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光の言葉、普遍言語へ。 EnglishからGlobishへ。
世界共通語の奥にある「光」を感じること。

【インタビューゲスト】ロジャー・パルバース

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光の言葉、普遍言語へ。 EnglishからGlobishへ。
世界共通語の奥にある「光」を感じること。

【インタビューゲスト】ロジャー・パルバース

外国語は、天文学に似ている

パルバースさんは、英語、日本語、ロシア語、ポーランド語の4ヶ国語を習得されていますが、その熱意はどこからくるのですか?

もともと私の趣味は、天文学です。天文学は、外国語ととても似ているところがあります。宇宙は、奥へ入ってもまだその奥があり、”beyond”つまり、その先にまた別の世界があるんじゃないかと思わせるものがありますね。外国語もそうです。ネイティブスピーカーはその言語を自在に使いこなせますが、単語の裏にある形而上学的な意味はつかめません。言葉の奥の奥にある意味をどう掴むか。これはむずかしい。たとえば”体外離脱 out of body”という言葉がありますよね。外国語を学ぶことはこの”体外離脱”体験に近いと思います。自分の存在から脱出し、外国人の世界に入り、自分とは違う客観的な視点を手に入れること。つまり「第3者」になるようなプロセスを体験できる、それが外国語を学ぶことではないでしょうか。私が”体外離脱”体験をしたのは、私の口から初めてロシア語で話した時でした。それが相手に通じたときに、「自分が違う人間」になったように思ったのです。

それは難解にも聞こえますが、ようは「言葉の芯を掴む」ということですか?

そうです。スポーツができたり、編集ができたりという才能・能力が存在しますが、そういうことではない人間の深い奥のアイデンティティ、つまり「人間存在の謎」そのものが言葉の裏には潜んでいるんです。「私が私である」ということは、やはり言葉の奥に潜んでいる謎なのです。

哲学者のハイデッガーの言葉に、『言葉は存在の家である』という有名な言葉がありますね。

そうです。人間は言葉そのものなのです。言葉は、意識を表現する媒体であり、意識はイコール「生きている」ということですよね。でも、人間は死んでも意識が残るのではないでしょうか。これは宗教的なことではなく、「言葉の形が残る」と思うのです。宮沢賢治の『春と修羅』の序に、「ひかりはたもち その電燈は失はれ」という一節があります。「電燈」とは、体であり、死にゆくもの。しかし精神から出てくる「ひかり」=光は永遠に残る。そして、この「ひかり」というのが言葉なのだと思います。DSCF0710_rere

光の言葉、普遍言語とは?

例えば、そういった言霊にも近い「光」が感じられる日本語の文章というと、どんな言葉があげられるのでしょうか。

日本の宮沢賢治は「光の作家」だと思います。20世紀の人間ですが、これからの21世紀の諸問題に立ち向かった作家だと思います。人間の心を一番深く表現した作家が賢治だと思います。しかし多くの人は、彼を表面的に理解しています。たとえば「雨ニモ負ケズ」においては、これは「雨に負けない」という精神論を説いているのではありません。英語に訳すと「strong in the rain」です。強い雨、激しい雨にさらされた人間が、雨という過酷な自然のなかでぎりぎり「生きる」という意味です。もっと身体を使ったぎりぎりの表現であり、そこが素晴らしいと思います。
そして、激しい雨に象徴されることや、「他人の問題を自分の問題」だとする姿勢が宮沢賢治にあります。他人の悩みに対して、シンパシーを持つということは大事ですが、人の問題を自分の問題だと「背負った」人なのです。
その「背負い」をきびしく美しく表現した賢治が日本人だったということは、誇りに思っていいと思います。ただ、賢治が日本語で語ったから素晴らしいのではなく、賢治の考え方が「普遍言語」であったことが重要です。ここが大事なのです。われわれ人間存在の深くに、身体を通して「光」があり、全員の中に「普遍言語」としてあるのです。すべての単語の裏に感情、過去、思想といったものが込められています。皮肉が込められていたり、本心からではなかったり、同じ単語でも、まったく違う意味を帯びてくることがあります。そしてそのもっと奥(beyond)に、国民性や民族性すら越えた、「光」=「普遍言語」というべきようなものがあるのです。kenji_miyazawa

Globish時代、外国語を学ぶ意味

世界にいる人間たちの、その苦しみも含め抱擁する偉大な言葉、それが「言語」であり、「普遍言語」としてある、という意味ですね?

別の角度からいえば、私は、日本語が他の言語と比べて、表現豊かな言語とは考えていません。日本語を特殊だと思ったこともないのです。日本語はよく「曖昧な表現」だと言われますが、そうでしょうか。英語でだって、答えるときに「Yes and no.」という言い方があり、とても曖昧です。人類は、太古、同じ大陸に住んでいました。そして同じ言語を使っていました。しかし人々は遠くへさまよったりして、あっというまに、いろんな言語ができました。しかし、根は同じ「普遍言語」をもっているのではないでしょうか。

では、今のこのグローバル化の中で、言葉はどうなっていくと思われますか?

200年前、産業革命が起こる前では、まさか今のように「英語」が世界の「共通語」になるなんて誰も考えていませんでした。ふつう「共通語」は「リングアフランカ」(lingua franca)といいます。この「リングアフランカ」とは、実は「フランスの言葉」という意味なんです。かつてヨーロッパでは、フランス語のほうがメジャーだったので、フランス語が「共通語」と考えられたのです。当時は、スペイン語が「共通語」になった可能性もあります。それが今は英語になりました。これからはEnglishが「共通語」として、Globishになる時代だと言われています。しかし大切なのは、ネイティヴのように英語を話すということだけが重要ではなく、「普遍言語」を理解するということなのです。

今後、外国語を学ぶとはどういうことなのでしょうか?

語学を学ぶということは、ほんとうは、「私はあなたなのだ」「自分は自分だけではない」ということを理解することなのです。それが実際に、リアルタイムで実現することなのです。それが外国語を学ぶことではないでしょうか。核やテロリズムといった危機に直面した今、それを防ぐのは、まずは相手の言葉を知ることです。理解には言葉しかないと思うのです。そのためにまずは言語をマスターすることです。しかし、そればかりでは、ビジネス会議はできたとしても、ほんとうに相手が何を考えているかということはわかりません。「普遍言語」を知るには、その民族の歴史、宗教、思想、文学、芸術、食文化…さらにその奥にある「光」の感覚をどう感じるか。自分という殻を脱ぎ捨てて「私はあなたなのだ」という世界に踏み込む共感の”beyond”の体験なのです。

(2010年11月 東京工業大学 世界文明センターにて収録。 聞き手:津田広志)

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