇に行く価値をはるかに超える、珠玉の瞬間なんですよね。何年経ってもその人のその瞬間っていうのは忘れないんです。その人個人のことが好きか嫌いかじゃなくて、その瞬間というのが、すごく愛おしい。

 

例えばお茶を一杯飲むにしても、その時にその人ならではの、リアリティがある。

そうなんですよ。それが日常生活ではなく、舞台っていうスペースで、作為的にクリエイトしたものだからこそ、強烈に出る。あのウタハーゲン・エクササイズをやると、自分で自分のことが分かるようになるんです。どんな演劇コースにいって、習ったとしても、先生は見たものに対して、コメントしてくるんです。だけど、自分の中で何が起こっていたか、というのは自分にしか分からないことです。先生の言ったことと、自分がさっきやったことの、記憶とをすりあわせながら、本当は何やったらいいんだろうか、ってことを自分で再構築していかないと役者は伸びていけないと思います。たまに先生に、「お前そのやり方は違うだろ!」と言われて、喜んでいる人がいるんですが、教える側も習う側も、それじゃダメだと思う。精神のクリエイトしたものを全否定してはいけない。ダンスの型じゃないんです。正解はどこにあるんだ、というと多分ないんですよね。その人自身が、自分なりの真実を見つけていかないといけないんです。自分でんんっ…とか考えて、「ああ、私噓つきました」とか言えるようになってくるそれが、わざとらしくない演技、真実性のある演技へのスタートラインでしょうね。

お守りとなるメンターや本を見つけること。

演劇を日常に活かせる、ということはありますか? シカさんが演劇を勉強されていて、自分の日常や生き方、あるいは生徒さんを見ていて、変わったなというのは?

去年から12月は、エドガー・アラン・ポーの「大鴉」っていう詩を、朗読することにしようと決めています。ポーの詩なので、岩波文庫とかから立派な日本語の訳が出ているんですよね。だけど私の教室では、「My訳」といって、あなただけの訳をつくってくださいと言います。俳優さん、女優さんの「My訳」というのは、どこまで脱線しても構わないから、自分の言葉で、好き放題に言っていいって言ったんです。日本語を更に翻訳して、自分とコネクトしないと、詩はできないのです。その詩っていうのが非常に孤独なんです。真っ暗で、外はすごい荒れています。雪も降ろうとしている、暗い部屋に一人いて、想像の世界では、「ああ、こんな雪の日に来るやつなんて、だれもいないか」みたいな想像をする。皆さんこの訓練が分岐点になって変わっていきました。自分に正直になる。そしてストレートにマテリアルと対峙することによって、名作であれば、自然に自分のいいところを引き出してくれるのです。

いまの若い人、演劇に関心がある人に、メッセージを送るとしたら何かありますか?

自分の真実っていうこと、それしかないと思うんですよね。あとは、苦境にある人へは、メンター(良導者)みたいな相談できる人がいると思います。その道の大先輩っていう人がいればいいんですけど、それも、自分の聞きたいことを言ってくれる訳ではないですよね。そうすると、例えばお守りみたいな本があるといい。たとえばステラ・アドラーの『魂の演技レッスン』は、自分の困った時とかしんどい時とかに読んで、励みにする人が多いと思う。またはもう死んでしまった人物をお守りにする。私の場合、「ローレンス・オリヴィエがこれを見たら何て言うだろう?」と想像するだけでスカッとする。勝手な想像ですけど、下を見ないで、上を見ることができるんです。
私生活でもそうじゃないですか? ネガティブなところって、いちいち時間を割いていたら、そっちの方で、腹が立ったりする。だけどそういったものをパン!と切り捨てて、自分のもっと理想とするところに近づくような動きをしていくべきですよね。

(2011年4月 株式会社AZホールディングスにて収録。 聞き手:津田広志)

amu

未来を編む

「アート 」 関連の記事を
もっと読む